北海道北端の宗谷岬とサハリン島(樺太島)南端のクリリオン岬(西能登呂岬)を隔てる幅約四三キロの海峡。外国では「ラペルーズ海峡」の名称で知られている。その中央部の水深は三〇―七〇メートルで、津軽海峡の一三〇―二六〇メートルと比べるとかなり浅く、洪積世末期のウルム氷期には北海道は本州よりはサハリン島とはるかに広範囲に長期にわたり陸続きであったと考えられている。海峡内には対馬海流から分流する宗谷暖流が東進するほか、オホーツク海から弱い寒流が西進して、夏には海霧が発生し、冬には流氷の接近がみられる。この海峡の南北では北方系と南方系の動物分布の違いがみられることから、動物地理学上「八田ライン」とよばれている。
歴史的にみれば、五―一〇世紀頃この海峡の両側には今日「オホーツク文化」の名前で知られる漁猟や海獣狩猟に特徴的な生活文化をもつ沿海民が住んでいた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
北海道最北端の宗谷岬とサハリン(樺太)のクリリオン岬(西能登呂(にしのとろ)岬)の間の海峡。フランスの探検家ラ・ペルーズの名にちなみ,ラ・ペルーズ海峡ともよばれる。両岬間の距離は約42kmで,水深は中央部で30~70mである。潮流は急で,日本海から北上した対馬海流の一部がこの海峡を横切ってオホーツク海の寒流と接触し,夏には濃霧が発生する。冬季は流氷が入りこむこともある。日本海とオホーツク海の船の通路にあたり,ウラジオストク方面から太平洋に出る迂回路でもある。樺太が日本領土であった第2次世界大戦までは,樺太と北海道との重要な連絡路として稚内(わつかない)~大泊(おおどまり)(コルサコフ)間,稚内~本斗(ほんと)(ネベリスク)間の2航路があり,それぞれ8時間,7時間で結ばれていた。海峡付近は北海道のカニ,タラの重要な漁場の一つである。1977年領海を12カイリとする領海法が施行されたが,宗谷海峡は対馬海峡などとともに,領海を3カイリとする特定海域となっている。
執筆者:奥平 忠志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
北海道と樺太(からふと)(サハリン)とを分離し、日本海とオホーツク海とを結ぶ海峡。北海道北端の宗谷岬と野寒布(のしゃっぷ)岬に抱かれた宗谷湾と樺太の西能登呂(にしのとろ)岬(クリリオン岬)との間の海域で、両岬間は約40キロメートル。中央部の水深は30~70メートル。国際的にはフランスの探検家ラ・ペルーズの名にちなみラ・ペルーズ海峡とよばれる。宗谷岬から約30キロメートルの位置に二丈岩があるが、これを除けば航海に危険を伴う岩礁・暗礁はない。夏季は日本海から対馬(つしま)暖流が入り、オホーツク海の低温な海水と接して濃霧が発生しやすく、冬季は暖流が微弱となって流氷がみられる。なお、樺太が日本領土であった第二次世界大戦までは、小樽(おたる)港と大泊(おおどまり)港(コルサコフ)間、稚内(わっかない)港と大泊港間には定期航路があった。
[岡本次郎]
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(2014-8-25)
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…南アメリカ大陸を周航し,ハワイからアラスカまで北上後,北米沿岸をカリフォルニアまで南下し,ついで太平洋を横断して87年マカオに入った。再び北上して対馬海峡,日本海,間宮海峡まで行ったのち,ラ・ペルーズ海峡(宗谷海峡)を通過してカムチャツカに達した。それより南下してサモアを経て,88年オーストラリアのシドニーに入り,同年3月にシドニーを出港してのち消息を絶った。…
※「宗谷海峡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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