カナダにおける1869-70年および85年のメティスによる反乱の指導者。レッド・リバー植民地に生まれ,聖職者になるためにモントリオールで教育を受けた。1869年レッド・リバー植民地がハドソン湾会社からカナダ政府へ委譲された際,メティスを中心とする住民は既得権擁護を求めて臨時政府を樹立し,リエルはその長に推されてカナダ政府と交渉を開始した。彼らの要求は全面的に容認されて,70年にマニトバ州が設立されるが,この間彼らを襲った暴徒の一人を処刑したために反徒の烙印を押され逃亡。その後カナダ下院に選出されるが追放され,アメリカ合衆国のモンタナ州に住んだ。84年,現サスカチェワン州に開拓前線が近づいた際,メティスやインディアンは再び彼らの権利擁護を求めて糾合し,リエルを指導者として招いた。彼はマニトバでの経験を繰り返したが,今回は諸条件の変化により失敗。85年の蜂起も鎮圧されて捕らえられ,11月16日処刑された。リエルがメティス出身であり,フランス語を使用しカトリックを信ずる彼の裁判が,英語でプロテスタントの陪審により判決を下されたことで,リエルはその死をもってフランス系カナダ人の殉教者とみなされ,カナダ社会に大きな分裂を招いた。
→レッド・リバー反乱
執筆者:大原 祐子
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1844~85
カナダの混血先住民族メイティの指導者。カナダ連邦に併合されることになった西部の先住民を率いて1869~70年と85年に蜂起し,オタワ政府にマニトバ州の創設(71年)を認めさせたが,85年に反逆罪で絞首刑となった。
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…その譲渡に関する交渉は問題なく進行していったが,事の成行きを知らされなかったレッド・リバー地域の住人,メティスは自分たちの既得権を守ろうと1869年臨時政府を樹立した。L.リエルを首班として連邦政府と交渉し,メティスの主張が大幅に受け入れられて70年マニトバ州が成立する。主張の中にはフランス語による教育の保障も含まれていたが,このことは90年代に学制問題を引き起こす。…
…広大なルパーツ・ランドの唯一の定住地,レッド・リバー植民地に住むメティスを主体とする住民はこの交渉にまったくあずからなかった。彼らはL.リエルを首班として臨時政府を樹立し,連邦政府へ既得権擁護を求め,連邦政府任命の副総督の就任を阻止した。彼らの要求はマニトバ法として具体化され,70年5月,レッド・リバー植民地はマニトバ州として連邦に加入したが,この間実力でメティスを追うべく侵入したオンタリオ人トマス・スコットを臨時政府が捕らえて処刑したため,リエルとその一党は反徒とされ,彼らの希望が受理されたにもかかわらず,反乱の指導者たちは州の成立を目前にレッド・リバー植民地を去った。…
※「リエル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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