ウクライナ西部の主要都市で、中世以来発展した古都。ポーランドやオーストリアなどの支配下に置かれた歴史を持つ。1918年にオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊した際、短期間存在した「西ウクライナ人民共和国」の首都になった。39年にソ連領となったが、第2次大戦中にはナチス・ドイツが占領。ウクライナ民族主義の中心地として知られ、住民のほとんどはウクライナ語が母語。ロシア語話者は少ない。美しい町並みは世界遺産に指定されている。(共同)
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ウクライナ西部、リビウ州の州都。リヴィウともいう。ロシア語ではリボフ、ポーランド語名ルブフLwów、ドイツ語名レンベルクLemberg。人口73万3000(2001)、72万0105(2018推計)。カルパティア山脈の北麓(ほくろく)、ブーフ(南ブク)川とドニステール(ドニエストル)川の分水界である丘に位置し、鉄道、ハイウェーの集中する交通要地。工業都市でもあり、バス、トラック、コンベヤー、農業機械、テレビ受像機、医療機器、医薬品、石油化学、食品などの工場がある。ウクライナ西部の文化的中心地で、科学アカデミー支部や17世紀創立の総合大学を含め、九つの高等教育・研究施設、10の博物館、四つの劇場などが置かれている。年代記には1256年に初めて都市名が記される。ガリチ公ダニイルが建設した都市で、その息子の名リフが市名となったとされる。ガリツィア地方の中心都市で、1349年以降はポーランド領となり、同国の支配を長く受けるが、1370~1387年の短期間はハンガリー領であった。1772年からはオーストリア・ハプスブルク家の領土に編入された。第一次世界大戦後の1919年ポーランド領に復するが、1939年ソ連が併合し、1991年ソ連崩壊後はウクライナ領。司教座教会をはじめとする多くの寺院など、歴史的建造物が残る。これらのある歴史地区は1998年に世界遺産の文化遺産として登録されている(世界文化遺産)。
[渡辺一夫]
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