日本大百科全書(ニッポニカ) 「ルドリュ・ロラン」の意味・わかりやすい解説
ルドリュ・ロラン
るどりゅろらん
Alexandre Auguste Ledru-Rollin
(1807―1874)
フランスの政治家、弁護士。7月王政期の1841年、代議士として政界入りし、1843年『ラ・レフォルム』(改革)紙を創刊、ギゾー内閣の政策を絶えず攻撃するとともにルイ・ブランらの社会主義者にもコラムを提供した。1847年に始まる「改革宴会」の運動を強力に推進、翌1848年の二月革命後、第二共和政臨時政府の内務大臣となった。4月の憲法制定議会に当選、執行委員会メンバーとなり、5月15日の社会主義者の暴動抑圧に加担、これに続く労働者の6月暴動の鎮圧を傍観した。その後、議会最左翼の山岳党の首領となり、『民主社会革命』紙をドレクリューズらとともに創刊、穏和共和派の政府と対立。12月の第二共和国大統領選挙に山岳党の候補となったが、ルイ・ナポレオン・ボナパルトに大敗を喫した。大統領ルイ・ナポレオンの政府の反動的な内外の政策と対決したが、翌1849年6月13日の山岳党の反乱鎮圧後イギリスのロンドンに亡命、第二帝政末期の1870年に大赦を得て帰国するまでその地にとどまった。プロイセン・フランス戦争の過程で帝政が倒れたのち、1871年2月国民議会に選出されたが、実際に議席につくことなく、同年3月のパリ・コミューンにも関係しなかった。
[桂 圭男]