改訂新版 世界大百科事典 「改革宴会」の意味・わかりやすい解説
改革宴会 (かいかくえんかい)
Banquets
フランス,七月王政末期に王朝内反対派によって始められた政治運動の一形態で,1848年の二月革命の直接のきっかけとなった。七月王政末期に王朝内反対派は制限選挙の枠を広げることを目ざす選挙改革と議会改革を唱えたが,代議院(下院)は,1847年3月と4月におのおの否決した。議会内での改革に失敗した王朝内反対派は改革宴会という形で直接世論に訴えていく戦術をとった。宴会という形式をとったのは,当時公開の集会を開くことが禁じられていたためで,宴会で乾杯を唱える時を利用して演説し,宣伝活動を展開した。最初の宴会は47年7月9日にパリのシャトー・ルージュで開催され,その後地方にも広がっていった。宴会を主宰したのは名士がほとんどであり,最初は革命的な傾向は全くみられなかった。しかし,特に47年11月7日のリールの改革宴会で急進派のルドリュ・ロランが普通選挙を要求して以来,宴会は急進化していった。しかし,首相のギゾーはあらゆる譲歩を拒否したため,反対派は48年2月22日にパリで改革宴会を組織しようとし,急進派は国民軍と学生に対して示威運動を訴えた。政府は2月21日宴会を禁止し,宴会組織委員会は結局中止を決定した。しかし,2月22日労働者と学生は示威運動を強行し,2月23日示威運動参加者に対する発砲事件を契機として23日から24日の夜バリケードがたてられ,二月革命の口火が切られる。
執筆者:木下 賢一
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