改訂新版 世界大百科事典 「レバント美術」の意味・わかりやすい解説
レバント美術 (レバントびじゅつ)
Levant art
スペイン東部のレバント地方に広く分布する,中石器時代の岩陰壁画をいう。それらはレリダ,タラゴナ,テルエル,カステリョン,クエンカ,バレンシア,アルバセテ,ムルシア,ハエン,アルメリアの諸地方に広がっており,約40の遺跡が見いだされる。
壁画のほとんどは,赤または黒の単色で描かれた彩画で,刻画はきわめて乏しい。形象は概して小さく,動物像では75cm,人物像では30cmを超えるものは少なく,平均の大きさは10cm前後である。これらの壁画の特徴は,人間の描出が非常に多いこと,その人物が動物とさまざまな形で結合することである。種々の状態で動物と対峙する狩人,獲物を追う狩人の群れや勢子(せこ)による狩出しなど,狩猟の場面がとくに多い。このほか,戦いの光景,裸の男を中心に着衣の女たちが輪舞する舞踊図,はちみつの採集,会話する女たち,仮面をかぶった呪術師など,日常生活の諸場面の描写がある。
表現上の特徴は,動物がかなり写実的に表されるのに対し,人物は極度に様式化されることである。男性像の多くは全裸であるが,ときには褌(ふんどし)とか長ズボンをつけたり,頭に羽製の帽子をかぶったり,総(ふさ)つきのケープをまとったりする。また腕輪や脚輪をつけることも多く,大部分の人物が弓矢を手にしている。これらの男性像には大別して次の四つの様式がある。(1)自然の人体に忠実に,正確な比例に基づいて描いたもの。(2)帯のように身体が極端に長く伸ばされたもの。丸い頭,逆三角形の長い胸,細い腰,長くて太い脚をもつ。(3)脚は著しく誇張されて太いが,胴は非常に細く短く,また頭は横を向くもの。(4)針金のような細い線に還元された,きわめて様式化されたもの。一方,女性は釣鐘形のスカートをはくことが多く,まれに簡単な腰巻をまとい,また腕輪をつけることが多い。これらの人物像はしばしば〈表現主義的〉であるといわれるが,それは作者の関心が人物の姿態に対してでなく,その行為にむけられて,著しくデフォルメされているからである。動物では,サイ,熊,ライオン,レイヨウ,牛,ビゾン,馬,鹿,イノシシ,トナカイ,ヤギ,そしてまれに家畜化された犬や,クモ,ミツバチ,ハエなどの虫類が描かれる。
人物と動物は狩猟などの場面において互いに関連するため,これらの壁画は一種の物語的性格をおびる。しかも形象の様式化による自然との隔離は,人物や動物そのものの姿よりも,むしろ狩猟,戦闘,舞踊などの場面の表現と運動表現をいっそうきわだたせる。その意味で,レバント美術は旧石器時代美術と同じく採集狩猟民の手になりながら,両者の性格は著しく異なっている。ブルイユなどの旧石器時代説が退けられ,中石器時代説が定説となったゆえんである。
執筆者:木村 重信
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報