鹿野苑(読み)ロクヤオン

精選版 日本国語大辞典 「鹿野苑」の意味・読み・例文・類語

ろくや‐おん‥ヲン【鹿野苑・鹿野園】

  1. ( [梵語] Mṛgadāva の訳語 ) 古代、北インド波羅奈国にあった林園。今のバラナシ北東郊のサールナートにある。釈迦が悟りを開いて後、初めて説法し、憍陳如(きょうちんにょ)など五人の比丘を導いた所。古くは神仙住処とされ、鹿が多く住んでいたところからの名。鹿苑。鹿の苑(その)
    1. [初出の実例]「阿含(あごむ)経の鹿の声、ろくやをんにぞ聞こゆなる」(出典梁塵秘抄(1179頃)二)
    2. [その他の文献]〔雑阿含経‐二三〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿野苑」の意味・わかりやすい解説

鹿野苑
ろくやおん

インドの仏跡。詳しくは仙人住処(せんにんじゅうしょ)鹿野苑(サンスクリット語でリシパタナ・ムリガダーバ)といい、「宗教者の集まる鹿(しか)の放し飼いされている園林」という意である。現在はインドの聖地ベナレス(ワーラーナシ)の北東10キロメートルのサールナートにあたり、釈迦(しゃか)が悟りを開いてのち最初に説法した(初転法輪(しょてんぼうりん))場所として、仏教四大聖地の一つとして尊ばれている。ここから紀元前3世紀にアショカ王の建てた石柱が発見され、その柱頭の4頭のライオン像はインドの国章、台座の法輪は国旗として使われている。そのほか直径28メートルのダメーク塔(6世紀)やアショカ王によって建造されたダルマラージカ塔の遺跡があり、博物館には出土遺品が陳列されて圧巻である。

[森 章司]

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改訂新版 世界大百科事典 「鹿野苑」の意味・わかりやすい解説

鹿野苑 (ろくやおん)

古代インド,カーシー国にあった園林で,釈迦が悟りをひらいた後,初めて説法(初転法輪)を行った場所。サンスクリットのムリガダーバMṛgadāva(パーリ語でミガダーヤMigadāya)の漢訳。現在のサールナート(〈鹿の王〉の意)にあたる。経典によればこの初転法輪の地は自然に恵まれ,古くから神仙の住む所とされていたという。地名の由来については,当地の王がこの森で狩りをし,一度捕らえた鹿をあわれんで放したという故事が伝えられている。仏教の四大聖地の一つとして寺院も建立され,栄えていたさまは《大唐西域記》にも描かれているが,13世紀ころイスラム教徒の侵入により廃墟となった。
サールナート
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百科事典マイペディア 「鹿野苑」の意味・わかりやすい解説

鹿野苑【ろくやおん】

インドの仏教霊地。サンスクリットのムリガダーバの漢訳。鹿林,鹿苑とも。中部インドのバラナシの北方にあった。釈迦が最初に説法を行った所で,四大霊場の一つ。
→関連項目サールナートバラナシ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鹿野苑」の意味・わかりやすい解説

鹿野苑
ろくやおん

「サールナート」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の鹿野苑の言及

【サールナート】より

…北インドのワーラーナシーの北6kmにあり,釈迦が初めて説法した聖地として四大仏跡の一つに数えられている。漢訳仏典では鹿野苑(ろくやおん)。発掘の結果,アショーカ王(前3世紀中葉)の頃から12世紀までの遺址と多数の彫刻が出土し,ダルマラージカー塔と根本精舎を中心にグプタ時代に最も栄えたことが明らかになった。…

※「鹿野苑」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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