アイブズ

百科事典マイペディア 「アイブズ」の意味・わかりやすい解説

アイブズ

米国作曲家。バンド・リーダーの父に音楽教育を受け,イェール大学で作曲とオルガンを学ぶ。1907年,保険会社の代理店を設立し副社長就任。以来〈日曜作曲家〉として作品を書き,長らく無名に近い存在として過ごした。1947年,完成(1911年)後三十数年を経て初演された《交響曲第3番キャンプの集い》がピュリッツァー賞受賞し,ようやく注目を浴びる。シェーンベルクストラビンスキーに先駆けて様々な前衛的手法を開拓し,〈偶然性〉(偶然性の音楽参照)や4分音にまでいち早く手を染めた作曲家として,現在では20世紀前半の大作曲家の一人に数えられる。作品はいずれも郷里ニューイングランド精神文化に根ざし,〈引用旋律が大胆に用いられた《交響曲第2番》(1900年−1902年,1951年バーンスタインにより初演),2つの弦楽四重奏曲(1896年,1907年−1913年),管弦楽曲《ニューイングランドの3つの場所管弦楽組曲第1番)》(1908年−1914年),ピアノのための《コンコード・ソナタ》(1911年−1915年),2群の管弦楽による《交響曲第4番》(1910年−1916年,1965年ストコフスキーによって初演)などが知られる。→E.C.カーター

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改訂新版 世界大百科事典 「アイブズ」の意味・わかりやすい解説

アイブズ
Charles Edward Ives
生没年:1874-1954

アメリカの作曲家。コネティカット州に生まれ,幼時からバンド・リーダーであった父ジョージから天衣無縫の音楽教育を受け,イェール大学でH.W.パーカーに作曲を学んだ。卒業後は保険会社に入社,1907年にはワシントン生命保険会社の代理店を設立し,実業家として成功を収めた。作曲家としての作品もほぼ1902-17年に集中して書かれており,29年には実業界からも引退し,以後コネティカットの農場で悠々自適の生活を送った。47年,《交響曲第3番“キャンプの集い”》(1904-11)でピュリッツァー賞を受けるまではほとんど無名だったが,今日ではアメリカが生んだ真にアメリカらしい最初の作曲家として,高く評価されている。その作品はエマソンの超絶主義哲学の影響が強く,作品を表面的に複雑多様な要素の混合物とし,技法的には無調,複調,トーン・クラスターなどを先取りしている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アイブズ」の意味・わかりやすい解説

アイブズ
Ives, Charles Edward

[生]1874.10.20. コネティカット,ダンベリー
[没]1954.5.19. ニューヨーク
20世紀初頭のアメリカを代表する作曲家。その急進的技法と特異の思想性によって,晩年から没後にかけて高い評価を受ける。エール大学で H.パーカーに師事。『アメリカ変奏曲』 (1891) で早くも多調を試みる。アメリカのポピュラー音楽とヨーロッパの古典音楽を土台として,トーン・クラスター,微分音,偶然性などの要素を導入。 1947年『第3交響曲』 (1904~11) でピュリッツァー賞を受賞。 16年以降は作曲から遠ざかり,保険事業家として成功した。

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世界大百科事典(旧版)内のアイブズの言及

【コラージュ】より

…モーツァルト,モンテベルディ,グルック,ビゼー,ベルディ,ワーグナーらの古典曲から,ウェーベルン,ブーレーズらの現代曲にいたるまで,多様な引用によるコラージュ形式のオペラを試みている。20世紀初頭のアイブズの《弦楽四重奏曲第2番》(1913)をはじめとする数多くの作品は,こうした傾向をすでにみせており,賛美歌や民謡,チャイコフスキー,ブラームスなどの古典曲が引用,コラージュされている。ケージの《クレド・イン・US》(1942)では,器楽演奏とともに,レコードにより既存の音楽をコラージュする。…

※「アイブズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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