コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

アインハルト アインハルトEinhard

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

アインハルト
Einhard

[生]770頃.マインガウ
[没]840.3.14. ゼリゲンシュタット
カロリング朝時代のフランク王国の歴史家。カルル1世 (大帝) の信任を得,学校教師のほか,土木建築と外交を担当。ルートウィヒ1世 (敬虔王) ,ロタール1世をも補佐した。主著『カルル大帝伝』 Vita Caroli Magniは,文体は在来のキリスト教文学を模したものであるが,記述の正確さで高く評価されている。古代建築に造詣深く,アーヘン大聖堂の建設を指導。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

アインハルト【Einhard】

770ころ‐840
カール大帝伝Vita Caroli Magni》の著者。ラテン名エギンハルドゥスEginhardus,フランス名エジナールEginhard。マイン峡谷の名家の生れ。フルダ修道院学校をへてカール大帝の宮廷学校に学ぶ。カロリング・ルネサンスの体現者の一人で,アーヘン等の建築監督を行ったためベゼレエルBeseleelと呼ばれた。ルートウィヒ敬虔帝の下で重用され,817年ロタールの師傅(しふ)となるが,父子の争いに耐えられず,自ら創設したゼーリゲンシュタットSeligenstadt修道院に入り,ここで没した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

アインハルト
あいんはると
Einhard
(770ころ―840)

フランク王国の宮廷学者で、カール大帝の伝記作者。東フランク貴族の家に生まれ、フルダ修道院やイギリスの神学者アルクインのもとでギリシア、ラテンの古典を学び、師の後継者として宮廷学校の教師となり、カロリング朝ルネサンスを推進した。ウィトルウィウスなど建築学の古典にも通暁し、アーヘンの王宮の設計を指導したほかに、カール大帝の政治上の助言者としても活躍し、ローマ教皇への使節も務めた(806)。続くルイ1世(敬虔(けいけん)帝)の信任も厚く帝の長子ロタール1世の教育をゆだねられ、俗人の身でいくつかの大修道院の院長に任命された。敬虔帝と息子たちの抗争に巻き込まれるのを避け、830年ゼーリゲンシュタットに隠退、『カール大帝伝』Vita Caroli Magniを執筆した。本書はスエトニウスの『ローマ皇帝伝』に範をとり、カロリング朝ルネサンスを代表する作品として後世に大きな影響を与え、また彼の残した多くの書翰(しょかん)とともに、この時代の政治史の重要な史料でもある。[平城照介]
『国原吉之助訳『カール大帝伝』(『世界文学大系66 中世文学集2』1966・筑摩書房)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

世界大百科事典内のアインハルトの言及

【カロリング・ルネサンス】より

… カールの治世当初の荒廃した知的環境のもとでは,ラテン的・キリスト教的な古典復興の仕事は,かろうじて古典を保存できた修道院出身の学識ある聖職者の手にゆだねられた。宮廷の周辺には,アインハルトのようなフランク人もいたが,イングランドのアルクイン,イタリアのペトルスPetrus,スペインのテオドゥルフThéodulf(750ころ‐821)のように,外国から招かれた学者が多く,この運動の全西欧的な性格を示している。アイルランドの修道院が正しいラテン語の教育に貢献したこと,〈カロリング朝の小字体〉が16世紀以来活字体ローマ字にモデルをあたえたことも特筆されよう。…

※「アインハルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

アインハルトの関連キーワード宝亀ロタール[1世]百済教法ルートウィヒ[1世]ロタール[1世]アインハルト平王孝謙天皇藤原良継孝謙天皇

アインハルトの関連情報