改訂新版 世界大百科事典 「アカデメイア」の意味・わかりやすい解説
アカデメイア
Akadēmeia
前387年ころ,アテナイの北西郊外にある公共体育場アカデメイアを利用するかたちでプラトンによって開設された学園。教育カリキュラムなど不明だが,数論,幾何学,天文学などが最重要の予備学として教授研究されたことは確実である。学園の究極目的は哲学研究にあったが,衰えつつあったギリシア諸国家を救うための,哲学的訓練に基づく理想的な政治家の養成が重要な実践的目的とされていたことも注目される。このアカデメイアにおける学問の純理論的数学的性格と実践的性格は,以後のヨーロッパ的学問の伝統的性格を規定し,形成したといわれる。学園にはすでに独立の研究者であったエウドクソスがその弟子とともに加わり,アリストテレスが17歳で入門するなど,広くギリシア各地から研究者や学生が集まった。プラトンの没後,甥のスペウシッポスSpeusipposが第2代学頭となり,クセノクラテスがその後を継いだ。学園はその学問の傾向において,イデア論的形而上学から数学主義,懐疑主義から折衷主義へと変わり,また中断の時期はあったが,東ローマ皇帝ユスティニアヌスの勅令(529)による活動停止まで900年余にわたって存続し,古代ギリシア・ローマ世界における学問研究のセンターとして大きな役割を果たした。また,イタリアのルネサンス期フィレンツェにおいてフィチーノらがメディチ家の保護をうけてアカデメイアを復興したが,以後これはプラトニズムの中心として広くヨーロッパに影響を与えた。
→アカデミー
執筆者:廣川 洋一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報