翻訳|Addis Ababa
エチオピア中央部に位置する同国の首都。人口208万4588(1994センサス)、253万4000(1999推計)、360万3568(2019推計)。アディス・アベバは「新しい花」を意味し、その名のとおり街全体は美しい花々や緑の草木に満ちている。北緯7度という熱帯にありながら、エントト山系の高原(標高2400メートル)の森のなかにあるため気候はさわやかである(年平均気温16.6℃)。気圧が低く酸素の量が少ないので、外国人は軽度の高山病にかかることがあるが、ときどき大地溝帯の低地に降りて濃い空気を吸えば健康には問題ない。
1887年メネリック2世は温泉のわくこの地を都に定め、草深い寒村に宮殿ができ、コプト教会が建ち、橋が架かり、道路が舗装され、鉄道が敷かれた。とくに1936年イタリア占領下で市街の近代化が始まり、1941年イギリス軍の力で解放されてからは、イギリス人の都市計画で近代化が進められた。四方を小高い山に囲まれてどんぶりのような形をしたこの町は、東西19キロメートル、南北16キロメートルの広がりをみせ、中心部の半径3キロメートルの範囲がにぎやかである。舗装されたりっぱな表通りに沿って近代建築が立ち並んでいるが、その裏手にはユーカリの木立に囲まれた土壁の貧しい民家がひしめいている。アディス・アベバ付近の景観を特徴づけるユーカリは20世紀初頭オーストラリアから移植したものだが、まるでエチオピア原産のように気候風土に完全に溶け込んでいる。
中央集権的な政治体制のために、アディス・アベバは同国の教会、政治、経済、教育など、すべての中心になっており、国連アフリカ経済委員会(ECA)本部は1958年の設立以来、また、アフリカ連合(AU)事務局本部も1963年にアフリカ統一機構として設立以来この地にある。アディス・アベバ大学は1950年に開校され、人文、理、教育、工学部などをもつ四年制大学である。
コーヒー、皮革などの集散地としても栄え、タバコ、セメント、綿織物、皮革製品、金属細工などが有名。市の東方ではサトウキビの灌漑(かんがい)耕作が行われ、製糖、繊維など各種工業が集中しエチオピア工業の中心をなしている。ジブチ共和国のジブチ港に通じる鉄道の始発駅は都心から南3キロメートルほどの低地にあり、国際空港は南東の町ボレにある。市内の電力は郊外のアキキ湖の水力発電所から供給されている。
[諏訪兼位]
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