アメリカン・バレエ・シアター(読み)あめりかんばれえしあたー(その他表記)American Ballet Theatre

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アメリカン・バレエ・シアター
あめりかんばれえしあたー
American Ballet Theatre

アメリカバレエ団。1939年ルチア・チェイスLucia Chase(1897―1986)、リチャード・プレザントRichard Pleasant(1906―1961)によって設立された。世界各国のさまざまなスタイルのさまざまな時代の作品を上演するのを目的として発足。その伝統はいまでも生きており、モダン・ダンスの前衛舞踊家トワイラ・サープTwyla Tharp(1941― )やバランチンマクミランの作品をレパートリーに加えている。また、ナタリア・マカロワNatalia Makarova(1940― )、森下洋子カルラ・フラッチCarla Fracci(1936―2021)、リチャード・クラガンRichard Cragun(1944―2012)ら世界的なダンサーをゲストとして招いている。チューダーの『火の柱』、フォーキンの『レ・シルフィード』『カルナバル』、デミルの『ロデオ』、ロビンズの『ファンシー・フリー』など、古典作品のみならず20世紀の主要な振付家の名作をレパートリーにもつ。おもなダンサーには、マカロワ、イーゴリ・ユースケビッチIgor Youskevitch(1912―1994)、ニーナ・アナニアシビリNina Ananiashvili(1963― )、フリオ・ボッカJulio Bocca(1967― )、アレッサンドラ・フェリAlessandra Ferri(1963― )、ジュリー・ケントJulie Kent(1969― )らがいる。1980年にチェイスとプレザントが辞任した後、歴代芸術監督バリシニコフ、ジェーン・ハーマンJane Hermann(1935― )、オリバー・スミスOliver Smith(1918―1994)、ケビンマッケンジーKevin McKenzie(1954― )が引き継ぎ、バレエ団の多彩なレパートリーを維持しつつ、新たな展開を続けている。

[市川 雅・國吉和子]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 の解説

アメリカン・バレエ・シアター
American Ballet Theater

ニューヨークを中心に活躍するバレエ団。1937年創立のモルドキン・バレエ団の残党を中心として,チェーズLucia ChaseとプレザントRichard Pleasantが39年秋に創立。当初は単に〈バレエ・シアター〉と称し,40年1月ニューヨークのラジオ・シティ・センターで4週間にわたる旗揚げ公演を開いた。フォーキンの《レ・シルフィード》,モルドキンMikhail M.Mordkinの《春の声》,ドーリンAnton Dolinの《クインテット》などで,11人の振付師,85人の舞踊手で21のレパートリーを上演。このうち6作品が世界初演であった。ダンサーとしてはチェーズ,ドーリン,W.ダラー,N.ケイなどがいた。11月と12月はシカゴ歌劇場の座付バレエ団となったが,特定の芸術監督を置かず,当初はドーリン,チューダー,ローリングEugene Loringの3人を座付振付師にした。46年のヨーロッパ公演を第1回として,海外公演も多く,60年9月,ソ連を訪問した最初のアメリカのバレエ団になった。1957年に現在の名称となり,60年末にはワシントンに本拠を移したが,成功せずにいったん解散,64年秋ニューヨークに戻った。しかし71年,ワシントンのケネディ・センターの公式バレエ団になった。1950年末から1シーズンだけメトロポリタン歌劇場の座付バレエ団になったこともあるが,現在は独立のバレエ団として同歌劇場を本拠としている。バレエ団自体の個性が強くないのはレパートリーが必ずしも体系的でないためであるが,近年は国際スターの客演も多い。バレエ史上に残る名作の〈博物館〉志向もあって,《白鳥の湖》《ジゼル》から,ディアギレフの《ペトルーシカ》《薔薇の精》のリバイバルもするが,新作の委嘱にも心がけている。80年9月以降,ソ連からの亡命舞踊家バリシニコフMikhail Baryshnikovが芸術監督に就任した。ダンサーとしてはソ連からの亡命者N.マカロワのほか,F.ブホネス,G.カークランド,C.グレゴリーらがいる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア の解説

アメリカン・バレエ・シアター

米国最大のバレエ団の一つ。1939年にモードキン・バレエ団が発展的に解消して,ルシア・チェーズ〔1897-1986〕とリチャード・プレザント〔1906-1961〕によって〈バレエ・シアター〉として創立。1940年第1回公演,1957年現名に改称。古典名作の上演とともに,チューダーロビンズ,アグネス・デ・ミル〔1909-1993〕などのアメリカ的新作バレエの上演にも努め,多くの傑作を生んでいる。踊り手としては古くはノラ・ケイ〔1920-1987〕,アロンソなどが活躍,1970年代にはキーロフ劇場(現マリインスキー劇場)からの亡命ダンサー,ナタリア・マカロワ〔1940-〕,バリシニコフが参加して話題をまいた。1968年に初来日。
→関連項目ドラティドーリン森下洋子

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

アメリカン・バレエ・シアター
American Ballet Theatre

アメリカ有数のバレエ団。 1939年「あらゆる時代のあらゆるスタイルのバレエを上演する博物館」を唱えて創設。当初はバレエ・シアターと称していた。アメリカ・モダン・バレエの名を世界にとどろかせた J.ロビンズの『ファンシー・フリー』『結婚』,A.チューダーの『火の柱』『ライラック・ガーデン』『暗い悲歌』,A.デミルの『ビリー・ザ・キッド』などをレパートリーにし,A.アロンソ,N.ケイらのすぐれたダンサーを生んだ。ディレクター,L.チェズ (1897~1986) の意欲的な姿勢によって新人登用の機会も多く,『先駆者』『真夜中に』を作った E.フェルドらもここから育った。 76年森下洋子が『白鳥の湖』『ドン・キホーテ』に登用され,出演。 80年から M.バリシニコフが芸術監督をつとめたが,90年,創立 50周年記念公演を最後に退団。のち J.ヘルマンと O.スミスが引継いだ (90~92) 。現在の芸術監督は K.マッケンジー。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉プラス の解説

アメリカン・バレエ・シアター

アメリカのニューヨークを拠点とするバレエ団。1939年に設立。歴代の芸術監督はルシア・チェーズ、ミハイル・バリシニコフなど。ジョージ・バランシン、ミハイル・フォーキン、レオニード・マシーンらの振付による作品を数多く初演。アメリカを代表するバレエ団の一つとして、世界的に知られる。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のアメリカン・バレエ・シアターの言及

【バレエ】より

…このバレエ団は,バランチンのストーリーのない〈抽象バレエ〉を多く上演しており,これは新しい時代の新しいバレエとして注目され,その影響は全世界に及んでいる。また39年〈バレエ・シアター(のちのアメリカン・バレエ・シアター)〉も結成され,前者に対抗するバレエ団として活躍している。このバレエ団は前者に比べると,より広範な演目をもち,20世紀前半に活躍したいくつかの〈バレエ・リュッス〉の傾向を踏襲するものといえる。…

※「アメリカン・バレエ・シアター」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android