ロビンズ(読み)ろびんず(英語表記)Lionel Charles Robbins

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ロビンズ」の意味・わかりやすい解説

ロビンズ(Frederick Chapman Robbins)
ろびんず
Frederick Chapman Robbins
(1916―2003)

アメリカの小児科医師、ウイルス学者。1940年ハーバード大学医学部を卒業。ボストンの小児病院で細菌学研究に従事、1942年、陸軍の第15医学総合研究所に入り、ウイルス・リケッチア部長として伝染性肝炎発疹(はっしん)チフスQ熱の調査を進め、またおたふくかぜを研究。第二次世界大戦後、ボストン大学医学部に勤め、小児中央病院感染症研究所で、エンダーズウェラーとともにウイルスの組織培養の研究を展開。その間にポリオ不活性化ワクチンの創作に成功した。この業績で前記2名とともに1954年ノーベル医学生理学賞を受賞。彼らのワクチンは各国で利用されたが、「セービン生(なま)ワクチン」の偉力に圧倒された。1952年ウェスタン・リザーブ大学(現、ケース・ウェスタン・リザーブ大学)教授

藤野恒三郎


ロビンズ(Lionel Charles Robbins)
ろびんず
Lionel Charles Robbins
(1898―1984)

イギリス経済学者。イングランドの南東部ミドルセックスに生まれる。ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスで教育を受け、同大学の助手、講師を経て、経済学の教授(1929~61)、非常勤教授(1962~67)、名誉教授(1967~80)を務める。その間、1930年に新設の経済諮問委員会(五人委員会)に参加、大不況を克服するために輸入制限や公共事業の促進を勧めるJ・M・ケインズ、A・C・ピグーらに反対し孤軍奮闘、反ケインズの立場を固守した。また、高等教育委員会委員長(1961~63)としてイギリスの高等教育の改善にも貢献した。ロビンズは、主著『経済学の本質と意義』An Essay on the Nature and Significance of Economic Science(1932)のなかで、「経済学は人間行動を所与の目的と択一的な用途をもつ希少な手段との間の関係として研究する科学である」と経済学を定義したことでよく知られている。彼は、経済学の基本的公準を内省に基づきアプリオリに真であると考えており、オーストリア学派の影響が色濃くみられる。

[佐藤隆三]

『辻六兵衛訳『経済学の本質と意義』(1957・東洋経済新報社)』『市川泰治郎訳『古典経済学の経済政策理論』(1964・東洋経済新報社)』


ロビンズ(Jerome Robbins)
ろびんず
Jerome Robbins
(1918―1998)

アメリカの舞踊振付者。ニューヨークに生まれる。アメリカン・バレエ・シアターのダンサーとして出発、1944年に『ファンシー・フリー』を振り付けて有名になった。これは同年にミュージカル『オン・ザ・タウン』としてブロードウェーで上演された。49年以降ニューヨーク・シティ・バレエ団の副ディレクターとして振付けに従事し、『不安の時代』(1950)、『檻(おり)』(1951)、『牧神の午後』(1953)などを上演し、同バレエ団独特のシャープなスタイルをつくった。また、ブロードウェー・ミュージカル『ウェスト・サイド物語』(1957)、『屋根の上のバイオリン弾き』(1964)などの振付け・演出をして空前の当たりをとった。『ウェスト・サイド物語』映画版では、ロバート・ワイズとともに監督も務め、アカデミー賞を受けた。G・バランチン亡きあと、ニューヨーク・シティ・バレエ団の新作のために努力してきた。

[市川 雅]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ロビンズ」の意味・わかりやすい解説

ロビンズ
Robbins, Jerome

[生]1918.10.11. ニューヨーク
[没]1998.7.29. ニューヨーク
アメリカの舞踊家,振付師。 A.チューダー,E.ローリングらに学び,ミュージカルのダンサーなどを経て,1940年バレエ・シアター (現アメリカン・バレエ・シアター ) に入り,『ペトルーシカ』などを踊った。同時に振付師として L.バーンスタインの音楽による『ファンシー・フリー』 (1944) ,『インタープレイ』 (45) などを発表。 49年からニューヨーク・シティー・バレエ団に参加,『檻』 (51) ,『牧神の午後』 (53) などを振付けた。また 58年にはバレエ USAを創設,ヨーロッパで人気を得る。一方『ファンシー・フリー』を発展させた『オン・ザ・タウン』 (45) ,『王様と私』 (51) ,『ウエスト・サイド物語』 (57) ,『ジプシー』 (59) ,『屋根の上のバイオリン弾き』 (64) など数々のミュージカルの演出,振付をし世界にその名を知られるようになった。その親しみやすい作風によって,バレエとミュージカルの両分野で 20世紀最もすぐれた振付師の1人といわれている。

ロビンズ
Robbins, Lionel Charles

[生]1898.11.22. ミドルセックス,スイプソン
[没]1984.5.15. ロンドン
イギリスの経済学者。 1930年代のロンドン学派の指導者の一人。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び,第1次世界大戦に参加後,オックスフォードのニュー・カレッジ講師,29~61年母校教授 (1968~74同校理事長) 。この間戦時内閣経済局長,王立経済学会会長や高等教育委員会委員長,"Financial Times"紙会長,王立歌劇場理事,美術館役員などを歴任し,第2次世界大戦後のイギリスにおける文化,教育面でも貢献。 59年男爵。経済学の希少性定義と A.ピグーの『厚生経済学』批判で著名な『経済学の本質と意義』 An Essay on the Nature and Significance of Economic Science (32) をはじめ『自伝』 Autobiography of an Economist (71) など著書多数。

ロビンズ
Robbins, Frederick Chapman

[生]1916.8.25. アラバマ,オーバーン
[没]2003.8.4. オハイオ,クリーブランド
アメリカの小児科医,ウイルス学者。 1940年ハーバード大学医学部を卒業,ボストンの小児病院で2年を過ごす。 1942年,陸軍に入り,第2次世界大戦中,地中海戦域の第 15医学総合研究所ウイルス・リケッチア部長として,流行性肝炎,発疹チフス,Q熱の研究に従事した。 1948年,小児病院で J.エンダーズ,T.ウェラーとともに研究することになり,当時ウイルスは生きた細胞の中でしか増殖しないといわれていたが,生体と同じ条件にして培養実験をして 1952年に成功。これによって小児麻痺ワクチンの製造や新しいウイルスの単離が可能となった。その功績で 1954年,エンダーズ,ウェラーとともにノーベル生理学・医学賞を受賞した。 1952年からクリーブランド州立総合病院の小児・伝染病科の部長,ケースウェスタンリザーブ大学の小児科教授。

ロビンズ
Robins, Benjamin

[生]1707. イギリス,バス
[没]1751.7.29. インド,マドラス
イギリスの数学者で軍事技術者。 1740年代の多くの実験によって,砲術科学に最初の重要な礎石を置いた。ロンドンで学び,数学の教師をしながら弾道学を研究,ガリレイが発見した弾丸の放物線運動に空気抵抗の理論を加えて修正したニュートン学説を支持する論文を発表,一躍注目された。 1740年弾丸の速度の測定に用いる特殊な弾道振り子を発明,1742年『新砲術原理』 New Principles of Gunneryを発表して,砲術科学に根本的な変革をもたらした。この書はドイツ,フランスで翻訳され,砲兵学校の教科書とされた。のちイギリス東インド会社にその知識と技術をもって招かれたが,マドラス防衛を計画中に熱病で死亡した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報