百科事典マイペディア 「マリインスキー劇場」の意味・わかりやすい解説
マリインスキー劇場【マリインスキーげきじょう】
→関連項目アサフィエフ|アメリカン・バレエ・シアター|ウラノワ|ガヤネー|カルサビナ|ジゼル|ストラビンスキー|スペシフツェワ|チェケッティ|ディアギレフ|ニジンスキー|ヌレーエフ|白鳥の湖|パブロワ|バランチン|フォーキン|フォンテイン|ムラビンスキー|レ・シルフィード|ワガノワ
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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…ロシアにおけるバレエは,17世紀の初めピョートル大帝が,ルイ14世を見習って舞踊を民衆の娯楽として採用したことに始まるが,エカチェリナ2世の時代(1762‐96)になって,フランスから多くの優秀な振付師,教師が招かれて急速に発展した。1847年にはフランスからM.ペチパが招かれ,ペテルブルグのボリショイ劇場,のちのマリインスキー劇場の振付師として画期的な名作を数多く上演し,この劇場を世界のバレエの中心とした。19世紀末になるとそれも終りを告げるが,死の灰の中から不死鳥が生まれるように,ディアギレフがマリインスキー劇場の若い舞踊家たちを集めて〈バレエ・リュッス〉を組織し,1909年パリで旗揚げをして大成功をおさめた。…
…このとき上演された《アルミードの館》《レ・シルフィード》《クレオパトラ》などは,その具体例であって,19世紀的なものからの完全な脱却ではないが,技巧に走ることを慎み,19世紀のバレエの常套的衣装をできるだけ避けるなどの改革が示された。また当時ロシアのみに保たれていた厳格な古典舞踊教育機関(ペテルブルグ帝室マリインスキー劇場舞踊学校)の養成したA.パブロワ,T.P.カルサビナ,ニジンスキーの演技はパリの観衆に熱狂的に迎えられた。さらにボロジンのオペラ《イーゴリ公》第2幕における男性舞踊手群の勇壮な戦士の踊りが,この公演を決定的なものとした。…
…従来の正称はキーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場(通称キーロフ劇場)バレエ団。1991年に旧称のマリインスキー劇場に戻った。劇場の歴史は1783年創立のペテルブルグのボリショイ(カメンヌイ)劇場に始まるが,バレエ団の起源はさらに古く,1738年開校の舞踊学校卒業生が宮廷舞踊劇に出演した42年とされている。…
※「マリインスキー劇場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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