アメリカ独立戦争(読み)アメリカどくりつせんそう(英語表記)United States War of Independence

  • アメリカどくりつせんそう〔ドクリツセンサウ〕

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

北アメリカ十三植民地が,イギリス本国の重商主義政策に反抗して,独立を達成した戦争。アメリカ独立革命 American Revolutionともいう。イギリスはアメリカ植民地に対し,次第に重商主義政策を強めていたが,七年戦争 (1756~63) によって悪化した財政状態を建直すため,さらに新しくきびしい植民地政策をとった。国王宣言 (63) ,通貨法 (64) ,砂糖法 (64) ,印紙税法 (65) ,軍隊宿営法 (65) ,タウンゼンド諸法がこれである。植民地人はこれに反抗し,イギリス商品不買運動,本国議会への請願を繰返したが,1770年3月5日にはボストン虐殺事件,73年 12月 16日にはボストン茶会事件などが起った。イギリスは植民地懲罰諸法を定め,植民地側は 74年大陸会議を結成してこれに対抗し,75年4月 19日レキシントンとコンコードで本国軍と植民地民兵が衝突し,独立戦争が始った。同年5月開かれた第2回大陸会議では,独立を主張する愛国派,本国との和解を望むロイヤリスト (王党派) が対立したが,その後戦争の進展や T.ペインの『常識』の刊行もあって愛国派の勢力は増大し,大陸会議は 76年7月4日,T.ジェファーソンの起草になる独立宣言を公布した。アメリカ独立軍の戦いは苦しかったが,77年 10月 17日サラトガで勝利を収めると,フランスはやがて米仏同盟を結び,加えてスペイン,オランダなどもイギリスに敵対行動をとったので,状況は次第に独立軍に有利となった。イギリスは戦場をロイヤリストの多い南部に移して戦ったが,アメリカ,フランスの共同作戦のため,81年 10月 19日ヨークタウンで司令官 C.コーンウォリスが降伏し,戦争は事実上終了した。イギリスとの和平条約は 83年9月3日パリで調印され,アメリカの独立,その領土として西はミシシッピ川まで,南は東西フロリダまで,北は五大湖と北緯 45度までの地域が決定された。

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旺文社世界史事典 三訂版の解説

アメリカの13植民地がイギリス本国の重商主義政策に反抗して開戦し,1783年独立を勝ちとった戦争
七年戦争後,イギリスは財政難打開のため,砂糖法・印紙法・タウンゼンド諸法・茶法などを制定して重商主義的規制を強化した。これに対して,自主性を高めつつあった植民地人は,イギリス商品不買運動・ボストン茶会事件などを起こして抵抗,1774年大陸会議を開き,75年レキシントンの戦いで,独立戦争に突入した。初めワシントン指揮の独立軍は苦戦を続けたが,1776年独立宣言を発し,フランス・スペインの参戦,ロシア・プロイセンなどの武装中立同盟などの支援を得て形勢有利となり,81年のヨークタウンの戦い大勢を決し,83年のパリ条約で独立が承認された。1787年アメリカ合衆国憲法を制定し,連邦共和国家となった。この独立戦争は,同時に本国王党派の土地・財産の没収とそれらの小農民への有償分与,長子相続制の廃止,信仰の自由の確立などの社会革命も遂行したので,アメリカ独立革命またはアメリカ革命ともいわれる。

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世界大百科事典内のアメリカ独立戦争の言及

【アメリカ独立革命】より

…18世紀後半アメリカにおけるイギリス領諸植民地がイギリス本国より独立し,共和制国家を設立するにいたった一連の運動をいう。
[革命前夜]
 18世紀後半のアメリカ植民地は,イギリス本国の重商主義体制の下での植民地として,確かに本国の政治的支配と経済的収奪とを受けていた。しかし,他面イギリス帝国の一環として,本国の重商主義体制の受益者でもあり,本国の規制にもかかわらず,植民地経済はしだいに繁栄発展していった。…

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