日本大百科全書(ニッポニカ) 「アメリカ通商代表部」の意味・わかりやすい解説
アメリカ通商代表部
あめりかつうしょうだいひょうぶ
Office of the United States Trade Representative
略称USTR。アメリカの通商政策に関して、大統領を補佐する機関。「1962年通商拡大法」を成立させたジョン・F・ケネディが、大統領行政命令により同年末に任命した特別通商代表Special Trade Representative(STR。翌1963年より活動開始)が最初である。閣僚級ではないものの、通商政策の策定において中心的役割を果たし、国務長官や商務長官と並んで、アメリカ政府の最高政策担当者の一人になるものとされた。ニクソン政権の初期には、その存在が忘れられるほどの地位の低下があったが、カーター政権時の「1974年通商法」により、大統領府(ホワイトハウス)の直属機関に格上げされた。これにより規模と権限が拡大し、「1930年関税法」「1962年通商拡大法」「1974年通商法」で規定する通商協定の実施にあたるものとされた。同時に、名称も「特別Special」をとった現在のものとなった。
USTRの権限は、アメリカの通商政策全般における決定から執行まで、広範に及ぶ活動領域が対象となっている。二国間・多国間の通商交渉はいうまでもなく、政権内の政策調整や既存協定の監視も行う。「1988年包括通商・競争力法」では裁量権が拡大され、スーパー301条に基づく不公正貿易の調査・勧告なども義務づけられた。また、USTRの代表には、特命全権大使として閣僚級の地位が与えられており、関税および貿易に関する一般協定(GATT(ガット))やそれを引き継いだ世界貿易機関(WTO)、経済協力開発機構(OECD)、国連貿易開発会議(UNCTAD(アンクタッド))などのアメリカ政府代表でもある。
USTR設置の考え方は、古くは国際貿易機構(ITO)の考え方にまでさかのぼるといわれるが、自由貿易を基調としたアメリカの通商利益を世界戦略のなかでいかに確保するかにあるものと思われる。東西冷戦構造下では、アメリカの安全保障・外交政策と通商政策との相克のゆえに、かならずしも十分に活躍ができない場面もみられたが、デタント(緊張緩和)とともにその権限が強まった。冷戦構造崩壊後の1990年代は、経済・通商の時代のなかで世界的な脚光を浴びるようにさえなっている。また、1970年代までのアメリカ通商の相手は、おもにヨーロッパであったが、やがて日米交渉のウェイトが高まり、アジア地域も重要な相手となった。対象も、貿易やそれに関連する補助金、投資の問題などが中心であったが、今日では、スペシャル301条に基づく知的財産権の侵害に関する調査・勧告など、さらに広範に及ぶ。その活躍ぶりから、今後ますますその重要性を増すものと思われる。
[広部和也]
『福島栄一監修、通商摩擦問題研究会編著『米国の88年包括通商・競争力法――その内容と日本企業への影響』(1989・日本貿易振興会)』