アレッツォ(その他表記)Arezzo

デジタル大辞泉 「アレッツォ」の意味・読み・例文・類語

アレッツォ(Arezzo)

イタリア中部、トスカーナ州の都市。エトルリア人の町に起源し、古代ローマの植民都市が置かれた。11世紀に自治都市になり、貴金属細工で発展。14世紀にフィレンツェ共和国の支配下になった。旧市街にはサンフランチェスコ聖堂サンタマリア‐デッラ‐ピエーベ教会アレッツォ大聖堂など、中世からルネサンス期の歴史的建造物が多く残っている。トスカーナ地方の典型的な田園風景が広がり、多くの映画の舞台になった。詩人ペトラルカ、「美術家列伝」を著したジョルジョ=バザーリの生地。

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改訂新版 世界大百科事典 「アレッツォ」の意味・わかりやすい解説

アレッツォ
Arezzo

イタリア中部,トスカナ州の同名県の県都。人口9万1620(1990)。近代的な農業の中心地で,良質のオリーブ油やキャンティ・ワインを産し,また大規模な繊維工場がある。アレッツォはエトルリア時代すでに文化活動の中心となった町で,黒粘土ブッケロ製の壺が多く出土しており,アレッツォ焼の産地としても知られる。自治都市時代を迎えると,町は急速に発展し,現在も残る貴族の館,教会堂,塔などが建てられた。市民文化の水準も高く,アレッツォ出身のグイットーネは,ダンテ以前の時代を代表する詩人の一人である。詩人ペトラルカもこの町で生まれた。1384年,フィレンツェとの戦いに敗れ,その支配下におかれたが,15~16世紀に入っても町の繁栄は続き,風刺文学者アレティーノや《芸術家列伝》の著者バザーリらを生んだ。建築家ベネデット・ダ・マイアーノや,画家ピエロ・デラ・フランチェスカなどはこの町に傑作を残している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレッツォ」の意味・わかりやすい解説

アレッツォ
Arezzo

イタリア中部,トスカナ州アレッツォ県の県都。フィレンツェ南東約 65km,キアナ川がアルノ川に合流する東部トスカナの肥沃な平野にある。ローマとフィレンツェに高速道路が通じる道路交通の要衝で,農産物の取引と商業の中心地。金細工を輸出。そのほか家具,食品工業が発達。古代エトルリアの重要な都市でアレチウムとローマ人に呼ばれ,前3世紀イタリア北部におけるローマの作戦基地となった。キマイラなどすぐれたアルカイックの青銅像が作られ,アレタイン陶器 (赤色陶器) でも知られていた。中世に栄え,フィレンツェ領を経てトスカナ領となり,19世紀に一時フランスの統治下にあったが,1861年イタリア王国の一部となった。市の周囲はほぼ完全に城壁で囲まれている。近くのピアッツァグランデはかつての市の中心で,広場のまわりには 14世紀以来の宮殿や建物が多い。ゴシック様式聖堂は 1286年に建築を開始,1914年に完成した。市街は第2次世界大戦で大きな被害を受けた。ルネサンスの詩人 F.ペトラルカの生地。人口9万 577 (1991推計) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アレッツォ」の意味・わかりやすい解説

アレッツォ
あれっつぉ
Arezzo

イタリア中部、トスカナ州アレッツォ県の県都。人口9万1582(2001国勢調査速報値)。エトルリア人の主要都市として発足、のちにローマ人の植民地となる。ラテン名アレティウムArretium。11世紀に自治都市となり、14世紀前半に最盛期を迎えたが、その後停滞した。現在では伝統的な金銀細工や衣服の仕立てに加えて、機械工業が発達。さらに周辺の農村地域で生産される農産物の取引の拠点として、重要な役割を果たしている。また市中には中世やルネサンス期の多くの宮殿のほか、ピエーベ・ディ・サンタ・マリア教会(12~13世紀)、サン・フランチェスコ教会(13~14世紀)などがある。詩人ペトラルカの生地としても知られる。

[堺 憲一]

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