イギリスの発明家。ランカシャーで織布工と大工とをかねていたが,1762年にキャリコプリント業者ピールRobert Peelの下請として梳綿(そめん)機械製造のために雇われたのが,発明家としての出発点となった。64年にジェニー紡績機械を発明したが,これは,従来の手紡ぎ工の熟練をそっくりそのまま基礎にした機械である。紡績の引伸し,撚(よ)りかけの工程は段階的になされ,人間の手かげんで調整するものであった。製造販売されたのは67年であるが,失業をおそれる労働者にすぐ破壊される。ノッティンガムに移住し,本格的製造のため70年特許申請するが,特許取得以前に販売していたため無効とされた。しかし,この紡績機械は,多数の紡錘を一人の労働で動かせることや,その製作が容易であるという利点,さらに家内工業という当時の労働組織の改変を必要としないため,70年代にはアークライトのウォーター・フレーム(水力紡績機)と並んで広く普及した。
執筆者:奥山 修平
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…ところが18世紀後半以後,イギリスで綿織物をつくるための種々の機械がつぎつぎと発明され,綿織物生産は飛躍的に増大するとともに,綿織物工業は産業革命の重要な担い手ともなった。すなわち1733年のJ.ケイの飛杼(とびひ)の発明に始まった織機の改良は,64年J.ハーグリーブズの数個の紡錘をもつ多軸紡績機の発明,68年のR.アークライトによる水力紡績機の発明,さらに85年E.カートライトの蒸気機関を利用した力織機まで続き,綿織物工業は産業革命期のイギリスにおいて飛躍的な発展をとげた。 その後,綿織物工業はイギリスから他のヨーロッパ諸国,そしてアメリカに普及し,とくに19世紀末あたりからはアメリカ南部の綿花地帯に盛んになっていった。…
※「ハーグリーブズ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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