イザイエ

百科事典マイペディア 「イザイエ」の意味・わかりやすい解説

イザイエ

ベルギーのバイオリン奏者,作曲家,指揮者。イザイともいう。リエージュに生まれ,ブリュッセル王立音楽院でビエニアフスキに,パリで母国の大バイオリン奏者H.ビュータン〔1820-1881〕に師事。母校教授などを歴任し,欧米各地でソリスト,指揮者として活躍。フランクフォーレショーソンドビュッシーらに作品を献呈されている。師2人の演奏法をさらに近代化し,次世代に圧倒的な影響を与える一方,1924年作曲の《無伴奏バイオリン・ソナタ》全6曲(シゲティティボーエネスコクライスラーら同時代の名演奏家に献呈)でバイオリン音楽史に大きな足跡を残した。その名を冠して始まったコンクールはその後〈エリザベート王妃国際音楽コンクール〉として再開され,世界的に権威のある若手の登竜門の一つ(音楽コンクール参照)。→プリムローズミルスタイン
→関連項目オイストラフグラナドススターンナットハスキルブロッホペレアスとメリザンドメニューインルビンステイン

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改訂新版 世界大百科事典 「イザイエ」の意味・わかりやすい解説

イザイエ
Eugène Auguste Ysaÿe
生没年:1858-1931

ベルギーのバイオリン奏者,指揮者,作曲家。イザイとも呼ばれる。19世紀のバイオリン奏法の近代化に尽力,20世紀の演奏法の開拓者となる。ビエニアフスキ,ついでビュータンに学び,1879年ベルリンでデビュー。83年パリに行き,C.フランク,フォーレ,ドビュッシーなどを知り,フランス音楽の紹介に力をそそぐ。86-98年母校ブリュッセル音楽院のバイオリン教授。この間,ヨーロッパとアメリカで独奏活動するかたわら,弦楽四重奏団とオーケストラを組織,室内楽奏者および指揮者としても活動。1918-22年アメリカのシンシナティ交響楽団指揮者。その後ブリュッセルに帰って活躍。作品の中では,6曲の《無伴奏バイオリン・ソナタ》がよく知られている。弟テオTheó(1865-1918)もピアノ奏者,作曲家。兄の伴奏者としても活躍した。
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世界大百科事典(旧版)内のイザイエの言及

【エリーザベト王妃国際音楽コンクール】より

…ベルギー王アルベール1世(在位1909‐34)の妃エリーザベトによって創設されたコンクール。1937年に王妃の師であったバイオリン奏者兼作曲家イザイエの名を冠したコンクールとして発足。同年はバイオリン部門,翌年ピアノ部門を行ったが,やがて第2次世界大戦のため中断。…

【バイオリン】より

…メンデルスゾーンの《バイオリン協奏曲》にはダーフィトFerdinand David(1810‐73)が協力し,J.ヨアヒムのためには,シューマン,ブルッフ,ブラームス,ドボルジャークなどが優れた協奏曲を書いている。高度の名人芸を優れた音楽性に結びつけようとした19世紀後半のバイオリン曲には,同時代の名演奏家P.deサラサーテにささげられたE.ラロの《スペイン協奏曲》(1873)やサン・サーンスの《バイオリン協奏曲第3番》(1880),またソナタとしては,ブラームスの3曲(1879,86,88),ベルギーの名手E.A.イザイエにささげられたC.フランクの傑作(1886),ノルウェーの抒情性に富んだE.グリーグの第3番(1887)などがあり,今日の演奏会の重要な曲目を形成している。 調性を離れた革新的な作曲語法の探究という20世紀音楽のおもな潮流は,バイオリンの旋律的性格とは異質な音響世界の構築へと向かった。…

※「イザイエ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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