イタリア語(読み)イタリアゴ(その他表記)Italian

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デジタル大辞泉 「イタリア語」の意味・読み・例文・類語

イタリア‐ご【イタリア語】

ロマンス諸語の一。イタリア本国のほか、スイス・南北アメリカオーストラリアでも使用される。ロマンス諸語のうちでもラテン語の面影を強く残している。

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精選版 日本国語大辞典 「イタリア語」の意味・読み・例文・類語

イタリア‐ご【イタリア語】

  1. 〘 名詞 〙 インド‐ヨーロッパ語族のイタリック語派ロマンス諸語の一つ。イタリア本国のほか、スイス南部、フランスのコルシカ島などで話される。ロマンス諸語の中でもラテン語の面影をかなりよく残す。母音で終わる単語が圧倒的に多い。日本語に入った単語には音楽関係のものが特に多く、コンチェルト、フィナーレ、プリマドンナなど。伊語。
    1. [初出の実例]「英語、仏語、独逸語、伊太利亜(イタリア)語」(出典:露団々(1889)〈幸田露伴〉一三)

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改訂新版 世界大百科事典 「イタリア語」の意味・わかりやすい解説

イタリア語 (イタリアご)
Italian

ロマンス語に属する言語。その源は古代ローマ人の用いたラテン語にさかのぼる。

イタリア語はイタリア共和国(人口5744万)の公用語であり,またサンマリノ共和国バチカン市国,スイスのティチノ州,コルシカ島,ユーゴスラビアイストラ半島およびダルマツィア地方の一部でも話されている。このほか南・北アメリカ,オーストラリアなどに渡った移民の間でも受け継がれている。なお,サルデーニャ島に残るサルデーニャ語はイタリア語方言の一つとしてではなく,ロマンス語に属する別個の言語として扱われる。また,イタリア北東部の都市ウディネを中心に広がるフリウリ方言,ドロミテ地方に行われるラディン方言も伝統的にはイタリア語ではなくてレト・ロマン語の方言として分類される。イタリア国内で話されているイタリア語以外の方言としてはそのほかに,国境地域を中心にフランコ・プロバンサル語,オック語(プロバンス語),ドイツ語,スロベニア語,イタリア南部からシチリア島にかけてアルバニア語,ギリシア語,サルデーニャ島アルゲロの町にカタルニャ語などがあり,これらイタリア国内における非イタリア語使用者の総数は250万人を上回る(人口の約5%)と推定されている。

 いわゆる標準イタリア語あるいは共通語の全土への普及は近年めざましいが,そのかたわら,数多くの方言が各地に残されている。これらはいずれも,その土地土地で話されていたラテン語が長い年月にわたって変化を遂げたもので,異なった方言による相互理解はまったく不可能である場合が珍しくない。方言の分類はさまざまに試みられているが,以下にその一つを示す。

(1)北部イタリア方言群 (a)ピエモンテ方言(b)ロンバルディア方言(c)リグリア方言(d)エミリア方言(e)ベネト方言

(2)トスカナ方言群 (a)フィレンツェ方言(b)西部トスカナ方言(c)南部トスカナ方言

(3)中・南部イタリア方言群 (中部)(a)マルケ方言(b)ウンブリア方言(c)北ラツィオ方言 (南部)(a)ナポリ方言タイプ(南ラツィオ,アブルッツィ,カンパニア,ルカーニア,北プーリア)(b)シチリア方言タイプ(サレント,カラブリア,シチリア)。

 イタリアにおける方言の多様性についてはすでにダンテ(1265-1321)がその《俗語論》のなかで筆を費やしているが,ではラテン語はなぜこのように地域ごとに分化し,その状態が現在にまで及んでいるのであろうか。ローマ人の征服以前に話されていた種々の先住民族の言語,例えばケルト語(北部),オスク・ウンブリア語(中・南部)などが,その土地にもたらされたラテン語におのおの異なる影響を与えた結果であるとする説(基層説)が出されているが,細部にわたる証明は難しい。いずれにせよ,交通の障害になる丘陵地帯が多いという自然的条件に加え,ローマ帝国の崩壊後,19世紀における国土の政治的統一(1861)に至るまで小国分立状態が長く続いたという歴史的要因が,方言の分化を強化,促進したことは確実である。一方,ゲルマン民族(ゴート族,ランゴバルド族)の侵入をはじめとし,さまざまな時代にイタリアのさまざまな地域を支配した外来の勢力(アラブ,ノルマン,スペイン,フランス,オーストリア)は,言語的に見るなら,語彙の面で無視できぬ痕跡(外来語)を残しているものの,イタリア語の基本構造(音韻や文法)には重要な変化を与えることがなかった。

 標準イタリア語は,上に記したもろもろの方言のうちトスカナ方言,より正確に言えばフィレンツェ方言を基盤にして成立した。標準語は初め文学語として確立し(14~16世紀),後に話し言葉として全国に普及した。フィレンツェ方言を含むトスカナ方言群は他の二つの方言群と比べ,あるいは他のロマンス語と比べてみても,ラテン語のおもかげを非常によく保っていると言うことができる。例えば,ラテン語のtempus(時),nūdum(裸の),patrem(父)が,トスカナ方言ではtempo,nudo,padre,北部イタリア方言ではtéimp,nüu,pèr,南部イタリア方言ではtièmb(e),annùr(e),pàt(e)となる。

次にイタリア語の歩みを順にたどってみよう。まず,いつイタリア語が誕生したのか,という問いには正確に答えることができない。ラテン語,より詳しく言うなら民衆の話し言葉であった俗ラテン語は,何世紀にも及ぶ漸進的な変化を経てイタリア語諸方言を含むロマンス諸語に移行したのであり,ラテン語とイタリア語の間に明瞭な年代上の境界線を引くことは不可能だからである。文法の面でイタリア語をラテン語から区別することになる変化は,多かれ少なかれ他のロマンス諸語にも共通して見られる。すなわち,冠詞の発生,助動詞を伴う完了時制・受動態の形成,迂言的表現に由来する未来時制・条件法の発達など。名詞および形容詞に関しては,単数・複数の対立が維持される一方,性の区別は中性が失われて男性・女性のみの対立となり,格変化は廃棄される。ここで注目すべきは,単数・複数の対立が西ロマンス諸語のように語末-sの有無によって示されるのではなく,イタリア語ではルーマニア語と同様,語末母音の変化によって示されるようになった点である。例えば,libro(本,単数),libri(複数)。音韻の面でフィレンツェ方言が他のイタリア語方言と比べて保守的な性格を示していることはすでに触れた。この方言は古典ラテン語の長短の対立に基づく母音体系に代わって俗ラテン語に現れた,/i,e,ɛ,a,ɔ,o,u/という7母音体系をそのまま今日に伝えている。

 書き言葉としてラテン語を用いる伝統が根づいているイタリアで,〈俗語volgare〉(ラテン語に対してイタリア語はこう呼ばれた)が文学語として用いられ出した時期はかなり遅かった。ともあれ,この俗語を用いて書かれた最古の記録は,イタリア語であるともラテン語であるとも解釈し得る短い〈ベローナの謎〉(800ころ)を別にすれば,960年3月にさかのぼる〈カプアの判決文Placito Capuano〉のなかに見いだされる。これはモンテ・カシノ修道院に残る土地所有権をめぐる訴訟記録であるが,ラテン語で綴られた本文の中に証人の行った証言がイタリア語(カンパニア方言を反映)によって挿入されている。その後も実用のためにイタリア語を用いた文書が現れ続け,13世紀に入るとその数は急激に増えるが,その頃にはすでに〈俗語〉は文学語への道を歩み始めていた。フィレンツェ方言は他の方言に先んじてその地歩を固めたわけではない。むしろアッシジの聖フランチェスコ(1181ころ-1226)の《被創造物の歌》に用いられたウンブリア方言,シチリア派の詩人の作品の基盤となったシチリア方言などが,文学上の開花を早く迎えていた。だが,フィレンツェ方言の優位はダンテの登場によって決定的なものになる。ダンテは前にも触れた《俗語論》のなかで,詩文学に用いられる理想的な〈俗語〉はいかなるものであるかを論じたが,自らの詩作にあたって彫琢を加えた言葉は生れ故郷フィレンツェの方言であった。《神曲》の成功に続き,ペトラルカ(1304-74)とボッカッチョ(1313-75)がフィレンツェ方言の文学的威信を高めるのに貢献する。だが一方,ラテン語は書き言葉として依然大きな勢力を保ち,ラテン語のイタリア語に対する優位を主張する人文主義者も少なからずいた。また,イタリア語を擁護する者の間でも,文学表現の用具となる言語はどのようなものであるべきかについて意見が分かれ,ここにいわゆる〈言語問題questione della lingua〉をめぐる論争が展開されるにいたった。結局,韻文についてはペトラルカを,散文についてはボッカッチョを模範にすべきだとするP.ベンボ(1470-1547)らの主張が大勢を占め,14世紀フィレンツェ方言を基盤とする文学語が以後の文学史で標準語の地位を確保することになった。1583年に設立されたクルスカ学会Accademia della Cruscaはベンボの主張した立場を守り,純正主義の拠点となる。同学会の刊行する《イタリア語辞典》(第1版1612)は,擁護するにせよ攻撃するにせよ以後の言語論争において常に言及の対象にされている。このように文学語ないし書き言葉としては規範の定まったイタリア語であったが,まだ統一国家の存在しないイタリアにおいて,これが話し言葉として各地の方言を駆逐し,それに取って代わるには程遠かった。イタリア語を学習によって覚えることのできたごく少数の知識人にしても,トスカナ地方は別にして,彼らが日常用いる土地の方言と書き言葉との間には断絶に近い隔りがあった。このようななかにあって例外的な状況を示したのがローマである。ローマ方言は早くからトスカナ語の影響を受け,話し言葉においても16世紀以来〈脱方言化〉の過程が進んだ。これは全国各地から集まる聖職者が支配層を形成し,一般住民の間にもさまざまな地域出身の移民を数多く抱えるこの都市において,共通語の必要が強く求められたためである。一方,日常語から遊離し古い規範に縛られた文学イタリア語が,形式的な修辞技巧をもてあそぶ傾向を示すにいたったのは自然のなりゆきであった。イタリア語を〈死語〉とさえ評したミラノ生れの作家A.マンゾーニ(1785-1873)は,自作の小説《いいなずけ》を書き改めるに際し,同時代の教養あるフィレンツェ人の日常語を用いることにより,文学イタリア語に新たな息吹を与える試みに成功した。

 イタリア語が話し言葉として全土に普及するのは国家統一(リソルジメント)以後のことである。言語学者デ・マウロの推定によれば,1861年の統一時に標準語を話すことのできたのは60万人余り(うちトスカナ人40万人,ローマ人7万人),全人口のわずか2.5%にすぎなかったという。学校教育のほか(識字率は統一時に22%,現在では90%以上),統一後に生じた大きな社会変動(とくに人口の大規模な移動,ことに産業都市への集中),兵役制度などにより標準語の普及は促進された。国内の共通語化はまず大都市を中心に進行した。現在ある標準語には,1871年以来国の首都となったローマをはじめ,北部の有力都市の言葉の影響が指摘される。近年のマス・メディアの急速な発達はイタリア全土の標準語化を著しく推進した。今日,イタリア人の半数近くは標準語(実際は地方訛りを加えた標準語である場合が多く,これを〈地域イタリア語〉と呼ぶ)と方言を場面によって使い分けている。方言のみの使用者も残るが,都市住民,とくに若い世代を中心に,あらゆる場面で標準語しか用いない者の数が増加しつつある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イタリア語」の意味・わかりやすい解説

イタリア語
いたりあご

西ヨーロッパ南部、地中海に突き出たイタリア半島、シチリア島、サルデーニャ島、およびスイス南部ルガノ地方、それに現在フランス領のコルシカ島、クロアチアのイストリア地方などで話されている言語。使用人口は約6000万である。

[西本晃二]

特徴

動詞の変化(人称・数・時制・法)が複雑で、これによってきめ細かい表現を行う。名詞・形容詞には男女・単複の変化がある(格変化はない)。語形の変化がはっきりしているので、普通、主語代名詞は用いられず、語順も比較的自由である。音声的には、母音が日本語のアイウエオでほぼまにあう、開音節が多いなどの理由で、西ヨーロッパの言語のうちで日本語からもっとも入りやすい。

[西本晃二]

歴史

イタリア語はネオ(新)ラテン語あるいはロマンス語とよばれる言語の一つである。すなわち、かつてイタリアの地に興り、地中海域全体に広がる広大な版図を占めた古代ローマ帝国が5世紀末に崩壊し、その後新しいヨーロッパの秩序が成立する西暦1000年ごろまでの間に、現在の西ヨーロッパ地中海沿岸地域に発生した言語の一つである。これらの言語には、大まかにいって西からポルトガル、スペイン、フランス、イタリア、それに遠く東に、古代ローマ植民地のことばであるルーマニアの五つの言語がある。いずれもラテン語を母体とし、それに地方地方の先住民や、あとから侵入してきた民族のことばが入り混じって、ついに互いに独立の言語とみなしうる特色を備えるに至った。

 イタリア語は、ルーマニア語とともにロマンス諸語のなかでは東のグループに属しており、その特徴は名詞の数変化にとくに明らかである。すなわち西のグループ(フランス、スペイン、ポルトガル語など)では、名詞の複数形を表すのに、祖語であるラテン語の対格(直接目的格)複数形を採用し、単数形の語尾に(s)を加えて複数形とする。これに対し東のグループでは、ラテン語名詞の主格複数形をとり、語末の母音が変化して複数形をつくる(un libro→due libri, una casa→due case)。

 イタリア語がいつごろ祖語のラテン語から分離したかを決めることはとうていできない。しかし、書かれた形で残っているイタリア語資料の最古のものとしては、9世紀初めに「ベローナの謎(なぞ)うた」とよばれ、ラテン語の祈祷書(きとうしょ)の余白に、写字生によって書き残された2行ばかりの、あまり意味のはっきりしない落書き(したがってイタリア語かどうかも明白ではない)、および960年にモンテ・カッシーノ修道院所有地に関する、これも全体はラテン語の訴訟記録中に引用されている無学な農夫と下級僧侶(そうりょ)の証言、の二つがある。後者は、十分にラテン語を書く能力を有する裁判所の書記が裁判進行の状況を正確に記録するため、証人として出廷した人物の発言をできるだけ忠実に音写したもので、ここに至って民衆の話しことばは、ラテン語の立場からすれば、どうみてもラテン語といえぬ崩れた様相を呈しており、それが同時にイタリア語側からすれば、祖語のラテン語から離れて、独立の言語として歩み始めた初期の姿を図らずも示しているということになる。

 960年という時期は、イタリア語と並んで有力なロマンス語の一つフランス語の初出文献「ストラスブールの宣誓」(842)に比べて1世紀あまりも遅れている。これは、古代ローマ帝国のなかではアルプスのかなたの辺境であり、かつ先住民族としてはケルト人、あとからの侵入者としてはフランク人がローマ帝国末期から定住していたガリア(フランス)と異なり、イタリアはローマ帝国の故地で、衰えたりとはいえ、中世全体を通じてラテン文化の息吹が完全に絶えたことは一度もなかったため、ラテン語の力が強く、分離に時間がかかったということであろう。むろんフランス語の842年、イタリア語の960年といい、書かれた資料の、それも現在知られている最古のものというだけのことで、実際に民衆の間ではもはやラテン語とはいえぬ、その地方独特のことばが用いられ始めたのは、さらに以前にさかのぼるであろうことは、容易に推察される。

 こうして西暦1000年前後に成立したイタリア語は、文化の表現手段としての成熟度においても、フランス語、とくに南フランスに発達したプロバンサル語に一歩遅れる。しかし、13世紀後半に至って文学的表現に耐えうる洗練さを備えた言語として登場してきたときには、他のヨーロッパ諸語のどれよりも早く、西欧文明を今日に至るまで特徴づけている市民文化の表現手段として目覚ましい活躍をすることになる。これには古代ローマの文化遺産、東西両地中海の接点とイスラム・キリスト両宗教圏の接点に位置するという地理的利点、東ローマ帝国との接触、海港に恵まれた地形などの要素が働いていることはいうまでもない。これらの要素がヨーロッパの他の地域に先駆けて、イタリアに市民文化の花を咲かせる都市国家の成立を可能にしたのである。そして、13世紀の終わりから14世紀にかけて、中部イタリア、とくにトスカナ地方でダンテ、ペトラルカ、ボッカチオの三大作家の出現をみて、トスカナ方言は標準語・文学語としての地位を確立し、以後今日までこの状況は実質的に変わっていない。したがって、現代イタリア語の知識を身につければ、あとは多少の古い形や言い回しに慣れれば、13世紀末あたりまでの文献を読むことができる。かようなことが可能なことばは、西欧の言語ではイタリア語以外にはない。けだし他の諸国では、中世から近代への転換が、15世紀末から16世紀におこっているからである。

 だが、一地方のことばが、このように国民全体のなかでは比較的少数の知識人や上流階級が用いる標準語となり、それが6世紀にもわたってほぼ同一の形を保ってきたというような状況、かつそれが交通や情報伝達の手段がいまだ発達しないころから、半島を縦断し、海岸近くまで張り出した山脈によって相互に独立した小地域に分かれる傾向の強い国土に、個人主義的気質をもつ人々の間に発生したということ、この二つの理由によって、イタリア各地に多数の方言をも発生させた。その相互間の違いはたいへん大きく、地域が異なれば話が通じないという場合が今日でもままある。また、方言独自の価値を主張し、方言で文学作品を書く作家も現れた。しかし、全体的にみれば、学校制度の改革、鉄道や高速道路など交通手段の発達、徴兵制度や官僚機構など全国的規模の統治方式の整備、そしてとくにラジオ、テレビに代表されるマス・メディアの普及によって、イタリア語における標準語と方言の問題は、20世紀に入って新しい段階を迎えたといえる。

[西本晃二]

外国語への影響

14世紀から16世紀にわたる、いわゆるルネサンスの時代に、イタリア語は人間活動のあらゆる分野で西ヨーロッパをリードした。文学では前記三大作家のほかにアリオストやタッソ、政治ではマキャベッリ、グイッチャルディーニ、ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)、芸術のラファエッロ、ミケランジェロ、科学のガリレイ、トリチェリなどの名をみれば、このことが知られる。さらに、シェークスピアの作品の半分はイタリアを舞台にしている。また、18世紀に完成したオペラもイタリアを発祥の地としており、19世紀国民オペラ誕生までは、モーツァルトの作品にみられるように、イタリア人以外の作曲家の作品にもイタリア語が用いられた。音楽用語のほとんどがイタリア語であり、西欧文化に与えた影響は大きい。

[西本晃二]

『B. Migliorini, I. BaldelliBreve storia della lingua italiana(1965, Sansoni, Firenze)』『S. Battaglia, V. PerniconeGrammatica italiana(1964, Loescher, Torino)』『西本晃二著『現代のイタリア語』(1978・三省堂)』『坂本鉄男著『イタリア語の入門』(1974・白水社)』

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世界の主要言語がわかる事典 「イタリア語」の解説

イタリアご【イタリア語】

インドヨーロッパ語族イタリック語派に属する、ロマンス諸語の一つ。イタリアの公用語で、サンマリノ、バチカン市国、スイスの一部、コルシカ島などでも話される。話者数は6000万人。古代ローマ人のラテン語を祖語とする。ローマ帝国の崩壊後、イタリア半島の民衆のラテン語がさまざまな方言に変化、分化した。このうち中部イタリアのトスカナ地方の方言が、13~14世紀、ダンテ、ペトラルカ、ボッカッチョらの出現によって洗練された文学語へと高められ、19世紀のイタリア統一後、標準的なイタリア語として全土に広がった。一方で今も各地に多くの方言が残る。文法の面ではラテン語から、名詞や形容詞の格変化の消失、冠詞の誕生、助動詞の形成、条件法の発達など多くの変化をみた。一方、語彙(ごい)や語形などにはラテン語の面影をとどめている。母音の体系が日本語に近く、日本人に発音しやすい言語でもある。◇伊語ともいう。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イタリア語」の意味・わかりやすい解説

イタリア語
イタリアご
Italian language

イタリアの国語として約 5000万人以上のイタリア人に話されているほか,スイスの一部やフランスのコルシカ島でも話されている言語。インド=ヨーロッパ語族のイタリック語派に属し,スペイン語,ポルトガル語,フランス語,ルーマニア語などと並んでロマンス語派の一つ。すなわち,これらの言語と同様に,ラテン語が土着の言語の影響を受けつつ変化をとげてできあがったものである。最初の記録は,10世紀の裁判記録中の証言にみられる。古くから多くの方言に分れていたが,13世紀にダンテ,ペトラルカ,ボッカチオの三大文豪が輩出してトスカナ方言がイタリア文語の基礎となった。現在では6つの方言に大別され,公用語はそのうちのトスカナ方言に基づくものであるが,他方言からの借用もかなりある。

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百科事典マイペディア 「イタリア語」の意味・わかりやすい解説

イタリア語【イタリアご】

インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属するロマンス語の一つ。13世紀シチリアに発達した文学の中心が次第に北部のフィレンツェ地方に移ったことにより,この地のトスカナ方言がダンテ,ペトラルカ,ボッカッチョによる洗練を経て現代(標準)イタリア語の成立をみた。
→関連項目イタリア

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世界大百科事典(旧版)内のイタリア語の言及

【イタリア】より

…正式名称=イタリア共和国Repubblica Italiana面積=30万1225km2人口(1996)=5746万0274人首都=ローマRoma(日本との時差=-8時間)主要言語=イタリア語通貨=リラLira長靴形に地中海に突出した半島を主体とする共和国。北はアルプスを境としてフランス,スイス,オーストリアに接し,東は地続きのユーゴスラビアとともにアドリア海を抱き,西はティレニア海に臨む。…

【イタリア文学】より

…このようなイタリアの文学空間を検討するためには,表現手段としての言語,作品の思想内容と詩学,表現者を取り巻く社会的状況,の少なくとも3点からの吟味が必要になるであろう。
[俗語詩の登場]
 日常生活全般においてラテン語が文章語として使われているさなかで,会話語すなわち俗語としてのイタリア語が文献に現れはじめるのは,13世紀に入ってからである。まとまったものとしては,まず,アッシジの聖者フランチェスコの《被創造物の歌》(1225)があった。…

【ベンボ】より

…イタリアの文学者,詩人。古典文学やイタリア語の文学に精通していた父の勧めで人文主義の研究に励み,従来,ほとんど古典文学作品に限られていたテキストの文献学的研究をイタリア語の作品に応用して,ペトラルカの《カンツォニエーレ》とダンテの《神曲》を出版した。次いで,旧来の愛の概念に検討を加えたうえで,愛とは神聖かつ理想的な美について思索を深めるよう人を誘うものだと定義した《アーゾロの人々》(1505)を刊行した。…

【ロマンス語】より


[分類・分布]
 ロマンス語の分類に関してはさまざまな試みがなされているが,19世紀末に死滅したダルマティア語(かつてアドリア海東岸に分布)を今日使用されているロマンス語に加えたうえで,次のような分類が考えられる(配列順序はヨーロッパにおける分布をおおよそ西から東にたどったもの)。(1)ポルトガル語,(2)スペイン語,(3)カタロニア語(カタルニャ語,カタラン語とも),(4)オック語(オクシタン(語)とも),(5)フランコ・プロバンス語Franco‐Provençal,(6)フランス語,(7)レト・ロマン語(レト・ロマンス語とも),(8)サルジニア語(サルデーニャ語とも),(9)イタリア語,(10)ダルマティア語Dalmatian,(11)ルーマニア語。これらの〈言語〉はいずれもいくつかの地域的な変種(方言)を含んでいるが,(1)(2)(3)(6)(9)(11)のように超局地的な共通語(標準語)の確立している言語と,そのような標準語をもたない(4)(5)(7)(8)(10)のような言語とがある。…

※「イタリア語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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