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イラン立憲革命 イランりっけんかくめい Inqilāb-i Mashrūṭeh

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イラン立憲革命
イランりっけんかくめい
Inqilāb-i Mashrūṭeh

イランでカージャール朝専制打倒のため,1905~11年に行われた市民革命帝政ロシアの干渉で挫折した。 20世紀初頭,カージャール朝は下からの改革の要求をもはや押えることができなくなり,05年にはテヘラン市民による抗議運動がウラマーを先頭に明確な政治目標を掲げるようになった。

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百科事典マイペディアの解説

イラン立憲革命【イランりっけんかくめい】

1905年―1911年イランカージャール朝下で起きた政変。イラン王政が英国,ロシアへの従属を深めるなか,1905年,商人層,ウラマー,都市住民を取り込んだ大衆蜂起が起き,国民議会の開設,憲法制定,外国勢力の排除を訴えた。
→関連項目タブリーズ

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世界大百科事典 第2版の解説

イランりっけんかくめい【イラン立憲革命】

1905‐11年カージャール朝下のイランにおける政治変動。対外的従属を深める同王朝権力に対する大衆蜂起を通じて,イラン史上初の国民議会Majles‐e shūrā‐ye mellīと憲法Qānūn‐e asāsīとを成立させ,イラン史の重大な画期をつくり出したが,反革命としての英露協商など外国の干渉によって挫折させられた。1905年12月,砂糖価格の急騰を理由にテヘランの砂糖商人が逮捕され処罰を受けたことを不満としてテヘランのバーザールでバスト(一斉閉鎖)が開始された。

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世界大百科事典内のイラン立憲革命の言及

【イラン】より

…こうして高まった不満や反発が,一気に噴出するのがタバコ・ボイコット運動(1891‐92)であり,それはイラン民族運動の起点として位置づけられている。さらに,西欧列強への従属化を阻止しえなかったというよりは,結果としてその推進役を果たしたカージャール朝の専制支配に対する批判が強まっていくなかで,反列強・反専制闘争として展開されたのがイラン立憲革命(1905‐11)であった。この革命を通じてイランが獲得した最大の成果である国民議会majles‐e shūrā‐ye mellī(1906年10月開設)は,支配層の経済的基盤となっていたトゥユール制を廃止し,王族への年金の削減を行うなど,専制支配の基盤の切りくずしを図る一方,外国への利権譲渡および借款導入の拒否,外国人官吏の追放,国民銀行の設立等の方針を打ち出し,イラン経済の再建と政治的自立への道を邁進(まいしん)する。…

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