イリュリア人(読み)イリュリアじん(英語表記)Illyrians

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イリュリア人
イリュリアじん
Illyrians

バルカン半島北西部のイリュリアに居住,インド=ヨーロッパ語族に属した民族。考古学的には青銅器時代末期,鉄器時代初期にすでに居住の痕跡が認められる (前 1000頃) 。多数の部族から成り,一部はイタリア北部および南部にまで達した。前5世紀にはイリュリア人の国家が形成され,前3世紀末にはローマと2回のイリュリア戦争を戦った。前 168年イリュリア王国最後の王ゲンチウスのとき降伏。こののちローマ人によってこの地方はイリュリクムと呼ばれるようになった。前 35~33年にオクタウィアヌス (→アウグスツス ) によって征服され,6~9年にはローマに対して反乱を起したが,チベリウスによって制圧された。ローマ帝国全盛期にはイリュリクムも繁栄。ディオクレチアヌス帝やコンスタンチヌス1世 (大帝) ら多くのローマ皇帝はイリュリア系であった。

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百科事典マイペディアの解説

イリュリア人【イリュリアじん】

英語ではIllyrianバルカン半島西部の先住民で,古代インド・ヨーロッパ語系のいくつかの同族集団がイリュリア人と呼ばれる。これが先史時代にはゲルマン族の地,ギリシア,小アジアに侵入していたと推定され,前1200年ごろ小アジアからギリシア世界にかけての破壊の跡をこの民族の大移動の結果とみる説がある。前3世紀アルバニア北部からアドリア海沿岸にかけて支配したが,前168年ころローマの支配に服した。ローマ人,次いで6世紀以降は南スラブ人との同化が進んだと考えられ,現在ではアルバニア北部のアドリア海西岸の地名に名を残している。彼らは文字を持たず,文書類は残っていないが,かつては南イタリアのメッサピア語の碑文が同系のものとみなされ,ここにイリュリア語派(Illyrian)なる一語派が想定されていた。またアルバニア語の祖ともいわれた。しかし最近ではメッサピア資料も独立する傾向にあり,イリュリア語なる概念そのものが再検討を迫られている。のちにイリュリア人は南スラブ人の祖先と考えられたため,19世紀半ばのクロアティア人の民族再生運動は〈イリュリア運動〉を称した。

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世界大百科事典 第2版の解説

イリュリアじん【イリュリア人 Ilirija】

古代のバルカン半島西部の先住民で,これをギリシア人はイリュリオイIllyrioi,ローマ人はイリュリイIllyriiと呼んだ。いずれも古代インド・ヨーロッパ語系のいくつかの同族集団を指し,そのうち,ベネト族やダルマト族はベネチア,ダルマツィアに名をとどめている。語源については蛇ilurであろうという説が有力。彼らがバルカン半島に定着したのは前1000年ころと考えられるが,部族ごとに分裂し,長らく政治的中心を欠いていた。

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世界大百科事典内のイリュリア人の言及

【イリュリクム】より

…インド・ヨーロッパ語族に属する言語を使用した諸部族のうちのイリュリア人が居住した地域。イリュリア人の諸部族は前3千年紀の後半からバルカン半島の西部地域に定住し始め,前1千年紀にはギリシア人の植民交易活動に対して好戦的な態度を示したが,諸部族が連合して統一国家を形成することはなかった。…

※「イリュリア人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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