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インド共産党 インドきょうさんとう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

インド共産党
インドきょうさんとう

インドの政党。 1933年創立を宣言。翌 34年非合法化。結成当初は武装闘争路線をとったが,35年コミンテルン第7回大会の指令により戦術転換して民族主義運動との結合を深め,1940年代には党の合法化 (1942) とも相まって,南部農村地域を中心に党勢を著しく拡大した。その後インド独立前後から,コミンフォルムの方針を背景として左派が台頭し,48年左派より選出されたラナディブ新書記長は武装闘争路線を全面的に推進した。しかしこの路線が破綻し,同時に国際共産主義運動が再度右旋回したため,左派は後退し,51年,ゴーシュの書記長就任とともに党中央委員会は右派が掌握した。これ以降,党はネルー政権への支持を次第に強めつつ党勢の拡大に努め,57年にはケララ州の選挙に勝ち州政府を組織した。しかし 59年,ケララ州共産党政府が中央政府の圧力に屈して崩壊すると,党中央委員会の右翼的路線への反発が党内に高まり,党内闘争が再び激化,64年親ソの右派と親中国の左派とに分裂した。 67年にはナクサルバリ農民蜂起をめぐって左派がさらに毛沢東派と反毛沢東中道派に分裂し,69年4月,毛沢東派はナクサライトを結成した。 (1) 左派共産党 正式党名は「 (マルクス主義) 共産党」 Communist Party of India-Marxism。略称 CPI-M。 I.ガンジー政権と対立し,77年の総選挙では人民党と共闘して 22議席を得,80年1月の総選挙でも 35議席を得た。 83年書記長が訪中し,中国と和解。ケララ,ウェストベンガル,トリプラの3州で左翼戦線政府を樹立するほか,98年の総選挙では 32議席を獲得。 (2) ナクサライト 正式党名は「マルクス=レーニン主義インド共産党」。ガンジー政権の弾圧により 72年組織は壊滅的な打撃を受け,以後ビハール州で散発的な農村闘争を戦っているにすぎない。 (3) インド共産主義者センター 略称 CIC。 74年 12月ケララ州エーチンでナクサライトの造反派が結成。中国共産党の路線をインドに適応させ,人民政府を樹立することを掲げているが,組織上みるべきものはない。 (4) 右派共産党 正式党名は「インド共産党」。略称 CPI。ガンジー政権と密着。そのためもあって 77年の総選挙では下院議席7と前回の3分の1以下に後退したが,80年1月の総選挙では 10議席を獲得。 96年には統一戦線に参加して閣僚ポストを得た。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

インド共産党
いんどきょうさんとう
Communist Party of India

1920年創設のインドの共産党。略称CPI。
 インド共産党は、第一次世界大戦直後の1920年10月にソ連のタシケント(現ウズベキスタン)で、コミンテルン第2回大会に出席したM・N・ローイ(ベンガル出身)を中心とする、亡命中のインド人革命家たちによって結成された。国内では1925年12月に、北インドの工業都市カーンプルでS・V・ガーテーを書記長として発足した。共産党は都市の中間層や一般大衆を基盤にするインド国民会議派(1885年創立)をはじめ、全インド労働組合会議(1920年創立)や全インド農民組合(1936年創立)を通じて、組織勢力をしだいに拡大していった。それらはいずれもイギリスによって弾圧の対象にされたが、総じてインド民衆による独立要求の運動には粘り強いものがあり、共産党勢力は確実に発展していった。
 第二次世界大戦期、独ソ戦の開始を機に、帝国主義戦争が反ファシスト人民戦争に転化する状況のもとで、インド共産党は合法化された。独立前夜の1943年から翌年にかけて、350万人の餓死者を出すベンガル飢饉(ききん)が発生したが、この救済活動を通じて、共産党は大衆政党の地位をようやく手にした。さらに1946年、南インドのテランガーナーと東部インドのベンガルの両地方で提起された農民運動は、イギリス支配を根底から揺さぶる事態をもたらした。ベンガル地方の場合、ジョテーダールとよばれる地主勢力に対して、大多数の貧農と雇農層は収穫物の3分の2を要求するテーバガ運動を提起した。
 1947年8月15日、イギリス支配を脱したインドは、連邦首相J・ネルーと国民会議派の指導のもとで、インド型民主主義国家つまり主権在民の連邦制共和国への道を選択した。インド共産党は1948年初めに第2回党大会を開き、インドの独立は偽の独立であり、帝国主義は直接支配から間接支配へ変化したと主張し、武装闘争を是認する極左路線を採択した。
 その後、中印国境戦争をめぐる反中国路線と、国民会議派政権支持を打ち出す一方で、党内のイデオロギー闘争が一段と激化した。1964年10月~11月の第7回党大会で、連邦・州における議会の内外活動を重視し、反封建・反帝国主義と反独占を掲げるインド共産党(マルクス主義者)が旗揚げする一方で、議会制民主主義の闘争だけに依拠するインド共産党と分裂した。前者の書記長にはE・M・S・ナンブーディリーパード(ケララ出身)が就任した。同党の機関誌は『人民民主主義』で、傘下には全インド農民組合や新組織のインド労働組合センターが並び、1981年には全インド民主主義女性連合が発足した。なお両党とは別に1960年代末から武装闘争中心の毛沢東派を名のる諸勢力が存在している。
 すでに1950年代末、南インドのケララ州では一時期共産党の政権が誕生した。1977年6月、西ベンガル州の議会選挙の結果、インド共産党(マルクス主義者)のもとで、ジョティ・バス州首相(1914―2010、ベンガル出身)は、フォワード・ブロック(前進同盟)を含む連立内閣を発足させた。この新政府は左翼戦線州政府(LFG、Left Front Government)とよばれており、バス自身は2000年に引退するまで、実に23年間州首相の職にあった。以後同党のB・バッタチャールジーが州首相を継承している。この州政府の功績は以下の4点に集約されている。(1)52万6500ヘクタールの土地の貧・雇農層への分配と、女性を含む農民の耕作権を保障する土地証書の配布、(2)村、郡と県にまたがる民主的な三層地方自治制度(パンチャーヤティー・ラージ)の導入と、2010年にそれらの女性議員枠の50%への引上げ承認、(3)州新企業の要請に冷淡な連邦政府に対抗して、一定の新規工業部門の建設と雇用機会の増大、(4)ゴルカーランド自治(西ベンガル州のネパール系インド人集団による自治要求)など民族問題の打開、異宗教・異文化の共存と政教分離主義の強化にある。
 独立を機に、連邦政府は各州政府との共存・共生関係を梃子(てこ)とするインド型民主主義を発展させる前提を確立した。1960年代末、ネルー時代が終わりを告げた後、インディラ・ガンディー首相からラジブ・ガンディー首相へ時代が進むなかで、国民会議派政権は、独立初期の計画経済を市場開放など新自由主義経済政策へ転換してきた。その間、連邦政府は野党州政府に対して差別政策をとり、たとえば西ベンガルの左翼戦線州政府が提起する工業化計画には「敵対的」ですらあった。結果的にはインドでは著しい州間格差の解消問題が重大化するに至った。
 当然のこととして、中央集権主義を排除して、均等な州自治発展の大原則を再確認する必要性が現代インドの重要課題となっている。[中村平治]

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世界大百科事典内のインド共産党の言及

【インド[国]】より

… ひとつは国民会議派と左翼諸党派との対立の激化である。国民会議派は古くからの民族主義政党で,おもにヒンドゥー教徒を代表していたが,1930年代半ばの国民会議派社会党の結成やインド共産党の台頭によって国民会議派に対する左からの圧力が強まり,民族運動内部の主導権争いが激化していた。しかし,共産党が42年6月の独ソ戦開始以後の戦争を人民の戦争と規定してイギリスの戦争努力を支持し,7月にはじめて合法化されたのに対し,会議派は,イギリスのインド撤退を要求した8月の〈インドを立ち去れQuit India〉闘争で大量の投獄者を出した。…

【国民会議派】より

…農村においては地主階級をも基盤とするこの組織の指導部は,したがって,第1次大戦以降労働者や下層農民が独自の階級的要求を掲げて運動を展開し始めると,しばしばこれを抑止し,指導部と党員大衆の間に利害の対立も生じた。こうした階級的要求実現の闘争は,しだいにインド共産党(1925創立),全インド労働組合会議(AITUC,1920結成),全インド農民組合(AIKS,1936結成)によって担われていった。そして初め国民会議派に所属して活動していた社会主義者や共産主義者たちは,45‐47年にこれから離れ,それぞれ独自の政党へと結集していく。…

【ダーンゲー】より

…すでに第1次非協力運動直後,ガンディーの思想と行動を批判した《ガンディーとレーニンGandhi versus Lenin》を1921年に発表した。インド労働組合運動の草分けの一人でインド共産党(CPI)創設者の一人でもあり,十数年投獄された。独立後62年にCPI議長となるが,64年の同党分裂ではソ連派のCPIを支持し,79年末まで議長の地位をまもる。…

【ナンブーディリーパッド】より

…インド,ケーララ州生れの共産主義者。M.K.ガンディーの民族運動への参加,国民会議派,社会党を経て1939年にインド共産党に入党した。57年にケーララ州で初めての共産党州政府を組織した。…

※「インド共産党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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