インド共産党(読み)インドきょうさんとう

旺文社世界史事典 三訂版 「インド共産党」の解説

インド共産党
インドきょうさんとう

1925年インド解放をめざし労働者農民の党として創立された政党
北インドで創立され,1930年代後半に国民会議派統一戦線を結成した。1942年に合法化されたが,中ソ対立の影響で64年2つに分裂した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のインド共産党の言及

【インド[国]】より

… ひとつは国民会議派と左翼諸党派との対立の激化である。国民会議派は古くからの民族主義政党で,おもにヒンドゥー教徒を代表していたが,1930年代半ばの国民会議派社会党の結成やインド共産党の台頭によって国民会議派に対する左からの圧力が強まり,民族運動内部の主導権争いが激化していた。しかし,共産党が42年6月の独ソ戦開始以後の戦争を人民の戦争と規定してイギリスの戦争努力を支持し,7月にはじめて合法化されたのに対し,会議派は,イギリスのインド撤退を要求した8月の〈インドを立ち去れQuit India〉闘争で大量の投獄者を出した。…

【国民会議派】より

…農村においては地主階級をも基盤とするこの組織の指導部は,したがって,第1次大戦以降労働者や下層農民が独自の階級的要求を掲げて運動を展開し始めると,しばしばこれを抑止し,指導部と党員大衆の間に利害の対立も生じた。こうした階級的要求実現の闘争は,しだいにインド共産党(1925創立),全インド労働組合会議(AITUC,1920結成),全インド農民組合(AIKS,1936結成)によって担われていった。そして初め国民会議派に所属して活動していた社会主義者や共産主義者たちは,45‐47年にこれから離れ,それぞれ独自の政党へと結集していく。…

【ダーンゲー】より

…すでに第1次非協力運動直後,ガンディーの思想と行動を批判した《ガンディーとレーニンGandhi versus Lenin》を1921年に発表した。インド労働組合運動の草分けの一人でインド共産党(CPI)創設者の一人でもあり,十数年投獄された。独立後62年にCPI議長となるが,64年の同党分裂ではソ連派のCPIを支持し,79年末まで議長の地位をまもる。…

【ナンブーディリーパッド】より

…インド,ケーララ州生れの共産主義者。M.K.ガンディーの民族運動への参加,国民会議派,社会党を経て1939年にインド共産党に入党した。57年にケーララ州で初めての共産党州政府を組織した。…

※「インド共産党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ゲリラ豪雨

突発的に発生し、局地的に限られた地域に降る激しい豪雨のこと。長くても1時間程度しか続かず、豪雨の降る範囲は広くても10キロメートル四方くらいと狭い局地的大雨。このため、前線や低気圧、台風などに伴う集中...

ゲリラ豪雨の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android