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イーデン Eden, Robert Anthony, 1st Earl of Avon

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

イーデン
Eden, Robert Anthony, 1st Earl of Avon

[生]1897.6.12. ダラム,ウィンドルストンホール
[没]1977.1.14. ソールズベリー
イギリスの政治家。オックスフォード大学卒業後,1923年保守党下院議員。 26~29年 A.チェンバレン外相秘書。 31~33年外務次官。 34年国璽尚書。 35年国際連盟担当相を経て同年外相。 38年 N.チェンバレン首相の対独宥和外交に反対して外相を辞任。 40年 W.チャーチル戦時内閣の陸相。 40~45年外相に再任。 51~55年保守党政権復帰とともに3度目の外相。 55~57年首相。第2次世界大戦中は連合国の関係強化につとめ,54年インドシナ休戦のためのジュネーブ極東平和会議西欧同盟の成立など外交舞台ではなばなしい活躍をみせた。 56年首相在任中,スエズ動乱にフランスとともに出兵,国外,国内から激しい非難を浴び,健康上の理由もあって 57年首相を辞任。 61年伯爵。主著『イーデン回顧録』 Memoir (3巻) 。

イーデン
Eden

オーストラリア,ニューサウスウェールズ州南東岸,シドニーの南 400km,ビクトリア州境に近い町。漁業および水産加工で知られるが,1969年以来木材チップ産業が興り,日本へ輸出している。人口約 3000。

イーデン
Eden

イギリスイングランド北西部,カンブリア県東部の地区。西にカンブリア山地,東にペナイン山脈を控え,標高 600~900mと山がちで,カンブリア山地は保養地として知られる。地区内を北西流するイーデン川の河谷が唯一の肥沃地で,カラスムギなどの飼料が栽培され,乳牛,肉牛の飼育が盛ん。高地ではヒツジの放牧が行なわれる。農業集散地のペンリス,アップルビーインウェストモーランドはイングランドとスコットランドの国境紛争の地として歴史的に著名。ペンリスは地区の行政中心地。面積 2158km2。人口 4万9779(2001)。

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デジタル大辞泉の解説

イーデン(Robert Anthony Eden)

[1897~1977]英国の政治家チェンバレン内閣の外相となるが、対独宥和(ゆうわ)策に反対して辞任。チャーチル戦時内閣で再び外相となり、連合国間の提携に寄与。第二次大戦後首相となるが、スエズ出兵で批判を受けて辞任。

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百科事典マイペディアの解説

イーデン

英国の政治家。保守党。1923年下院議員。1935年外相となったが,N.チェンバレン首相の対独宥和政策に反対して1938年辞任。1940年チャーチル内閣の外相(―1945年)。

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世界大百科事典 第2版の解説

イーデン【Robert Anthony Eden】

1897‐1977
イギリスの保守党政治家。1938年ネビル・チェンバレン首相の対伊宥和政策に抗議して外相を辞したが,次のチャーチル首相の下で再び外相(1940‐45,51‐55)として第2次大戦時・戦後の外交を指導した。54年のジュネーブ会議におけるインドシナ休戦の実現や,西ドイツの再軍備を認めたパリ協定締結など,イギリス外交の自主性回復に貢献した。55年チャーチル引退の後首相に就任,57年スエズ出兵事件で引責辞職した。

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大辞林 第三版の解説

イーデン【Robert Anthony Eden】

1897~1977) イギリスの政治家。1940~45年、戦時内閣の外相として活躍。55年首相。スエズ戦争に出兵し57年引責辞職。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

イーデン
いーでん
Sir Robert Anthony Eden, Earl of Avon
(1897―1977)

イギリスの政治家。オックスフォード大学在学中に第一次世界大戦に従軍し、卒業後1923年に保守党下院議員となった。1934年に国璽尚書(こくじしょうしょ)に就任、国際連盟担当相を経て、1935年外相の座についた。外相として、スペイン内戦に際しての不干渉政策の推進などを行ったが、対イタリア政策をめぐってチェンバレン首相と対立し、1938年2月に辞任、宥和(ゆうわ)政策批判派の旗頭となった。第二次世界大戦開始によって政府に復帰し、自治領相、陸相、外相を歴任した。とりわけ4年8か月に及ぶ外相時代には、イギリスの戦時外交に強力なリーダーシップを発揮した。戦後、1951年からまたも外相を務め、ジュネーブ会議(1954)の開催などで大きな役割を果たした。1955年4月チャーチルの後を継いで首相に就任。翌1956年エジプト政府によるスエズ運河国有化に直面し、フランス、イスラエルと謀ってエジプト攻撃に踏み切ったが、国内外からの激しい批判を浴び、健康が悪化するなかで、1957年1月辞任に追い込まれた。それ以後、政治の表舞台から退き、現代史の貴重な史料となる回顧録の執筆などで余生を送った。[木畑洋一]
『町野武他訳『イーデン回顧録』全4巻(1960~1964・みすず書房)』

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世界大百科事典内のイーデンの言及

【第2次世界大戦】より

…これがイギリスとフランスがソ連接近に消極的であった一つの理由となる。しかしながら〈宥和政策〉は構造的な背景をもっており,単に1937年5月イギリス首相に就任したA.N.チェンバレンや38年2月反宥和主義者のイーデン辞職ののち外相となったハリファクスなどのパーソナリティにのみ帰すことはできない。 1936年夏ヒトラーは反共宣伝を激化し,イタリアとの和解を達成し,イギリスともリッベントロープを駐英大使に任命して接近をはかり,共産主義の〈防波堤〉であることを強調して東方進出の承認を得ようとしていた。…

※「イーデン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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