ウィットフォーゲル(その他表記)Wittfogel, Karl August

デジタル大辞泉 「ウィットフォーゲル」の意味・読み・例文・類語

ウィットフォーゲル(Karl August Wittfogel)

[1896~1988]米国経済史家。ドイツの生まれ。1934年、米国に亡命東洋社会、特に中国農業社会を研究。著「解体過程にある中国の経済と社会」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウィットフォーゲル」の意味・わかりやすい解説

ウィットフォーゲル
Wittfogel, Karl August

[生]1896. ハノーバー
[没]1988.5.25. ニューヨーク
ドイツ系のアメリカの社会経済史学者,中国研究家。早くから労働運動に加わり,1914年ドイツ独立社会民主党,19年ドイツ共産党入党。 25年共産党機関誌『ローテ・ファーネ』の編集にたずさわり,のちにコミンテルン教育宣伝委員をつとめた。マルクスの影響を受け,生産過程に参与するモメントを労働力,労働手段,労働対象の3つとし,それらの歴史的発展段階に対応する社会的・自然的側面を詳細に示した。また 19年から中国革命に関心をもち,実証研究として長く東洋,特に中国の社会を研究し,『中国の経済と社会』 Wirtschaft und Gesellschaft Chinas (1931) などの著作によって,G.ヘーゲルから M.ウェーバーにいたる中国社会史論を史的唯物論の立場から発展させた。特に官僚制アジア専制の社会経済的基盤を明らかにし,ヨーロッパの科学的中国研究を開拓した。灌漑を中国農業の本質的条件とみて,治水事業を中央集権的官僚制国家の社会経済的基盤であるとした。 33年ナチス政権の出現とともにアメリカに亡命,34年アメリカに帰化し,コロンビア大学ワシントン大学などで中国史を講じた。第2次世界大戦後は次第に反マルクス主義的となりソ連や共産党に批判的な著述を著わした。代表的著書は上記のほか『市民社会史』 Geschichte der bürgerlichen Gesellschaft (24) ,『東洋的社会の理論』 Die Theorie der Orientalischen Gesellschaft (38) ,『中国社会史-遼』 (49) ,『東洋的専制主義』 Oriental Despotism (57) など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウィットフォーゲル」の意味・わかりやすい解説

ウィットフォーゲル
うぃっとふぉーげる
Karl August Wittfogel
(1896―1990)

アメリカの中国社会経済史家。ユダヤ系ドイツ人としてハノーバーに生まれる。ハイデルベルク大学でマックス・ウェーバーに師事、ドイツ共産党員として活動する一方、『市民社会史』(1924)を発表。1925~1933年の間、フランクフルト社会研究所員として中国研究に専念。この時期の代表的著作『解体過程にある中国の経済と社会』(1931)は、マルクス主義の立場から、旧中国の専制的官僚支配の基盤を大規模な国家的治水事業に求めて注目を集めた。1933年ナチスに追われてアメリカに亡命し、コロンビア大学中国史研究会会長、ワシントン大学教授を歴任。中国滞在(1935~1937)の成果である『東洋的社会の理論』(1938)は名高い。第二次世界大戦後、『東洋的専制主義』(1957)ほかの著作で、ソ連、中国を全体主義国家とする立場を表明したが、その「水力社会の理論」は再評価されている。

[望月清司]

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改訂新版 世界大百科事典 「ウィットフォーゲル」の意味・わかりやすい解説

ウィットフォーゲル
Karl August Wittfogel
生没年:1896-1988

アメリカの中国研究者。生れはドイツで,マックス・ウェーバーに学んだ。フランクフルト社会研究所に入り,史的唯物論による社会史の研究に従事するとともに,共産主義運動にも参加した。1934年アメリカに亡命,41年帰化した。以前からすすめてきた中国社会の研究を発展させ,乾燥地域における灌漑水利の集中管理体制が,複雑な官僚制度を発達させ,東洋的な専制主義国家を生みだしたという〈東洋社会の理論〉,中国史を漢民族統治時代と異民族統治時代に分ける〈征服王朝の理論〉は,一時期の中国研究に大きな影響を与えた。しかしマッカーシー旋風以後は反共的傾向を強めている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「ウィットフォーゲル」の意味・わかりやすい解説

ウィットフォーゲル

ドイツ生れ,米国の中国研究者。M.ウェーバーに学び,フランクフルト社会研究所に入って社会経済史研究に従事するとともに,共産主義運動にも参加した。コミンテルン教宣委員を経て,ナチス政権下,1934年米国に亡命。中国社会の解明を意図し,独自の東洋的社会論や征服王朝論を立てた。主著《東洋的専制主義》。
→関連項目征服王朝

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ウィットフォーゲル」の解説

ウィットフォーゲル
Karl August Wittfogel

1896~1988

アメリカの中国研究家。ドイツに生まれ,ハイデルベルク大学ではマックス・ヴェーバーに師事。労働運動に従事しながら史的唯物論による中国研究を進める。1934年,ナチス政権をさけてアメリカに亡命。太平洋調査会,コロンビア大学,ワシントン大学などでアジア社会の研究を続け,灌漑治水をもってアジアの官僚国家体制と専制主義を解明しようとした。主著は『東洋的専制主義』(Oriental Despotism,1952)。

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旺文社世界史事典 三訂版 「ウィットフォーゲル」の解説

ウィットフォーゲル
Karl August Wittfogel

1896〜1990
ドイツ生まれのアメリカの社会学者
もとドイツ共産党に属し,1934年アメリカに亡命。その後,マルクス主義の立場から離れ,『中国の経済と社会』(1931)などでアジア的停滞論を展開。理論として,東洋的専制主義(オリエンタル−ディスポティズム)論を提唱し,また中国史に関しては,遼・金・元などの異民族による中国支配王朝を征服王朝と命名した。

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世界大百科事典(旧版)内のウィットフォーゲルの言及

【灌漑】より

…したがって中国の水問題の根本的解決は長江水系の水をいかに多量に華北に送水するかということにあり,現在いろいろの計画がなされている。 ところで,中国の治水灌漑について,ウィットフォーゲルの有名な〈水の理論〉ともいうべき説がある。彼の説は大規模かつ統合的な治水,灌漑の必要性が強大な中央集権的官僚制国家を生み出したということにあるが,中国最初の統一国家である秦・漢帝国は華北を基盤に成立したものであり,この時代にはすでに中国社会の諸特質もほぼ成立している。…

【国家】より

…要するにこの種の組織化が始まることによって,当初は一時的であり限定されていた指導権が恒久化し強化され,ついには世襲化ないしは制度化されて,国家的機構の基礎が築かれるというのである。 従来,国家の起源をめぐって,たとえばF.オッペンハイマーやR.トゥルンワルトが唱えた征服説や,K.A.ウィットフォーゲルの灌漑説などが注目を浴びたが,それらは,サービスの理論によれば,上述の組織化と指導権の制度化を生み出すいくつかの要因の一つにすぎないことになる。国家形成へいたる道筋は必ずしも一つではなく複数でありうるという見解はR.コーエンやL.クレーダーによっても示されている。…

【征服王朝】より

…一般には,他民族を征服して樹立された王朝をいい,その例は世界史上に広く見られるが,とくに中国に対する北方民族の征服行為の結果生まれた中国王朝の一類型を指す語として用いられることが多い。この場合は,正しくは中国征服王朝といい,ウィットフォーゲルが馮家昇(ふうかしよう)との共著《中国社会史――遼(907‐1125)》(1949)の序論で説いた概念として知られる。彼は中国王朝を典型的中国王朝と中国征服王朝に分けた。…

※「ウィットフォーゲル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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