デジタル大辞泉 「官僚制」の意味・読み・例文・類語
かんりょう‐せい〔クワンレウ‐〕【官僚制】
2 合理的な規則や秩序に従って組織の目標を効率的に達成しようとする管理運営の体系・形態。
翻訳|bureaucracy
官僚制ということばは多義的で,能率的な組織をさすこともあれば逆に組織の非能率をさすこともあり,また専門官吏による行政をさすこともあればこれら専門官吏が権力を掌握している状態をさすこともある。これは官僚制現象自体の動的な性格,構造によるもので,この点を理解すればその意味を整合的に説明することも困難ではない。ここでは,一定の合理的な方法で編制された行政組織が,そのことにより社会に対して統制力を発揮するに至ったとき,そのような作用,または作用の中核となる組織自体をさして用いられることばである,と理解する。
もっとも,このような理解が成立するまでにはいくたの歴史的変遷があった。bureaucracy(官僚制)という語の起源は,18世紀の中葉,フランスで役所を表すbureauと力ないし支配を表すギリシア語kratiaとが合成された新語bureaucratieのうちに見いだすことができるが,当初,このことばは君主による統治の補助手段にすぎぬはずの官吏がみずから主役の座をうかがうような状態,いわば官僚政治をさすものとして用いられることが多かった。このころ啓蒙哲学者ド・グリムが書き残したもののなかで,それが君主制,貴族制などと並ぶ政体の一類型として扱われているのはその例証である。19世紀の中葉に至り,このことばにより明確な定義を与えようとして,ル・プレーは,細目に心を奪われ,必要以上に仕事を複雑にし,世の中の自発的な動きを抑えることに腐心している役人のあいだに権限をまき散らすことをいう,と書いた。すなわち,官僚制の意味内容が手段の自己目的化の結果として起こるさまざまの病理現象へと微妙に変化してきたのである。ただ,それが好ましからぬことばとして用いられている点には変りがなかった。だが,このような用語法はM.ウェーバーの出現で一変する。はじめに提示した理解の仕方は,基本的にこのウェーバーの官僚制論に負っているのである。
ウェーバーによれば近代官僚制とは,組織に必要な活動が合理的に分業化され,法規の定める権限によってそれを執行する力が与えられること,階統制(ヒエラルヒー)と呼ばれるピラミッド型構成がとられ,これにより上命下服の関係が体系化されること,専門の原則が支配し,職員の採用は専門能力の有無によって決定され,世襲や情実による採用が排除されるとともに,いったん採用された職員はその地位を保障され,昇進制が確立されること,および職務の執行にあたり職員には私情を抑えることが強く求められ,不公平な取扱いが回避されること,などの合理性をもった組織であるとされたのである。
このような編制方法が合理的であるとされるわけは,ウェーバーにより近代官僚制と対置された家産官僚制の特質をみることによって明らかとなるであろう。もっとも,ウェーバー自身は,古代エジプトおよび中国の事例に言及した場合を除き,家産官僚制という用語を避けている。代わって家産制的行政,家産制的官吏といった表現を多用しているが,この家産制的行政とはもともと領主の純個人的な家計需要を充足するためにつくり出された管理システムであり,そこには近代国家に特徴的な公的領域と私的領域との区別がない。その担い手たる家産制的官吏の地位は,基本的に,領主の恣意と恩寵に依存しており,彼らに要求される忠誠は,官僚制的官吏におけるような非人格的職務忠実ではなく,領主個人に対する下僕としての忠誠にほかならないのである。このような関係は,他方,領民に対する官吏の関係のうちにそのまま再現される。すなわち,彼らは,客観的な法に基づく官僚制的行政とは対蹠的に,提訴者の〈人のいかん〉により,そのつど,個人的な恣意と恩寵にしたがって決定を下すことになる。そして,試験任用と業績の証明による昇進の方法を採りいれ,恣意と恩寵からの離脱を図った中国の官吏制度も,専門の原理に基づく権限の分割を欠いていたがゆえに,結局,家産制的官吏の枠を超えるものではなかったとウェーバーは断じているのである。
ところで,ここに列挙したような編制方法自体は,実はウェーバーの独創ではない。それらは近代国家の行政組織に共通してみられる特色であり,そのようなものとしてヘーゲルなどによりつとに指摘されてきたものであった。ただ彼らの場合,このような方法で編制された組織が官僚制の名で呼ばれることはなく,それらは端的に行政組織と呼ばれていた。ウェーバーの行ったことを極言すれば,今日いう〈官僚主義〉,つまり行政組織に随伴するもろもろの病理現象を表す〈呪いのことば〉として用いられていた官僚制ということばから悪い意味あいを取り除き,ことばを中立化するということでしかなかった。だが,その結果は,以後における支配の理論と実践に深甚な影響を及ぼすことになる。その理由としては,二つのことが考えられよう。
第1は,内部が合理的に編制されることにより外部に対し統制力を発揮するようになるのはなぜかという問題について,一応の説明が与えられたことである。すなわちウェーバーによると,合理的に編制された組織は外部からみたとき機構Anstaltとしての性格をもつようになり,これが統制力の源泉になるというのである。もっとも機構にまで成長するについては,個々の職員が訓練と禁欲を通じてみずからを組織目的と一体化し,組織の命令や規則を内面化していくことが必要であろう。内部におけるこのような人間改造があって,はじめて組織は外部に対し機構としてたち現れることが可能になるのである。通常の人間を前提とするかぎり,この過程で,本来手段的価値しかもたぬはずの権限や手続が情緒化され,自己目的化していくことは避けがたい。つまり秘密主義,画一主義,先例踏襲,繁文縟礼(じよくれい)といった病理の発生は,官僚制が作動するうえで,ある程度不可避の随伴現象ということになるのである。フランスの社会学者クロジエMichel Crozier(1922- )が官僚制とは自己修正のきかぬ組織であると定義づけたゆえんである。もっとも,ウェーバー自身この点をどこまで明確に認識していたかは明らかでない。当時におけるドイツ官僚制の作用をその病理面まで含めて全体的に評価したことが,結果として,そのような認識を生んだということも十分考えられる。ただ,とにかく,それまで間題とされていた官僚制のマイナス面をあえて不問に付することで,その官僚制論は内部の合理的な編制と外部に対する権力的な支配とを結びつけるような役割を果たしたのであった。
第2は,いわゆる大衆民主制が現実のものになったということである。すなわち,名望家行政のような身分制的諸制度が支配機能を営んでいるあいだは,機構による支配が発達する余地も乏しい。実際,ウェーバー以前の時期における官僚制批判は身分制的諸制度の立場からするものが多かった。逆にこうした諸制度がくずれ,大衆民主制的状況が出現すると,機構による支配は有効な支配の方式となる。この点はウェーバー自身よく承知していた。彼が支配の正当性根拠と官僚制のタイプのあいだには対応関係があり,近代官僚制は近代社会に特有な正当性根拠,すなわち制定された規則の合理性に対する信仰によって支配が正当化される合法的支配と適合的な関係にあると述べたのは,そのことを示している。つまりその官僚制論は,はじめから合法的支配が妥当する大衆民主制的状況を想定して,構成されていたのであった。
だが,そうなると一つ問題が起こる。それは,ウェーバーの場合,民主制ということばは身分制的差別の消滅による社会的平準化という形態論的な意味で用いられているが,もしこれを住民自治ということば本来の意味に理解したならばどうなるか,という問題である。実は,ウェーバー自身このような問題があることに気づかなかったわけではない。彼によると,この場合には,民主制は官僚制化の傾向と予盾することになるという。この矛盾を避けようとすれば,官僚制に代わる支配の方式を構想する必要があろう。そのような方式の基礎になるものとして,彼自身は団体Vereinを考えていたといわれるが,この考えは十分に展開されることがなかった。
ここで日本における官僚制の問題に触れておこう。明治中期に創設された諸制度のもとで発達してきた日本官僚制は,西欧近代の歴史的発展から抽出された上述の官僚制モデルで説明される面もすくなくないが,なおそこからはみ出すような特質をもそなえている。国家=官僚の自同視の観念,法規万能の支配様式,家族主義に根差すという稟議(りんぎ)制やセクショナリズムの遍在,職位の序列関係が私生活の領域にまで侵入し,人格的序列関係をつくり出していること,などがそれである。そして,これら意識,行動面における特質は,多少の変容をこうむりつつも,基本的には,第2次大戦後の現在にまでもち越されているという。
しかし,こうした特質のもつ意味を十分に理解するためには,日本官僚制がその発展の過程で果たしてきた諸機能と関連づけて把握する必要があろう。すなわち,官僚制にはもともと公務の担い手を養成・選抜する機能がそなわっているが,日本官僚制に期待されたのはまずこの機能であった。こうして,戦前期,多数の政治的指導者が官僚制度を通じて補充されることになる。その典型は政治家型官吏としての知事であった。そして,この知事の人事権を有する内務省が官僚制度の中核を形づくることになったのである。ところで,この内務省主導型の官僚制に課せられた任務は,単に手続的に政策執行,秩序維持に当たるというだけでなく,すすんでみずから近代化の推進力になるという実質的な内容をもつものであった。いうまでもなく官僚制的行政はそれ自体近代化のための有効な手段であるが,かかる実質的な目標が与えられていたために,手続よりは産出=実績を重視する評価基準が形成されてきたことはこのさい注目されてよい。さらに,この点と関連するが,官吏の意識形態は多分に家産制的官吏のそれであった。1887年制定の勅令〈官吏服務紀律〉の条項はそのことを物語っている。もちろん,こうした意識形態自体は幕藩体制のもとで成熟段階に達した家産制的行政に由来するものであろう。ただ,天皇自身が家産領主のごとき人格の担い手ではなかったことから,忠誠の対象は事実上機構化された省庁に移行する。と同時に,近代化が広範な同意を得た国家目標として措定されていたこともあって,客観的な行動形態としては,官僚制的官吏のそれに近づきつつあったといってよい。そして,こうした家産制=官僚制複合を根底で支えていたものは,おそらく近代化の跛行性と社会内部における意識の落差であった。
戦後における一連の制度改革は政治家型官吏の退潮をもたらした。そしてそれに代わって,技術屋型の経済官僚が官僚制度の中枢部を占めるに至ったといわれている。たしかに,近代化が経済的復興・自立,経済成長という装いのもとに国家目標としての地位を占めつづけていた間は,日本官僚制も,重心が内務省から経済官庁に移り変わった以外,従前どおり作動しつづけていたといえよう。しかし,こうした技術官僚の優位自体は,実は,総力戦体制のもとで強行された官僚制の技術的合理化によって準備されていたことを忘れてはならない。戦争は,日本においても,大衆民主制的状況を高進させるとともに,官僚制の革新を促す有力な契機となっていたのである。ところで,規則を重視する官僚制的行政には政策における連続と安定を保障するという機能がある。昭和40年代,一応の近代化を達成し,同時に明確な国家目標が消失するに至ったとき,あらためて日本官僚制に期待されたものはまさしくこの安定化機能であった。こうした転換の背景には,いうまでもなく,一応の生活水準に達した国民一般が既得権益の保障,つまり〈所領安堵〉を志向しはじめたという事情がある。だが,このようにして官僚制化がいちだんと強まる一方で,あたかもそれに拮抗するかのごとく,行政の家産制的側面が再評価されはじめていることは注目に値する。たとえば,この傾向は,巨視的には国庫管理を至上目的とする大蔵省主導型の行政システムの強化のうちに,また微視的には伝統的な官庁会計方式を墨守する態度のうちにも現れているのである。こうして,いまや新しい家産制=官僚制複合が形成されつつあるが,たまたま時を同じくして歴史の日程にのぼりつつある国際化と脱近代化という新しい問題状況にこの複合がどう対応していくかは,日本官僚制の将来を決定する鍵になるように思われる。
以上,行政領域における官僚制について説明してきたが,官僚制を特徴づける合理的な編制方法自体はなにも行政官僚制に限ってみられるものではない。それは企業,組合など行政以外の領域においても,組織が大規模化するにつれて現れてくる普遍的な編制方法なのである。ウェーバーも,他方,政党組織の官僚制化を検出したR.ミヘルスの影響を受けて,この事実に注目し,官僚制化は人間活動のあらゆる分野において進行する近代の宿命であると述べた。つまり,それだけことばの適用範囲が拡大されたわけである。ただ,行政以外の領域における官僚制の場合には,組織内部における幹部職員の一般職員に対する支配は問題になっても,外部すなわち社会に対する支配は問題となりえない。ウェーバーがこの点の区別をはっきりさせなかったために,その後における官僚制論には混乱がみられるが,アメリカを中心として組織論の名のもとに展開された官僚制論でとりあげられているのは,まさしくこの組織内部におけるいわゆる管理の問題である。当然,そこでは,組織目的を効果的に実現するにはいかなる管理を行うべきかという能率論が考察の中心となろう。それはそれで十分に意味のある試みである。だが,もしその成果が無批判的に行政領域にもち込まれるようになると,そのこと自体政治的な含みをもってくる点に注意する必要がある。
→官僚 →公務員 →支配
執筆者:伊藤 大一
M.ウェーバーによって家産官僚制と範疇区分された中国の官僚制は,前220年に成立した秦帝国において,すでに整備された段階にあり,以後清帝国末期の19世紀に至るまで,2000年間,中国の歴史とともに充実,発展し,皇帝支配を支えるなによりも重要な柱となった。
ウェーバーの類型が拡大されて家産官僚制は,ヨーロッパの合理的近代官僚制に対置される非能率,不合理な官僚制とみなされがちである。旧中国の官僚は16世紀以後,中国を訪れたポルトガル人が使いはじめたマンダリンの名をかぶされ,尊大で得体の知れぬそのイメージが家産官僚と重なり合い,制度として劣悪といった誤解を与えてきたと思われる。しかし,少なくとも10世紀以降の中国では,ウェーバーが合理的官僚制の理念型の指標としてあげた,任命,俸給,恩給,昇進,専門的習熟と分業,文書処理,上下の段階秩序,公私区分などの組織原理をほとんどすべて見いだすことができる。むろん中国の官僚制を支える精神には,カリスマ的・伝統的な性格が強く,ウェーバーの合理的官僚制と相いれぬ部分も多い。だが家産官僚制の一語をもって,それなりに高度な内容を備え,2000年以上の中国の歴史の歩みの中で整備されてきた官僚制をかたづけるのは不適当であろう。ウェーバーが予言したように現在,官僚制は,資本主義,社会主義を問わず各国で深刻な弊害を起こしている。旧中国の官僚制はそうした問題を先取りして組み立てられている面,例えば高級官僚群に知的人格を要求することもある。以下旧中国の官僚制の特色を列挙したい。
宇宙の主宰者天の代行者が天子で,それを補佐するのが官という観念は中国では20世紀まで変わらず,漢代に指導理念となった儒教イデオロギーによっても強力にそれは裏打ちされてきた。人徳,知識,教養すぐれた人物が,血縁,地縁共同体から選抜され,人民に対しては牧夫が羊に,親が子に対するように撫育し教化するわけで,ここには公僕といった意識はほとんどない。他面,天子や官僚に不行届があれば,天が災異などを通じて意志を現し,それでも改めなければやがて革命,つまり天命が革(あらた)まって王朝交代に至る。
儒教イデオロギーを軸とした皇帝・官僚支配は,制度面でも独特の形体を作りあげた。秦・漢に始まり南北朝をへて発達してきた中国の官制は,唐代の《六典》にみられる3省6部制として結晶し,日本にも影響を及ぼす。それは唐までの現実と,儒教経典の《周礼》をふまえた制度にほかならない。唐・宋の大きな変革をへて,10世紀半ばに成立した宋王朝は,皇帝に責任と義務が集中する君主独裁制を確立させ,それに伴って官僚制も複雑に分化しつつ整備,再編制されたが,《周礼》《六典》の基本線は動かされなかった。19世紀ヨーロッパ列強の進出に対して,外務省さえも簡単には設置できなかったほど,中国の官制は完成したものとして意識されていたのである。
中国の官僚制の次の特色として官の数が少なく,しかも官員が専門知識の所有者というより,人格者,教養人をたてまえとする点があげられる。漢代の郷挙里選の法,魏・晋以後の九品官人法,隋・唐から宋以降の科挙で官僚階級の仲間入りした人たちは,すべて徳治主義を標榜する人格者であるべきであった。隋・唐以前,比較的統治技術が簡単だった時代はまだしも,唐中期以後,社会が複雑化し,行政も細分多様化すると,非専門の教養人ではことが運ばなくなる。とくに唐・宋以降,官を裏面で支え,行政,財政,軍事あらゆる分野で活躍する集団として胥吏(しより)=吏が表面にあらわれてくる。日本では官吏と呼ばれるように,官と吏は同じ次元で考えられがちだが,中国の官僚制では厳密に区別されなければならない。官は天子から任命され,正規の俸給を受け取り,社会的地位も高いが,吏は一つの役所,一地方ごとにギルド的組織を持ち,徒弟制度的に訓練される。その収入は手数料の名目で徴税裁判などあらゆる機会をとらえて人民,官員両方から搾取する賄賂により,官は吏の行為に通常は容喙(ようかい)できない。宋代,全国で約5万の官員に対し,十数倍から数十倍の吏がいて,人民から搾取をほしいままにしていた。
家産制の言葉どおり,旧中国では,官僚のポストそのものが特権と富の源泉であったことは事実である。〈三年清知府,十万雪花銀〉のことわざどおり,辛酸をなめつくして科挙に合格すれば,富と栄誉を意のままに入手できた。しかし,それ以外では,いかに胥吏や宦官で賄賂をとって富豪となっても社会的地位は得られない。広大な中国の富が,地主,商人と三位一体化した形で官僚のもとに集まり,彼らがそれをふんだんに消費することで,中国近世の士大夫文化が醸成された。官僚のもとに蓄積された富は産業資本に転化されることなく,ヨーロッパ勢力進出以後も官僚資本として独自の役割を果たすことになる。地域によって経済,文化の発展が著しく異なる中国で,この官僚制は県までの行政区画をとおしてきわめて融通のきく形で,広大な全国を中央・皇帝に結びつけ,中国に最も適した機構としてその機能を果たした。
執筆者:梅原 郁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
英語のビューロクラシーということばは、事務机、転じて事務室、そこでの執務者を意味する「ビューロー」と、ギリシア語の「クラトス」kratosつまり力に由来する「クラシー」を結び付けた合成語で、18世紀なかば過ぎのフランスで登場したとされており、そこには伝統的な君主制、貴族制、民主制などの政治支配の形態とは異なった官僚集団による新しい支配、あるいはそのような支配を行う官僚集団の台頭という意味が込められていた。この語はその後、広くドイツ、イギリスなどヨーロッパ諸国で用いられるようになったが、ほぼ19世紀を通じて、行政官僚による政治支配という意味での官僚制の典型とみなされたのはドイツ、フランスの官僚制、なかんずくプロイセン・ドイツの官僚制であった。
ところが20世紀に入るころになると、官僚制をめぐる事実状況も理論状況も根本的に変化してくる。まず前者からみると、先に示唆されたように、官僚制ということばの登場と流布の現実的背景となったのは、フランス大革命以前のフランス絶対王政の官僚制であり、ついで16世紀中葉以降の長い伝統をもちつつ19世紀初頭のシュタイン‐ハルデンベルクの改革を経たプロイセン・ドイツの官僚制であった。しかし19世紀以降の資本主義的生産関係と大衆デモクラシーとの進展は、経済的後進国ないし後発国であったために、もともと強大な国家・官僚制をもっていたフランスおよびプロイセン・ドイツの官僚制の「ブルジョア化」(フランス革命後のフランス)ないし「上からの近代化」(プロイセン・ドイツの場合)を促進しただけではなく、資本主義の発展が順調で市民社会の自律性が強く、そのため弱い国家しか必要としなかったイギリス、アメリカなどの国々においても、職業的官吏制度の形成、そして合理的で階統制的(ハイラーキカル)組織形態という意味での官僚制の成立を不可避にしたのである。
しかもピラミッド型の合理的な組織形態という意味での官僚制は、たとえば中世のカトリック教会においてその先駆的形態がみられただけではなく、現代においては、国家のみならず、企業、政党、組合その他の大規模組織に共通にみいだされる特徴である。そしてこのような意味での近代―現代における官僚制化を独自の歴史的視角から理論化したのが後述するマックス・ウェーバーであった。
ところで、さしあたって現代の国家に限定していっても、その行政組織の官僚制化は、古典的意味での官僚制、つまり行政官僚による政治支配をふたたび惹起(じゃっき)しがちであるという意味で、民主主義の政治原理との関係で深刻な問題を提起している。のみならず、官僚制的行政に特有の逆機能、つまり、技術的にもっとも優秀と想定されている官僚制の作動がかならずしもそうではなく、そこに組み込まれている人間の意識や行動が通常「官僚主義」とよばれているさまざまな「病理」現象を示すことが注目されるようになってきた。したがって今日における官僚制は、
(1)行政官僚による政治の支配=「官僚政治」、
(2)分業と協業の原理によって合理的に組み立てられた組織形態=「階統制」、
(3)それらに付随しがちな意識や行動=「官僚主義」
という三つの意味合いを含んでいるといえる。
[田口富久治]
よく知られているようにウェーバーは、西欧のみに特有の「近代化」を「(目的)合理化」の過程とみ、その組織的表現形態を「官僚制(化)」としてとらえた。その官僚制論は彼の正統的支配の三類型のなかの合法的支配と結び付けられた理念型として展開されている。彼によれば、近代官僚制の特有の機能様式は、規則により体系化された権限の原則、階統制と審級制の原則、文書とスタッフに依拠する職務執行、行政幹部の公私の分離、専門的訓練を前提とする職務活動、職務の専任化、特殊な技術学(法律学、行政学、経営学)の習得などであり、このような官僚制機構は、理念的には、精確、迅速、明確、文書への精通、継続性、慎重性、統一性、厳格な服従関係、摩擦の防止、物的人的費用の節約などの点で、他のあらゆる行政形態と比べて純技術的に優れているとする。そして西欧における近代官僚制の出現を促した条件としては、
(1)貨幣経済の発展、
(2)行政事務の量的・質的発達、
(3)官僚制的組織の技術的優秀性、
(4)首長への行政手段の集中(行政官の行政手段からの分離)、
(5)社会的差別の水準化(大衆デモクラシーの出現)
をあげているが、とくに(4)(5)の条件に注目されたい。
それではウェーバーは、彼の理念型としての近代官僚制に近い、市民革命ないし「上からのブルジョア化」をいちおう経たいわばブルジョア官僚制との対比において、絶対主義的官僚制(とその遺産)の特徴をどうとらえたのか。彼は後者を批判的に特徴づけるのに、「官僚制の家産制的性格」ないし「家産制的官僚制」という用語を用いており、この点がヒントになろう。つまり、国土と人民が首長の家産とみなされ、また官吏が契約によって任命されるのではなく、本質的には首長の私的使用人とみなされる場合には、そのような官吏団が、階統制的に編成され、即物的な権限をもって機能していようとも、そこには君主=国家への絶対的かつ無定量の忠誠(人格的服従義務)、階統制内部における「権威の序列化」と身分的支配、一般人民との関係における官吏身分の特権性と後見性原理など、18世紀末のプロイセン官僚制に典型的にみられたような特徴が現れるであろう(日本については後述)。
ウェーバーの官僚制論でもう一つ注目すべき点がある。それは、官僚制を階級社会ないし資本主義に特有の現象とみなし、社会主義になれば官僚制は容易に人民の自己統治にとってかわられていき、さらに共産主義社会においては国家もしたがって官僚制も死滅するであろうとしていたマルクス主義者の楽観的展望とは対照的に、ウェーバーは逆に、社会主義になれば、資本主義においてみられるような国家官僚制と私的官僚制とのある程度の相互抑制も廃止されて、国家的官僚制が独裁的に威力を振るうであろうとする悲観的見通しを提示していたことである。この点については、またあとで触れる。
[田口富久治]
明治維新以降の日本の官僚制は、新生日本の対外独立(それは容易に対外侵出に転化していったが)を維持するための「近代化」=「富国強兵」「殖産興業」の担い手として、また自由民権運動などに対抗する天皇制的専制支配の中枢的権力機構として形成され発展していった。その特徴を統治機構、組織形態、行動様式の3側面から概観しよう。
第一に、明治憲法下の統治機構において天皇主権下の外見的立憲主義が採用されたにもかかわらず、文武の官僚制は、枢密院、貴族院、元老・重臣などにもその勢力を扶植しつつ、権力中枢と重要な政策決定機能をほぼ独占するか、少なくともそこにおいてもっとも重要な地位を占めていた。その意味で、明治憲法下の日本の統治は、天皇制官僚集団による統治=官僚政治を基本的特色としていたといえよう。
第二に、その組織形態をみると、統治機構レベルにおける多元的政治勢力による割拠性のみならず、行政機構レベルにおける各省中心のセクショナリズムが著しく、このような特徴は、敗戦に至るまで解消されることがなかった。その理由はいろいろあるが、実権をもたない天皇の権威を借りて、相争う藩閥諸勢力が統治機構を形成していったという歴史的事情に加えて、明治憲法下における統帥権の独立、枢密院設置、貴族院の強力な権限、議院内閣制の拒否、大臣の単独輔弼(ほひつ)責任制、国務大臣・行政大臣兼任制などが大きな影響を与えた。
第三に、その行動様式上の特徴をみると、わが国における官僚制には、18世紀末のプロイセンのそれと比べてさえ、家産官僚制的色彩がより濃厚であるといえよう。すなわち、官僚制と民衆との関係においては、後見的支配、官・民差別観の公認がみられ、官僚制の内的関係においては、官吏の天皇および天皇の政府に対する人格的服従義務、権威の身分的序列化、官職と人格の未分離などがみられ、この両者の関係が相互に規定しあっていたのである。これらを総称して権威的支配の行動様式とよぶことができよう。もっとも戦前のわが国においても、官吏の任用にあたって公開試験制度が採用されていたが、それは「高文」(高等文官試験)制度にみられるように、特権的官吏団を学閥的に再生産する機能を担ったのである。
第二次世界大戦後の日本においては、天皇の官吏は国民の公僕に転換し、また代議制の統治機構が採用されたために、法形式的には官僚政治の余地はなくなったが、新しい行政国家の台頭に伴って、民主主義と官僚制との関係がふたたび問われ、また戦前からの遺産と新しい行政国家的状況のアマルガム(混合)による官僚制のセクショナリズムや官僚主義の克服が課題となっている。
[田口富久治]
かつて社会主義国としてあったソ連や東欧諸国など、また現在も残存する中国や北朝鮮などの社会主義諸国をみる限り、そこでは官僚制は衰退しているどころか、ウェーバーも予測したようにむしろ拡大・強化さえしてきた。社会主義における官僚制の存続の根源を、資本主義の残滓(ざんし)やこれら諸国の後進性などに求める見解はもはや説得力をもたない。このような情勢のなかで、旧ソ連などの反体制理論家のなかからも、その根源を、そこにおける生産力の低位性と、なかんずく社会的分業において占める地位によって相対的に固定化された成層的構造に求める見解が現れていた。たとえばハンガリーのヘゲデューシュAndrás Hegedüs(1922―1999)は、官僚制的社会諸関係の本質を、社会の管理や統治を職業とする社会的カテゴリー(官僚)が直接生産者の利害と分離されたそれ独自の局部的利害をもつ点に求め、現存社会主義においてはその生産力水準、分業的階層化などに規定されて、そのような意味での官僚制の存在は不可避であるばかりか一定の積極的意義をもつことをも認め、それを不断に「人間化」し社会的統制に服せしめる必要=必然性を説いていた点で注目に値しよう。
[田口富久治]
『マックス・ウェーバー著、世良晃志郎訳『支配の社会学』全2巻(1990~1991・創文社)』▽『M・アルブロウ著、君村昌訳『官僚制――管理社会と国家の核心』(1974・福村出版)』▽『辻清明著『新版日本官僚制の研究』(1969・東京大学出版会)』▽『井出嘉憲著『日本官僚制と行政文化――行政の発展』(1982・東京大学出版会)』▽『西尾勝・村松岐夫編著『講座行政学』第1巻(1994・有斐閣)』▽『岡田彰著『現代日本官僚制の成立――戦後占領期における行政制度の再編成』(1994・法政大学出版局)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
(新藤宗幸 千葉大学法経学部教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
一般的には,特権的な社会層を形成する官僚集団が行う政治支配形態をいい,近代国家における合理主義的職掌分業システムをさす。その語は18世紀に生まれ,従来の君主制や貴族制とは異なる新しい支配形態を意味した。これに対し,M.ヴェーバーが定義した近代官僚制は,職務権限や給与体系の法制化,専門職による分業,文書による処理,採用における世襲や情実の排除などの特徴があり,近代市民革命の所産としてそれまでの絶対主義的官僚制やアジアの家産的官僚制と区別された。しかし,早くから皇帝支配が確立した中国の官僚制においては,ヴェーバーが指摘する近代官僚制の特徴をすでに多く備えており,それを「遅れた」形態としてみることを困難にしている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…それ以前の社会では,人々の地位は身分,家柄,財産などによりあらかじめ決められており,学歴は人々がすでに一定の地位にあることを象徴する役割を果たすにすぎなかった。ところが,18世紀から19世紀にかけて近代的な官僚制度が成立して,行政官僚の試験による任用が始まり,また医師,法曹,教育,技術者のような高度の専門的知識・技術を必要とするプロフェッションについても試験の制度がとり入れられるとともに,学歴はそれら社会的に高く評価される職業につくための基礎資格として,しだいに重要性を増していった。産業社会の学歴社会化は,このように,学歴が特定の職業的地位を獲得するための手段となったときに始まったとみることができる。…
…ただ,より一般的には,このことばはむしろ官吏が権力者の意図を実施に移すという執行的な役割から逸脱し,みずから権力者たらんとする志向を示すようになったときに用いられてきたといえる。そして,これは官僚制の観念のうちに,〈政府とその機関が一般人民に対してほしいままに行使する権力〉(《ドイツ外来語辞典》1813)という意味が含まれていたことと関連しているのである。 ところで,こうした権力志向が現れてくるについては,官僚個人の人格的要素とは別に,いくつかの制度的な理由が考えられる。…
…
【行政の発展】
ところで,上記のいずれの用語法によるにしろ,行政なる概念の中核にあるのは,職業的行政官で構成されている行政機関の活動,なかんずく一般に官僚と呼ばれている幹部職員層の活動である。したがって行政の概念は,近代国家における行政官僚制の成立とともに生まれ,政治制度の発展にともなって変容してきた。そこで,近代国家から現代国家にいたる発展史を絶対王政,立憲君主制,近代民主制,そして現代民主制の各時代に区分して,行政の生成と変容の過程を概観してみることにしよう。…
…行政裁量は,行政機関の一連の活動すなわち行政過程のあらゆる部面で行使されるものであって,その対象領域には,国の政令・省令あるいは地方公共団体の条例・規則などの行政立法をはじめ,行政計画,行政処分,行政指導,行政強制などのほか,国や地方公共団体と私人との間の契約(公法上・私法上の契約)などの私経済的作用も含まれる。
[官僚制の発達と行政裁量]
行政裁量は行政権による裁量であるが,実際に裁量を行使するのは,行政権限の担い手である行政官僚であり,行政裁量の発達は,官僚制の発達と密接に関連している。これを現代行政に限って見ても,各国において,政府与党による官僚操作と官僚による実質的な政治支配との相互作用が,政治的行政裁量の増大をもたらし,他方,現代行政における専門技術的な要素とこれに対応する官僚の専門的な知識と経験の集積が,行政における専門技術的裁量を発達させてきたのである。…
… イエモトの現実的な形態としては,芸道の家元以外に,日本の大きな組織体,たとえば,官庁,政党,企業,労働組合やその連合体,大学,大病院,宗派,やくざ組織などを想定することができる。それらは,多くの場合,シンボル化されたトップをいただくヒエラルヒー組織であって,形態的には近代官僚制機構(ビューロクラシー)に似るが,その本質は異なる。支配―服従の位階的なヒエラルヒーとしての官僚制は,人的資源の権力的独占を行うキャピタル・モノポリーである。…
※「官僚制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
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