日本大百科全書(ニッポニカ) 「東洋的専制主義」の意味・わかりやすい解説
東洋的専制主義
とうようてきせんせいしゅぎ
oriental despotism
東洋の前近代社会に普遍的にみられる政治形態で、東洋的専制政治とも訳される。そのもとでは君主は、通常、王位を世襲し、権力を独占するが、また神の子、神の化身として神格化された。こうした政治形態は、なんらかの形で人民の政治的合意の手続を必要とする独裁dictatorshipとは区別され、古代オリエントやインド、中国などの王朝のほか、わが国の律令(りつりょう)国家も本質的にはこの類型に含まれる。専制主義のもとでは、人民は政治的にまったく無権利であり、政体を民主制・君主制・専制主義の三つに区分したモンテスキューは、これを政治的奴隷制とよんだ(『法の精神』)。ヘーゲルは、世界史とは自由の意識を内実とする原理の発展段階を叙述するものであるとし、自由意識の最初に芽生えたのはアジアであり、そこでは専制君主が唯一の自由人として現れたとして、精神の光と、したがってまた世界史とはアジアに始まったといっている(『歴史哲学』)。
マルクスおよびエンゲルスはその往復書簡(1853年6月)のなかで、土地私有の欠如がオリエントの天国に至るためにも現実の鍵(かぎ)であるとし、また古い共同体が存続した所では、数千年このかた、インドからロシアに至るまで、もっとも粗野な国家形態である東洋的専制政治の基礎となっているといっている(『反デューリング論』)。ここでいう古い共同体とは、いわゆるアジア的共同体のことで、アジア的生産様式に照応し、人類史の始源に位置づけられたものである。しかし、アジア的専制政治(国家)はアジア的共同体のみを基盤に成立するものではなく、奴隷制(家父長的奴隷制)をも不可欠の条件とする人類史上最初の国家形態であった。従来ややもすれば、マルクス歴史理論の理解において、専制主義の基礎にアジア的共同体=アジア的生産様式があることをもって、アジア的生産様式は階級的生産様式であると主張されたが、アジア的専制国家は無階級的と階級的の二つの生産様式の複合的基盤の上に成立している点が看過されてはならない。
マックス・ウェーバーは、こうした東洋的専制主義(国家)を、封建制との対比において、家父長的支配構造と同質な、家産制国家あるいは家産国家的構成体の概念でよんだ(『経済と社会』)。ウェーバーの認識は、その本質規定においてマルクス、エンゲルスを超えるものではないが、しかし彼の家産官僚制支配の分析には、東洋的専制主義の政治・経済の理解にとって示唆するところが少なくない。
[原秀三郎]
『原秀三郎著『日本古代国家史研究』(1980・東京大学出版会)』