アメリカの数学者、サイバネティックスの提唱者。11月26日ミズーリ州コロンビアに生まれる。父レオ・ウィーナーLeo Wiener(1862―1939)はポーランド生まれのユダヤ人で、18歳のときアメリカに渡り、苦学してミズーリ大学ドイツ語・フランス語の教授となり、ドイツ系ユダヤ人の百貨店主の娘と結婚した。ノバートはその第1子である。父自身が語学、数学に多面的な才能を有する天才肌の人物で、その父により幼時から徹底した英才教育を受けて、14歳でカレッジを卒業、ハーバード大学大学院に入り、数理哲学の論文で博士の学位を得たのは18歳のときであった。同大学在外研究員として、イギリスのケンブリッジ大学でB・ラッセルの下で数理哲学を学ぶとともに、数学、物理学そのものの勉強の重要性を教えられ、ドイツのゲッティンゲン大学で数学者ヒルベルトに学んだ。第一次世界大戦勃発(ぼっぱつ)とともに帰国、カレッジの哲学臨時講師のほか、さまざまな仕事をしたが、1919年、24歳のときようやくマサチューセッツ工科大学(MIT)の数学講師の職を得、以後、助教授(1925)、準教授(1929)、教授(1932)として、終生ここで研究を進めた。1964年3月18日、学会のために出かけたストックホルムで急死。1935年(昭和10)および1956年(昭和31)に来日した。
MITに就職してまず取り組んだ研究が、確率過程論的な問題、ブラウン運動の数学的研究であった。ウィーナーはラッセルの下に学んだとき、同じ大学のハーディーGodfrey Harold Hardy(1877―1947)からルベーグ積分を学び、これが確率、統計の理論的研究を進めるうえで役だった。ブラウン運動の数学的模型として定義したウィーナー過程に関する研究は、確率過程論の数学に関する新たな一章を開くものとなった。そして、調和解析の手法に関しても大きく貢献した。確率過程の強度スペクトルに関するウィーナー‐ヒンチンの定理は有名である。また、当初のベクトル理論の研究でバナッハ‐ウィーナー空間の理論も広く知られる。
ブラウン運動理論は電気雑音の理論と本質的に同一構造であり、後者は濾波器(ろはき)の問題と基本的にかかわる。これは予測理論と関連し、ウィーナー‐ホップの予測の方程式は、後述のサイバネティックスの提唱にとって重要な意義をもつものとなる。
MITの数学教室の役割が理工科大学における数学科の機能の本質的要素として認められるようになったのは1930年代以降である。その雰囲気のなかでウィーナーの仕事はさらに広く発展する。ホップEberhard F. F. Hopf(1902―1983)との共同研究もそのなかで生まれ、1930年代前半には、のちに情報理論体系の創設者としてウィーナーと並行して研究を進めるシャノンが学生として学んでいた。第二次世界大戦中、ウィーナーは対空火器の射撃制御装置の設計にかかわり、一方、電子計算機の問題にも取り組んだ。また神経生理学者、電気工学者と共同して生物の自己制御機構の研究も進めた。戦後、著作にとりかかり、「動物と機械における制御と通信」を副題とする有名な『サイバネティックス』(1948)を出版した。以後もサイバネティックスについて研究と思索を重ね、社会的に大きな影響を与えるとともに、サイバネティックスの社会的悪用についての警告も行った。ほかに『人間機械論』(1950)、『サイバネティックスはいかにして生まれたか』(1956)、『科学と神』(1964)などの著書がある。
[荒川 泓 2018年6月19日]
『鎮目恭夫訳『サイバネティックスはいかにして生まれたか』(1956/新装版・2002・みすず書房)』▽『池原止戈夫他訳『サイバネティックス――動物と機械における制御と通信』(岩波文庫)』
アメリカの血清学者。オーストリアの生まれ。アメリカ、ニューヨーク大学病院に勤務し、のちロックフェラー研究所員となる。1940年、ランドシュタイナーとともに、ヒトの血球とアカゲザルの血球との間に共通の抗原があることを発見し、これをRh因子と名づけた。RhはアカゲザルMacacus rhesusの頭文字による。輸血に際し、ABO式血液型が同じでも、副反応のあることをみて、その原因をRh因子の不適合に求めた。そして血液中にRh抗原(Rh因子)を有するか否かによって、血液型をRh(+)型と、Rh(-)型とに分けた。
[古川 明]
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アメリカの数学者。サイバネティックスの創始者として知られている。早くから英才教育をうけ,9歳で高校進学,14歳でハーバード大学大学院に進み動物学を専攻したが,すぐに進路を誤ったことに気付きコーネル大学で哲学を学ぶ。奨学金でヨーロッパに留学,ケンブリッジ大学でB.ラッセルに師事し,彼の勧めによって数学に専念。1915年アメリカに帰り,19年マサチューセッツ工科大学数学科に職を得て,32年教授となり,以後ここに勤務した。応用数学者としていくつかの新分野を開拓した研究業績はきわめて高く評価されている。論文や著書は難解であるが独創性に富み,後継者によって発展し普及されたものが多い。調和解析や,時系列の予測理論など,彼の手によるところは多大で,同じく彼によるランダム現象の非線形問題の取扱いにまで発展している。同大学でのコンピューターの開発や神経生理学者との共同研究に参加するなかで,コンピューターと生物における神経系統が類似の構造を有することを認めて数学的理論であるサイバネティックスを創始した。48年刊行の《サイバネティックス》は,あら削りのままの記述が多いとはいえ,アイデアが豊富で示唆に富み,現在も変わらぬ名声を保っている。1935年と56年来日。64年ヨーロッパ旅行中にストックホルムで客死。
執筆者:飛田 武幸
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…1947年にアメリカの数学者N.ウィーナーによって提唱された一つの学問分野。厳密な定義はないが,一般には,生物と機械における通信,制御,情報処理の問題を統一的に取り扱う総合科学とされている。…
…雑音の理論は大きな理論分野を形成している。とくに第2次世界大戦中にN.ウィーナーは,レーダー信号の処理に従事している間に,雑音理論の重要性に気づき,定常雑音中の信号の予測とろ波の理論を確立した。ウィーナーの理論は,その後通信工学,制御工学などに大きな影響を与え,情報理論の発展に大きく寄与している。…
…生体系にせよ機械系にせよ,システムとして整合のとれた動作を行うためには,情報の活用が不可欠である。1947年N.ウィーナーはサイバネティックスという新しい学問を提唱し,通信と制御を中心に両者に共通の情報原理を考察した。これは従来の対象別個別の研究の枠を超えて,生体から機械まで情報を主体として統一的に捉える新しい情報科学の成立を宣言する哲学であった。…
… ブラウン運動の理論はさらに,確率過程の例題として,より美しい数学的形式にみがき上げられていく。ポーランドのM.vonスモルコフスキー,ドイツのフォッカーAdriaan Daniël FokkerおよびM.プランク,フランスのP.ランジュバンによって発展され,さらにのちにはN.ウィーナーにより確率過程の数学の一部門にもなっていく。フォッカー=プランクの方程式は微粒子の位置と速度の確率分布関数がみたすべき方程式であり,ランジュバン方程式は微粒子の運動方程式で,速度の減衰項や外力(重力)のほかに,ランダム・ノイズとしてのゆらぐ力を含んでいる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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