ポーランドの数学者。クラクフに生まれルブフ(現,ウクライナ領リボフ)に没す。幼時に貧しい婦人の家に里子に出されたが,15歳のころには算数などを私的に教え生活していたという。1910年,中学卒業後ルブフ工業専門学校に学んだが卒業はしなかった。14年クラクフに帰り,16年スタインハウスH.Steinhausに会ってから数学研究に没頭。22年に学位論文《抽象集合の上の作用素とその積分方程式への応用》を雑誌《Fundamenta Mathematica》第3巻に発表。27年ルブフ大学教授,39年ポーランド科学アカデミーから大賞を受ける。1924年科学アカデミー通信会員,41年ウクライナ科学アカデミー会員となる。関数解析学の創造者としてバナッハは今世紀最高の数学者の一人と目されている。彼はスタインハウスといっしょに,主として関数解析にささげられた雑誌《Studia Mathematica》を創刊した。彼の導入したバナッハ空間は,ベクトル空間Bで,そのベクトルx,yの距離dis(x,y)によって完備な線形距離空間になるものとして定義される。この完備性によって,BからBへの線形作用素Tの連続性がTのグラフの閉性と一致することが彼の理論の基礎になっている。主著《線形作用素論》(1932)。
執筆者:吉田 耕作
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ポーランドの数学者。関数解析学の創始者の一人。当時オーストリア領であったクラクフに生まれる。1910年クラクフの中学校を終え、1914年までリボフ(現、ウクライナのリビウ)の工科大学で勉強したが、第一次世界大戦の勃発(ぼっぱつ)によりクラクフに戻り、数学の研究を続けた。1920年リボフ大学の助手となり、ここで学位論文をまとめた。これが今日の「バナッハ空間」を定義し、その性質を調べた論文である。修士論文は書いていなかったが、特別な計らいで博士の学位を与えられ、1924年にはポーランド科学アカデミーの通信会員となった。1929年にはスタインハウスHugo Steinhaus(1887―1972)と協力して関数解析の専門誌『Studia Mathematica』を創刊、これは今日では国際的な雑誌の一つになっている。
バナッハ空間とその上の線形作用素の研究だけでなく、三角級数論、直交関数論、測度論、実関数論に多くの重要な仕事を行い、なかでもハーン‐バナッハの定理やバナッハ‐スタインハウスの定理は、関数解析でももっとも重要かつ基本的な結果になっている。『線形作用素論』Théorie des opérations linéaires(1932)は関数解析についての世界最初のまとまった著作である。
[井関清志]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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