1931年イギリス本国と自治領との関係を規定した法律。自治領諸国は,第1次世界大戦中軍事協力を通して本国に対する地位を向上させ,両者の関係は植民地的従属関係から対等な立場で結合する連邦体制へと発展しつつあった。こうした変容を反映し,帝国会議は1926年に,〈本国と自治領はそれぞれ地位の平等な自治社会であり,王冠に対する共通の忠誠により自由に連合している〉と定義したバルフォア報告を採択し,30年には自治領総督を象徴的存在とする決議を行った。ウェストミンスター憲章は,これらの決定を翌31年イギリス議会が立法化したもので,イギリス連邦の根本を規定した。これにより,自治領(カナダ,オーストラリア,ニュージーランド,南アフリカ連邦,アイルランド自由国,ニューファンドランド)は,本国議会に対し完全な自主的立法権を獲得した。
執筆者:池田 清
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1931年12月11日に成立した、イギリスとイギリス連邦内の自治領との関係を定めた法律。第一次世界大戦後、イギリス帝国内自治領のイギリス本国からの自立化傾向は、とくに南アフリカ連邦と新自治領アイルランド自由国を中心に強まりをみせた。そのなかで1926年に開かれた帝国会議は、イギリスと各自治領とが、イギリス連邦の構成メンバーとして互いに同等の地位を有していることを確認した。ウェストミンスター憲章はこの原則を法制化したもので、イギリス議会が自治領諸国に対して優越権をもたないことをはっきり規定した。これにより、自治領の制定した法律がイギリスの法律と矛盾するとして無効になることはなくなった。
[木畑洋一]
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イギリス自治領の六つはそれぞれ立法と司法において独立の権限を有することを規定して,イギリス連邦の基本的な構成を明らかにした法。1931年制定。自治領は平等な存在であり,「君主に対する共通の忠誠心で結ばれたもの」とした。
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…イギリス軍参謀本部と時の海相W.チャーチルの無謀な作戦によって,ANZAC(アンザツク)(オーストラリア・ニュージーランド連合軍)が戦死1万,負傷2万4000の被害を出した,ダーダネルス海峡内のガリポリ湾での戦闘(1915年4~12月)は,オーストラリア,ニュージーランド両国内で聖戦視され,あらゆる悪しき保守性の結節点となっている。1926年イギリスは自治領の内政・外交の自治権を認め,31年ウェストミンスター憲章として法制化したが,カナダとアイルランド自由国は即座にそれを批准したのに,オーストラリアは42年,ニュージーランドは47年まで批准しなかった。対英依存はこの点にも強く現れている。…
…そもそも州政府は憲法上連邦政府に従属するものではないが,憲法に関する司法判断の積重ねの結果としてカナダの連邦制度は州権が強まり,分権的なものに発展していった。 このほかカナダ憲法を構成する法令のなかで重要なものには,イギリス議会が自治領の管轄事項に関する立法を行わないとして,自治領の外交と国防に関する権限を認めた1931年の〈ウェストミンスター憲章〉,ならびに州内賦存資源に関する州の所有権を確認した判例などがある。 立憲体制を構成する政治慣習で重要なものは責任政府の原則である。…
…第1次大戦前,植民地にすぎなかった自治領は,戦後,国際連盟に加盟するなどして,国際法上の主体性を徐々に獲得していった。そこで,1926年に帝国会議が採択したバルフォア報告は,イギリスおよび自治領は平等の地位をもつと述べ,31年のウェストミンスター憲章は,〈自治領〉の表現は,カナダ,オーストラリア,ニュージーランドなど6共同体のどれかを意味すると規定した(1条)が,当時のコモンウェルスは,イギリスとこれら6自治領によって構成されていた。いずれも元首を共通にした。…
…最盛期には全世界の4分の1に達した。帝国の歴史はおおまかに,(1)1763年のパリ条約で完成する〈旧帝国〉,つまり重商主義政策を前提とし,西インド諸島や北アメリカ植民地を核とする段階,(2)政治的な支配地域の拡大よりも,自由貿易主義をふりかざしつつ,圧倒的な生産力にものをいわせて実質的な経済支配を拡大した〈自由貿易帝国主義〉の段階,(3)工業化の波が若干の欧米諸国に広がり,競争が起こった結果,ふたたび政治的支配を含む古典的な植民地政策が展開される〈帝国主義〉の段階,(4)〈コモンウェルス〉の概念が導入された1931年のウェストミンスター憲章以後の,いわば帝国衰退期,の4期に区分することができる。 15~16世紀のカボット父子による探検をはじめとして,とくに16世紀後半にはR.ハクルートのキャンペーンを背景に,新世界を中心として探検航海がしきりに行われた。…
…大戦後21年にインド,23年にアイルランド自由国が新たに参加。26年自治領の地位向上を反映し,構成諸国は王に対する忠誠により自由に連合する自治社会で,相互に対等で独立の自主権をもつと宣言した(1931年本国議会でウェストミンスター憲章として法制化)。30年世界恐慌対策が協議され,32年のオタワ帝国経済会議に引き継がれ,帝国特恵関税制度に基づく通商協定(オタワ協定)が成立,帝国経済ブロックが形成される。…
…19‐22年枢密院議長,22年ワシントン会議にも全権として出席,25‐29年再度枢密院議長。26年イギリス本国と自治領の対等な関係を定義した報告書を帝国会議に提出,これは31年〈ウェストミンスター憲章〉として条文化された。【池田 清】。…
※「ウエストミンスター憲章」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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