イギリスの化学者、物理学者。ノーフォーク県の東ディーハム生まれ。ケンブリッジ大学で医学を修め、1792年に開業するが、1800年には化学に転向し、白金の可鍛状態をつくる研究を始める。研究中、白金鉱石の分析により新元素パラジウム(1802)、ロジウム(1804)を発見。1805年には可鍛性白金の製法を考案し、極細の白金線(ウォラストン線)をつくり、販売して大きな利潤をあげた。1820年には王立協会会長となる。
理論化学においては、ドルトンの原子論に対する彼の態度が興味深い。1808年いち早く、塩類の構成成分がドルトンの倍数比例の法則に従うことを示し、原子論の受容に貢献したが、数年後、分子中の原子数決定法には根拠がなく、原子の実在にも疑問があるとして、原子量のかわりに「当量」の採用を提案した。さらに、酸素を10とする各元素の当量を計算し、対数目盛りによる計算尺で示した。原子論に対するこの実証主義的懐疑と当量概念は、のちに彼が原子論に復帰したにもかかわらず大きな影響を及ぼし、19世紀なかばまで化学界に混迷をもたらす原因の一つとなった。
他の分野においては、結晶学における反射測角器の改良、食塩型の結晶構造の提唱、光学における収差をなくすようにした顕微鏡用複合レンズ(ウォラストンレンズ)やメニスカスレンズ、カメラ・ルシダなどの器具の改良、太陽スペクトル中の暗線(後のフラウンホーファー線)の発見、生理学における腎臓(じんぞう)結石の基本成分の決定、高音聴覚における個人差の発見などがある。
[肱岡義人]
イギリスの化学者,生理学者。ケンブリッジ大学で医学を学び,しばらく開業していたが,1800年に本来興味をもっていた化学の研究に転じた。02年にパラジウムを,2年後にロジウムを発見した。また,可鍛性のある白金を得る精製法を確立し,光学機器の十字線などに用いられるごく細い白金線(ウォラストン線)を作った。精度の高い反射式ゴニオメーター(測角器)を作り結晶学に貢献,さらに,方解石の直角プリズムを2個はり合わせた偏光プリズム(ウォラストンプリズム)や,2枚のレンズをはり合わせて収差を除いたウォラストンレンズなど数多くの光学機器の改良や発明があり,このほかにも太陽スペクトルの黒線を観測したり,アミノ酸の一種であるシスチンを発見するなど,彼の業績は広範囲にわたっている。
執筆者:川合 葉子
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