ウルム大聖堂(読み)ウルムダイセイドウ(その他表記)Ulmer Münster

デジタル大辞泉 「ウルム大聖堂」の意味・読み・例文・類語

ウルム‐だいせいどう〔‐ダイセイダウ〕【ウルム大聖堂】

Ulmer Münsterドイツ南部、バーデン‐ビュルテンベルク州の都市ウルムにあるゴシック様式の大聖堂。1377年に起工、1890年に完成した。尖塔せんとうの高さは161メートルあり、教会の塔としては世界一の高さを誇る。第二次大戦でウルム市街の多くが破壊されたが、この聖堂被災を免れた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ウルム大聖堂」の意味・わかりやすい解説

ウルム大聖堂
ウルムだいせいどう
Ulmer Münster

ドイツ南西部バーデン=ウュルテンベルク州のウルムにある大聖堂。ゴシック聖堂建築では最高 (161m) の塔をもつ。 1377年パルラー家初代ハインリヒ・フォングミュントにより身廊側廊の高さが等しい聖堂として起工されたが,92年建築家ウルリヒ・フォン・エンジンガーによって側廊を低くする形に改変され,西塔の定礎がなされた。身廊は 1471年に完成されたが,塔はマットイス・ベーブリンガー (→ベーブリンガー家 ) により再設計され 74年に起工,94年に上部が建造され,一応の完成をみた。付随する細部の建築は 1543年にたび重なる戦争による経済上の事情から停止され,また 17世紀の宗教改革運動隆盛期には,偶像破壊主義の新教徒により損傷された。修復が開始されたのは 1844年で,このとき西塔にはベーブリンガーの設計どおりに現在の高い尖塔が建てられ,90年に完成した。急勾配の屋根の西側に大塔,東側内陣両脇に2つの塔をもつ聖堂の内部は細い柱によって側廊を2分する五廊式の構成。 15世紀の壁画ステンドグラス彫刻によって飾られ,ドイツ盛期ゴシック様式を代表する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウルム大聖堂」の意味・わかりやすい解説

ウルム大聖堂
うるむだいせいどう
Ulmer Münster

ドイツ南部、ドナウ河畔の都市ウルムにある聖堂。ドイツ・ゴシック建築の代表作の一つであり、西正面の世界一の高さを誇る大尖塔(せんとう)(161メートル)によっても名高い。1377年に着工、パルラー、エンジンガー、ベブリンガーなどの建築家一族が造営工事に携わり、15世紀末にいちおうの完成をみる(ただし西尖塔の頂部は19世紀の作)。五廊式身廊で、東側には2基の塔がそびえ、聖堂の内外を飾る多数の建築装飾は、14世紀から16世紀にかけてのドイツ美術の貴重な遺品となっている。とくに西正面扉口の受難キリスト像(ハンス・ムルチャー作、1429)や身廊部の女性彫像、聖歌隊席のステンドグラス、89席の木彫聖席などが優れている。

[篠塚二三男]

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百科事典マイペディア 「ウルム大聖堂」の意味・わかりやすい解説

ウルム大聖堂【ウルムだいせいどう】

ドイツのウルムUlmにあるゴシック教会堂。14世紀に起工,エンジンゲンらの造営を経て,ようやく1890年完成。西の大塔(高さ161m)はゴシック建築中最高。
→関連項目ウルム

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世界大百科事典(旧版)内のウルム大聖堂の言及

【ウルム】より

…麻織物の伝統に連なる繊維産業や金属加工業をもち,1967年には大学も新設された。【魚住 昌良】
[ウルム大聖堂]
 ドイツの代表的なゴシック建築。1377年にハレンキルヘとして起工されたが,92年よりエンジンゲンUlrich von Ensingenにより西塔をそなえる3廊式バシリカに改変された(その後5廊式となる)。…

※「ウルム大聖堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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