翻訳|Etruscan
ローマ帝国が興隆する以前にイタリア中部に栄えたエトルリア人の残した言語。西ギリシア文字(〈ギリシア文字〉)に由来するアルファベットで書かれた約1万の碑文とミイラに巻かれたパピルス文書,それに古代史家のあげる固有名詞があるが,その言語の全貌は明らかでない。短い墓碑銘から解明された300語ほどの多くは人名などの固有名詞で,1500語をふくむミイラ文書は十分に解読されていない。その系統は,古来の小アジアからの移住説,北方説,土着説のほか,最近ではヒッタイト語に近いインド・ヨーロッパ語説もあるが,いずれも証明されていない。さいころから推定される1~6の数詞θu,zal,ci,ša,max,huθからは,その系統をきめることはできない。ローマ帝国の繁栄とともにエトルリア語はラテン語に吸収されたが,ラテン語がエトルリア語から借用したと推定される語彙は数多く,persona〈(俳優の)面〉(英語person),servus〈奴隷〉(英語servant)などのほか,ローマのCicero,Piso,Varroなどの人名もこれに属する。
→エトルリア
執筆者:風間 喜代三
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古代イタリアの北・中部で活躍した民族の言語。紀元前7世紀から前1世紀までおよそ1万のほとんどが墓碑銘からなる碑文と、ザグレブ博物館所蔵のミイラを巻いた麻布に書かれた約1500語からなる儀式的内容のテクストが現存する。ギリシア文字に基づく独自のアルファベットで書かれているが、有力な二言語併用テクストに欠けることと、言語の系統が不確定なために、現在もなお完全な解読には成功していない。
[松本克己]
…近年ではむしろ来歴よりも,彼らがイタリアの地で民族として,どのように形成されたかが問題とされている。民族の系統を決定する重要な手がかりとなりうるエトルリア語について,他のさまざまの言語との比較が試みられてきたが,どの言語とも近親関係は証明されておらず,インド・ヨーロッパ語系の言語でないとする説が定説となっている。現在1万点以上のエトルリア語銘文が発見されており,文字はギリシア文字の変種なので完全に読めるが,内容についてはきわめて不明な点が多く,確実な全面的解明はまだ達成されていない。…
…
【ラテン語の成立】
ラテン語はその名の通り,ラティウムLatiumと呼ばれたテベレ川に接する七つの丘のあるせまい地域,つまり現在のローマの一画の住民の言語にすぎなかった。前1千年紀の後半になってもローマの北部にはエトルリアが栄え,エトルリア語が話されていた。そしてその東にはウンブリア語が,ローマの南部から西部にはオスク語が有力であった。…
※「エトルリア語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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