翻訳|Etruria
イタリア中央部のティレニア海側,テベレ川とアルノ川の間の地方の古名。鉱物(銅,鉛,鉄,銀)と肥沃な耕地に恵まれ,前1世紀初頭ローマに併合されるまでエトルリア人の活動の本拠地であった。エトルリア人はラセンナ(ラスナ)と自称し,ラテン語でエトルスキ(トゥスキ),ギリシア語でテュルセノイ(テュレノイ)と称され,ギリシア文化を範とした独自の文化を発展させて,前7,前6世紀に最盛期を迎え,ローマ人を含む他の古代イタリア諸民族に大きな影響を与えた。彼らは独立自治の都市国家を建て,12の都市国家が〈エトルスキ連合〉を結成したが,これは統一国家ではなかった。エトルリア各地には彼らの遺跡が数多く残されており,その墓から壺,石棺,彫刻,工芸品,絵画等,無数の遺物が出土している。
エトルリア人の来歴については,オリエントから渡来したとする東方起源説,もともとイタリアに住んでいたとする土着民説が対立している(アルプスの北から来たとする北方起源説は完全に否定されている)。近年ではむしろ来歴よりも,彼らがイタリアの地で民族として,どのように形成されたかが問題とされている。民族の系統を決定する重要な手がかりとなりうるエトルリア語について,他のさまざまの言語との比較が試みられてきたが,どの言語とも近親関係は証明されておらず,インド・ヨーロッパ語系の言語でないとする説が定説となっている。現在1万点以上のエトルリア語銘文が発見されており,文字はギリシア文字の変種なので完全に読めるが,内容についてはきわめて不明な点が多く,確実な全面的解明はまだ達成されていない。
エトルリアの沿岸地方では前8世紀以降ビラノーバ文化に代わって高度の東方化様式文化が開花した。鉱山の開発と海外貿易によってタルクイニア,ウェトゥロニア,カエレ,ブルチ等の都市国家が繁栄した。前7世紀前半のカエレの古墳〈レゴリーニ・ガラッシの墓〉の副葬品(豪華な金銀細工等)は,初期の王侯貴族の権勢を示し,前7世紀末タルクイニア出身といわれる男がローマの王になった。全盛期におけるエトルリア人の華やかな日常生活は,タルクイニアの墓の壁画にいきいきと描かれている。これらの都市国家はカルタゴと組んで南イタリアのギリシア植民市と争った。前540年ごろエトルリア・カルタゴ連合軍はギリシア海軍を破った。しかし前474年キュメ(クマエ)沖の海戦で敗れ,以後エトルリアは経済的に停滞に向かう。一方,内陸部においては沿岸地帯よりやや遅れてクルシウム,ウォルシニイ,ウェイイ等の都市国家が栄えた。クルシウムの王ポルセンナは前6世紀末に一時ローマを征服した。ウォルシニイはエトルスキ連合の拠点であった。ウェイイは早くからローマと対立し,結局前396年ごろこれに征服された。その後,ケルト人の侵入によって打撃を受けた他のエトルリア諸都市も,前3世紀前半までに次々にローマに制圧された。しかしエトルリア人は早くからカンパニア地方に侵入し,ここでカプアやヌケリア等の都市を征服ないし建設していた。だがその勢力は前5世紀後半から衰えた。彼らはポー川流域にも進出し,ここにスピナやマルツァボット等の都市を築き,これらの都市はかなり後期まで繁栄した。いずれにせよほとんどすべてのエトルリア人の都市国家は,前1世紀初頭の同盟市戦争でローマ市民権を得て,ローマの自治都市となった。
エトルリアの都市国家は初期には王政をしいていたが,前5世紀末までに元老院と政務官が実権を握る共和政に移行した。初期には事実上貴族政が行われたが,前4世紀以降下層市民も政界に進出した。エトルリアの女性は男性とともに宴会や競技会に出席できたが,参政権はなかった。従属民や奴隷も大勢いたが,彼らは政治に参加できなかった。初期におけるエトルリア人のローマへの影響はすこぶる重要である。前7世紀末から約100年間,エトルリア出身者が王としてローマを統治し,ここに都市を建設しその国制を整え,これを政治・経済的にラティウム随一の強国へと成長させた。権力の標識(ファスケス等)や都市建設の方法,建築技術等はエトルリア人がローマにもたらした遺産であった。エトルリア人は多くの神々をあつく信じ,神々の意向をうかがうため鳥占いや肝臓占いに没頭した(その風習はローマにも受け継がれた)。彼らは死後も生活が続くと信じて,家をまねた堅牢な墓を造営し,生前使用したさまざまの物を副葬したり,石棺,陶棺,骨壺に死者の像を刻んだり,墓壁に現世の生活の情景を描いたり,それらの物に死者の名前や経歴を記したりした。
執筆者:平田 隆一
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イタリア中央部、ティレニア海、アルノ川、テベレ川、アペニン山脈に囲まれた地方の古名。だいたい現在のトスカナ地方にあたり、古代ローマ以前はエトルリア人の本拠地で、墓など数多くの遺跡が残る。
[編集部]
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