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エンリケ(航海王子) エンリケこうかいおうじ Henrique o Navegador

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

エンリケ(航海王子)
エンリケこうかいおうじ
Henrique o Navegador

[生]1394.3.4. オポルト
[没]1460.11.13. ビラデインファンテ
ポルトガルの王子。ヘンリー航海王とも呼ばれるジョアン1世 (名王) の三男。母后はイギリスランカスタージョン・オブ・ゴーントの娘フィリッパ。大西洋およびアフリカ西海岸に多くの探検隊を派遣して大航海時代におけるポルトガルの海外発展の基礎を築いた。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

エンリケ(航海王子)
えんりけ
Henrique o Navegador
(1394―1460)

英語名はヘンリーHenry the Navigator。ポルトガル王子。ジョアン1世の三男で、母はイギリスのランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパである。両親のはぐくむ素朴で宗教的な雰囲気のもと、狩猟と乗馬を愛するたくましい若者に成長した。1415年、対岸にある北西アフリカのムーア人の要都セウタCeutaの攻略戦に参加して武勲をたて、華やかに騎士の叙階を受ける。このセウタ滞在中に耳にした、アフリカ大陸内陸部に君臨するというプレスター・ジョン王の話や、黄金を運ぶ隊商、あるいはアフリカ西海岸に延びる海岸の話などに刺激され、帰国後、その海岸方面の探検事業に着手する。この結果、ポルト・サント島とマデイラ島(1418)、アゾレス諸島の一部(1427)、さらにベルデ岬諸島(1456)など大西洋上の島々が発見された。また、キリスト騎士修道会統轄者として自由にできる資金を元に、1422年より西海岸南下の船隊を派遣し、1434年ボジャドール岬を突破、1441年リオ・デ・オロ着、1443年ギニアに到達した。そして彼が他界する1460年の時点では、シエラレオネまでの海岸が探検されるに至る。こうした航海事業推進の背景には、プレスター・ジョンと連絡して、イスラム勢力を挟み撃ちにするという十字軍精神があったと考えられる。事実、終生妻をめとらず、敬虔(けいけん)なキリスト教徒として一生を送った。また、大西洋上の諸島での積極的な植民事業、ギニアに対する通航税と交易税の徴収、黒人奴隷の売買による利益取得になんら躊躇(ちゅうちょ)しなかったことなどは、鋭い経済観念の持ち主であったことを示している。[青木康征]

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