ジョアン[2世]
João Ⅱ
生没年:1455-95
ポルトガル王。在位1481-95年。アフォンソ5世の子。カスティリャ併合の野望に夢中になっていた父王アフォンソ5世に代わって,即位以前から内政,海外進出事業に携わっていたが,1481年の即位と同時に,父王の治世下に強大化した貴族勢力を徹底的に弾圧して絶対王政の確立に努めた。翌年顧問会議の反対を押し切って西アフリカの黄金海岸にミナ商館を建設してスーダンの金取引を恒常化するとともに,さらにアフリカ南下政策を推進した。インド到達計画はこの過程から生まれ,87年アフォンソ・デ・パイバとペロ・デ・コビリャンはプレスター・ジョン伝説とインド洋の情報を求めて陸路インドに向かい,同年バルトロメウ・ディアスは喜望峰迂回に成功した。この直前にポルトガルを去ったコロンブスが,92年新大陸を〈発見〉したので,2年後ジョアンはスペインとトルデシーリャス条約を結んだが,翌95年インド航路発見を目前にして没した。
執筆者:金七 紀男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ジョアン2世(完全王)
ジョアンにせい[かんぜんおう]
João II, o Perfeito
[生]1455.5.3. リスボン
[没]1495.10.25. アルボル
ポルトガル王 (在位 1481~95) 。アフォンソ5世 (アフリカ王)の子。父王アフォンソ5世のもとで強大化した貴族勢力を押えて中央集権化を推進し,窮乏した財政の再建に尽力。エンリケ (航海王子) の海外進出政策を進めて西アフリカのギニア湾に金,奴隷交易の拠点,エルミナ商館を建設,さらにディオゴ・カン,バルトロメウ・ディアスの探検隊を派遣し,インド航路開拓を準備した。また,1494年スペインとの間にトルデシリャス条約を結んで,東半球に対するポルトガルの独占的支配権を確保した。
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出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
ジョアン2世
生年月日:1455年5月3日
ポルトガル王(在位1481〜95)
1495年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内のジョアン2世の言及
【大航海時代】より
…大西洋への進出は遠洋漁業という形をとったが,アフリカへの進出は武力進出の形をとった。1415年ポルトガル国王ジョアン1世はモロッコのセウタを占領し,ここに根拠地を建設した。これがポルトガルの海外進出の第一歩となった。…
【トルデシーリャス条約】より
…1494年6月スペインの[カトリック両王]とポルトガルのジョアン2世との間で締結された条約で,これにより大西洋における両国の管轄区域が定められた。コロンブスの発見地を1479年のアルカソバス協定にもとづいて自国の領土に属すると主張するジョアン2世に対し,カトリック両王はローマ教皇アレクサンデル6世に使者を送り,発見地が自国に属する旨の大教書の公布を求めた。…
【ポルトガル】より
…中世のポルトガル教会では他の西欧カトリック諸国同様に古い聖歌が歌われ,一般社会には民衆的な歌を歌い歩く,また種々の弦・管・打楽器を奏して歩く楽師たちがいたことはまちがいない。15~16世紀のルネサンス時代になるとアフォンソ5世,ジョアン3世ら,音楽好きの王がポルトガルに目だち,宗教的な多声合唱音楽をはじめ,世俗歌曲,初期の劇音楽なども発展をみせた。16世紀の主要な作曲家には人文主義者の[ゴイス],パイバHeliodoro de Paiva(1502?‐52),カレイラAntónio Carreira(1525ころ‐89ころ)らがある。…
※「ジョアン2世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」