オスロ(英語表記)Oslo

翻訳|Oslo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

オスロ
Oslo

ノルウェーの首都。旧称クリスチャニア Christiania (1624~1877) ,Kristiania (1877~1924) 。同国総人口の1割あまりを擁するノルウェー最大の都市。スカゲラク海峡からオスロフィヨルドを約 100km入ったところに位置する。行政的には1都で独立の県をなす。市は 1050年ハーラル3世苛政王が設立,ホーコン5世が 1300年頃アーケルスフース要塞を築き,オスロに王宮を定めた。以後はハンザ同盟都市として栄え,14世紀中頃に最盛期を迎えたが,ペストの流行と 1397年のデンマーク=ノルウェー連合によって,その重要性が失われ衰微した。 1624年の火災で破壊されると,デンマーク=ノルウェー国王クリスティアン4世がその再建に取り組み,その名にちなんでクリスチャニアと名づけられた。 1716年からはスウェーデンのカルル 12世が支配した。 19世紀になってから経済的・文化的復興がめざましく,1905年にノルウェーの独立とともにその首都となった。 1940年にドイツ軍に占領されたが戦災は受けていない。 1948年,オスロフィヨルド沿岸に帯状に立地する工業地区をもつアーケル市を合併。ノルウェーの政治,経済,文化の中心地,最大の工業都市でもあり,北ヨーロッパ有数の不凍港をもつ。ノルウェー最大の輸出入港であり,造船,機械,食品,衣料などの工業が発達。カルル・ヨハン通りにはオスロ大学 (1811) ,国立劇場,国会議事堂があり,西端には王宮がある。港の対岸のビグデオイ半島には極地探検で知られたナンセン,アムンゼンの使用した船を収める博物館,ヘイエルダールら6人が太平洋を乗り切った筏を収めるコン・ティキ号博物館,バイキングの軍船を展示するバイキング船博物館など各種の博物館があり,ノルウェー民俗博物館には劇作家イプセンの書斎が保存されている。オスロの二大スポーツはヨットとスキーで,夏のオスロフィヨルドはヨットであふれる。冬は北西郊外のホルメンコーレンの大シャンツェで内外のスキーヤーが技を競い合う。またノーベル平和賞の授与地としても知られる。人口 59万9230(2011)。

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百科事典マイペディアの解説

オスロ

ノルウェーの首都。同国南東部,オスロ湾の奥にある港湾都市。不凍港で施設も完備し,北海とバルト海を結ぶ交通の要地。金属・機械・化学・食品工業が行われる。王宮(1848年建),議事堂,大学(1811年創立)をはじめ,航海博物館,民族博物館,スキー博物館などがある。1050年ごろハロルド3世により建設され,1294年に国の首都となる。14世紀に王宮所在地となった。またハンザ同盟都市としても繁栄した。1624年の大火で全滅したが,クリスチャン4世により再建され,1924年までクリスティアニアと呼ばれた。第2次大戦中はドイツ軍に占領されたが,戦災は少なく,1948年市域が拡張された。毎年12月,オスロ大学でノーベル賞(平和賞)の授賞式が行われる。63万4463人(2014)。
→関連項目オスロオリンピック(1952年)ノルウェー

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世界大百科事典 第2版の解説

オスロ【Oslo】

ノルウェーの首都。同国南部,オスロ湾の最奥に位置し,同国の政治・経済・文化の中心地。独自の1州をなす。人口48万8000(1996)。ハーラル3世が建設したとされる(1046‐50)。初期は司教座修道院の存在によって宗教的に重要であったが,1294年には王都となり,ホーコン5世時代(1299‐1319)に隆盛をみた。その後ハンザ同盟都市(とくにロストク)の進出,デンマークとの連合,ペストの大流行等のため急速に衰退。

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大辞林 第三版の解説

オスロ【Oslo】

ノルウェー王国の首都。北海に通じるオスロ-フィヨルドの湾奥部にある。造船・機械などの工業が発達。不凍港で、かつてのノルウェー-バイキングの本拠地。旧名、クリスチャニア。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

オスロ
おすろ
Oslo

ノルウェー南東部、オスロ・フィヨルドの湾奥部に発達した同国の首都。人口51万4541(2002)。北緯60度に位置するため、夏の日照時間が長く、6月には昼が18時間半も続く。平均気温は7月が15.8℃、1月が零下5.8℃で、北海道の根室の気温に近い。高緯度にあるわりには温和な気候であるが、年による変動が大きい。湾内の水深が深く、天然の良港としての条件を備えていたが、背後の溶岩台地が内陸部への交通を妨げた。19世紀末から始まった鉄道建設は、後背地を広げ、都市の成長を促した。オスロ港は、金属、繊維、油脂などを輸入し、木材、パルプ、紙、魚類などを輸出する貿易港である。東部のアーケルス川沿岸には、水力の利用によって立地した製粉、繊維、鋳物、機械、印刷などの工場が集まり、工業地帯を形成している。また造船、電気機器、紙、化学などの工業も盛んである。
 オスロの中心街は、東駅と小高い丘の上にある王宮とを結ぶカール・ヨハンス通りである。そこにはオスロ大聖堂、国会議事堂、国立劇場、オスロ大学が並ぶ。北側の通りには国立美術館と歴史博物館がある。南側のストーティングス通りとの間には美しい並木の公園がある。漁船から小エビを買い求める人たちでにぎわう波止場のすぐ後ろに、茶色の建物の市庁舎がある。内部にはノルウェー第一線の芸術家の手になる絵画や彫刻が飾られている。北西部には北欧のロダンと称されるビーゲラン(1869―1943)の彫刻を集めたフログナー公園がある。南西部のビュグドイ半島には、発掘されたバイキング船を展示するバイキング博物館や民族博物館がある。北郊の丘陵地帯には、1952年冬季オリンピックに使用されたホルメンコーレン・スキージャンプ台があり、近くのトリーバン・タワーからは展望が楽しめる。[竹内清文]

歴史

1050年ごろハラルド強意王がアーケルス川東岸に建設し、11世紀末に司教座となる。ホーコン5世はベルゲンからオスロに遷都し(14世紀初頭)、このころドイツ商人の進出で活況を呈したが、1349年の黒死病(ペスト)で衰微。1624年の大火で国王クリスティアン4世が同市を西へ移動し、クリスティアニアChristiania(Kristiania)と改名。1686年の大火を機に市域が拡大し、18世紀の木材貿易の伸展で富裕な商人階級が形成された。1811年オスロ大学設立後は文化の中心地となり、19世紀中ごろに鉄道建設が始まり、繊維・機械工業がおこった。1875年鉄道馬車が敷かれ、1894年から電化。第一次世界大戦後の民族自決の風潮のなか、1925年に旧名オスロに戻った。北欧三国とベネルックス三国(のちにフィンランドも参加)との間の「オスロ諸国協定」の成立地(1930)。第二次世界大戦時の1940~45年にはドイツ軍に占領された。1948年市域が拡張されて今日に至っている。[荒川明久]

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精選版 日本国語大辞典の解説

オスロ

(Oslo) ノルウェーの首都。ノルウェーの南東部、オスロ‐フィヨルドの湾奥にある水陸交通の中心都市で、不凍の良港を持つ。中世には、ハンザ同盟都市の一つとして繁栄。近代的な都市計画と風光美で知られる。旧称クリスチャニア。

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