精選版 日本国語大辞典 「オスロ」の意味・読み・例文・類語
オスロ
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ノルウェー南東部、オスロ・フィヨルドの湾奥部に発達した同国の首都。人口51万4541(2002)。北緯60度に位置するため、夏の日照時間が長く、6月には昼が18時間半も続く。平均気温は7月が15.8℃、1月が零下5.8℃で、北海道の根室の気温に近い。高緯度にあるわりには温和な気候であるが、年による変動が大きい。湾内の水深が深く、天然の良港としての条件を備えていたが、背後の溶岩台地が内陸部への交通を妨げた。19世紀末から始まった鉄道建設は、後背地を広げ、都市の成長を促した。オスロ港は、金属、繊維、油脂などを輸入し、木材、パルプ、紙、魚類などを輸出する貿易港である。東部のアーケルス川沿岸には、水力の利用によって立地した製粉、繊維、鋳物、機械、印刷などの工場が集まり、工業地帯を形成している。また造船、電気機器、紙、化学などの工業も盛んである。
オスロの中心街は、東駅と小高い丘の上にある王宮とを結ぶカール・ヨハンス通りである。そこにはオスロ大聖堂、国会議事堂、国立劇場、オスロ大学が並ぶ。北側の通りには国立美術館と歴史博物館がある。南側のストーティングス通りとの間には美しい並木の公園がある。漁船から小エビを買い求める人たちでにぎわう波止場のすぐ後ろに、茶色の建物の市庁舎がある。内部にはノルウェー第一線の芸術家の手になる絵画や彫刻が飾られている。北西部には北欧のロダンと称されるビーゲラン(1869―1943)の彫刻を集めたフログナー公園がある。南西部のビュグドイ半島には、発掘されたバイキング船を展示するバイキング博物館や民族博物館がある。北郊の丘陵地帯には、1952年冬季オリンピックに使用されたホルメンコーレン・スキージャンプ台があり、近くのトリーバン・タワーからは展望が楽しめる。
[竹内清文]
1050年ごろハラルド強意王がアーケルス川東岸に建設し、11世紀末に司教座となる。ホーコン5世はベルゲンからオスロに遷都し(14世紀初頭)、このころドイツ商人の進出で活況を呈したが、1349年の黒死病(ペスト)で衰微。1624年の大火で国王クリスティアン4世が同市を西へ移動し、クリスティアニアChristiania(Kristiania)と改名。1686年の大火を機に市域が拡大し、18世紀の木材貿易の伸展で富裕な商人階級が形成された。1811年オスロ大学設立後は文化の中心地となり、19世紀中ごろに鉄道建設が始まり、繊維・機械工業がおこった。1875年鉄道馬車が敷かれ、1894年から電化。第一次世界大戦後の民族自決の風潮のなか、1925年に旧名オスロに戻った。北欧三国とベネルックス三国(のちにフィンランドも参加)との間の「オスロ諸国協定」の成立地(1930)。第二次世界大戦時の1940~45年にはドイツ軍に占領された。1948年市域が拡張されて今日に至っている。
[荒川明久]
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ノルウェーの首都。11世紀以来の古都で1624年に破壊されたが,デンマーク‐ノルウェー王クリスチャン4世の手により再建され,クリスチャニア(Kristiania)と呼ばれたが,1925年現在名に改称された。40~45年,ドイツ軍に占領された。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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