オッペンハイマー(英語表記)Oppenheimer, John Robert

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー
Oppenheimer, John Robert

[生]1904.4.22. ニューヨーク
[]1967.2.18. プリンストン
アメリカの物理学者ハーバード大学卒業後,1925年ケンブリッジ大学に留学,キャベンディッシュ研究所で,E.ラザフォードに師事した。 M.ボルンの招きで,ゲッティンゲン大学に移り,27年学位取得。帰国後,カリフォルニア大学およびカリフォルニア工科大学の教授を経て,第2次世界大戦中はマンハッタン計画を指揮 (1943~45) 。戦後アメリカ原子力委員会 AECの一般諮問委員会委員長となり (46~52) ,またプリンストン大学高級研究所所長もつとめた (47~66) 。 49年水爆製造を急ぐなと主張,それらがしこりとなって,54年6月に「かつて共産主義者と交際していた」ことを理由に AECから追放された (オッペンハイマー事件) 。 63年になって,その汚名がそそがれ AECからフェルミ賞が贈られた。陽電子論,素粒子論,原子核理論,天体物理学などの分野で業績を上げ,物理学者の育成にも貢献した。哲学的思索を収めた作として『科学と常識』 Science and the Common understanding (54) ,『開かれた心』 The Open Mind (55) がある。

オッペンハイマー
Oppenheimer, Franz

[生]1864
[没]1943
ユダヤ系のドイツ社会学者。初め医師であったが,のち社会問題に興味をもつにいたった。独特の人種闘争説を展開させたが,彼ののねらいは自由市民社会の樹立にあった。主著国家論』 Der Staat (1907) ,『社会学大系』 System der Soziologie (4巻,22~35) など。

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精選版 日本国語大辞典「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー

[一] (John Robert Oppenheimer ジョン=ロバート━) アメリカの理論物理学者。広い分野で活躍し、アメリカ理論物理学界の指導的役割を果たす。第二次大戦中、原子爆弾の完成を指導。のち、水爆製造に反対して公職を追放された。(一九〇四‐六七
[二] (Franz Oppenheimer フランツ━) ドイツの社会学者、経済学者。社会学を人間社会の歴史に関する普遍科学と主張。主著「国家論」など。(一八六四‐一九四三

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百科事典マイペディア「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー

米国の物理学者。ユダヤ系。ハーバード大学を出て,カリフォルニア工科大学教授となり,量子力学量子電磁力学を研究。1943年―1945年ロスアラモス研究所長として原子爆弾製造計画を指導(マンハッタン計画)。1947年―1966年プリンストン高等研究所長,1947年―1953年アメリカ原子力委員会の一般諮問委員会議長。1953年水爆製造計画への反対をきっかけに,機密保持に関し疑惑を受け,1954年公職から追放。

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旺文社世界史事典 三訂版「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー
John Robert Oppenheimer

1904〜67
アメリカの理論物理学者
第二次世界大戦中,ロスアラモスの研究所長として原子爆弾の製造を指導した。その後,原子力委員会委員長となったが,道徳的・政治的理由から核兵器政策を批判し,1954年以後,原子力に関する国家機密に関係することを禁止された。

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デジタル大辞泉「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー(John Robert Oppenheimer)

[1904〜1967]米国の理論物理学者。宇宙線シャワー理論などの研究がある。第二次大戦中、原子爆弾の製造を指導し、戦後は水素爆弾製造に反対して公職を追放された。

オッペンハイマー(Franz Oppenheimer)

[1864〜1943]ドイツの社会学者。ナチスに追放され、米国に亡命。社会主義的国家論を主張。著「社会学大系」「国家論」。

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367日誕生日大事典「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー

生年月日:1864年3月30日
ユダヤ系のドイツ社会学者
1943年没

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世界大百科事典 第2版「オッペンハイマー」の解説

オッペンハイマー【Joseph Ben Issachar Suesskind Oppenheimer】

1698か99‐1738
ドイツの宮廷ユダヤ人通称〈ユダヤ人ジュースSüss〉で知られる。ビュルテンベルク大公に仕え,宮廷財政を近代化して辣腕ふるい,芸術保護者でもあったが,諸階層の恨みを買い,国庫財産の着服やキリスト教徒女性との性交渉などの嫌疑をかけられて処刑される悲運に倒れた。スケープゴートの歴史的典型である。フォイヒトワンガーの《ユダヤ人ジュース》(1925)をはじめ多くの作家の作品に描かれて世界的に著名となり,反ユダヤ的な映画化(1940)にまで利用された。

オッペンハイマー【J.Robert Oppenheimer】

1904‐67
アメリカの理論物理学者。原子核,量子電磁力学,宇宙線など多くの領域で目覚ましい成果をあげ,教育者としても指導的立場にあり,多くの優れた物理学者をその門下から輩出した。 ニューヨークの生れ。父はユダヤ系ドイツ人で,若いときアメリカに移民として渡り織物輸入業を営む。裕福な家で何不自由なく学問文学,芸術に親しんで育ち,1922年ハーバード大学入学。3年後に首席で卒業し,25‐26年ケンブリッジ大学へ遊学,量子力学の創成期にP.ディラックらの影響をうけ,研究を始める。

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世界大百科事典内のオッペンハイマーの言及

【核兵器】より

… 43年ローズベルト大統領とチャーチル・イギリス首相の会談の結果,イギリスがアメリカのマンハッタン計画に協力することが決まり,イギリスにおける原子兵器の研究開発は中止された。同年春,ニューメキシコ州ロス・アラモスに爆弾を製造するための研究所を設立し,J.R.オッペンハイマーが所長に就任した。ここでは臨界量の理論計算および実験,爆弾の設計,製造を目的とし,マンハッタン計画の中でも特にY計画と呼ばれた。…

【中性子星】より

…恒星がその進化の終末に到達する中性子物質からなる超高密度の星。中性子星の存在は,すでに1930年代にL.D.ランダウ,J.R.オッペンハイマーらにより理論的に予言されていた。また超新星爆発の際に中性子星が残骸としてできるとする考えを,W.バーデとツビッキーF.Zwickyが提案している。…

【トンネル効果】より

Pは巨視的な系では極端に小さくなるので,事実上このような確率は0であり古典力学と同じ結論が得られるが,原子のスケールではトンネル効果が実際に起こる。 トンネル効果の可能性を最初に指摘したのはJ.R.オッペンハイマーであり(1928),水素原子に強い電場をかけたとき,電子がクーロン場の障壁を透過して外部に放出される確率を論じた。同じ年,G.ガモフ,R.W.ガーニーおよびE.U.コンドンは原子核の放射性崩壊の際,α粒子(ヘリウムの原子核)が原子核から放出される過程(α崩壊)をトンネル効果として説明した。…

【マンハッタン計画】より

…42年12月2日のシカゴ大学で最初の原子炉が臨界に達し,また核分裂物質の量産のための用地買収準備がすすめられたことに象徴されるように,この年は原爆製造のための具体的準備が行われた年にあたる。 43年にはロス・アラモス研究所でJ.R.オッペンハイマーを中心に,精製された核分裂物質をどのように爆弾として構成するかという原爆開発の核心的技術問題を扱う研究が始められた。同時に実用規模の各生産工場の建設,運転が相次いで開始された。…

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