オニビシ(読み)おにびし

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オニビシ」の意味・わかりやすい解説

オニビシ
おにびし
(?―1668)

蝦夷地(えぞち)(北海道東部)のハエを拠点とするアイヌの一族ハエクルの首長。ハエは波恵川(日高町内)流域と思われるが、1669年(寛文9)のシャクシャイン戦いのようすを記録した『蝦夷蜂起(ほうき)』は、静内(しずない)川(新ひだか町内)を3里ほどさかのぼった「はえ」を「在所(ざいしょ)」としている。静内川流域までハエクルの狩猟圏が広がっていたのは確実なようで、この地域でメナシクル(首長シャクシャイン、?―1669)と漁猟権などをめぐって長年衝突を繰り返していた。アイヌ社会における政治勢力の成長過程と思われるが、松前(まつまえ)藩寄りのハエクルと、危険視されているメナシクルといった日本人との関係が加わるため順調な過程とはなりにくかった。1655年(明暦1)には、松前藩の強制的休戦の呼びかけに応じたものの、紛争は絶えず、1668年(寛文8)シャクシャインの手勢の奇襲攻撃によりオニビシは殺された。ハエクル一族の者は松前藩に使者を送り援助を得ようと交渉するが成功せず、使者も帰路病死、それが松前藩による毒殺風説となってシャクシャインの対日本人蜂起のきっかけとなった。

田端 宏]

『北海道編「津軽一統志」(『新北海道史 第7巻』所収・1969・新北海道史印刷出版共同企業体)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「オニビシ」の意味・わかりやすい解説

オニビシ
生没年:?-1668(寛文8)

江戸時代,北海道日高地方ハエのアイヌの首長。御味方アイヌの一人。近世初期以来,日高地方のシブチャリ・アイヌとハエ・アイヌが互いに漁猟圏をめぐって争いをつづけていたが,1655年(明暦1)松前藩の調停工作もあって,城下松前でシブチャリの首長シャクシャインと会見し一時和睦した。しかし,その後も両者の争いはやまず,68年4月シャクシャインの奇襲攻撃にあい死亡した。オニビシ死後松前藩の救援を要請した同族の一人が帰途死亡したことから,これを契機に両者の争いは反和人・反松前のシャクシャインの戦へと発展していった。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「オニビシ」の解説

オニビシ

?-1668 17世紀中ごろのアイヌの首長。
蝦夷(えぞ)地(北海道)シツナイ場所のハエ(門別町)にすむ。漁猟権をめぐってシブチャリ(静内町)首長シャクシャインとあらそう。1655年(明暦元)松前藩の調停で一時和睦するが,1668年(寛文8)5-6月シャクシャイン側の奇襲にあって死亡した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内のオニビシの言及

【ヒシ(菱)】より

…中国では果実を熱さましなどに用いる。ヒメビシT.incisa Sieb.et Zucc.やオニビシT.natans L.var.japonica Nakaiは萼片が4枚とも残り,とげとなる。ヒメビシは実,植物体ともにヒシより小型,オニビシの実は大型である。…

【シャクシャインの戦】より

…1669年(寛文9)6月,北海道日高のシブチャリ(現,静内町)を拠点に松前藩の収奪に抵抗して起きた近世最大のアイヌ民族の蜂起。近世初頭以来日高沿岸部のシブチャリ地方のアイヌ(メナシクル(東の人の意)の一部)とハエ(現,門別町)地方のアイヌ(シュムクル(西の人の意)の一部)との漁猟圏をめぐる争いが続いていたが,1668年4月,ついにシブチャリ・アイヌの首長シャクシャインがハエ・アイヌの首長オニビシを刺殺するという事件に発展した。そのためオニビシ方のアイヌは藩庁に武器援助を要請したが,藩側に拒否されたうえ,使者のウタフが帰途疱瘡にかかり急死した。…

※「オニビシ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む