オニビシ

朝日日本歴史人物事典 「オニビシ」の解説

オニビシ

没年:寛文8.4(1668)
生年:生年不詳
江戸前期の蝦夷地の5大勢力のひとつシュムクル首長。鬼菱とも記す。シブチャリ(静内)の北西ハエ(門別)を本拠とすることからハエクルともサルンクルとも称された。シュムクルは西の衆の意。その影響力は,ヒポク(新冠),サル(平取),ムカワ(鵡川),シコツ(千歳),ユウバリ(夕張),サッポロ(札幌)にまでおよんだと推定される。寛永年間(1624~44)から松前藩が蝦夷地に商場知行制(藩が家臣に知行として特定地域のアイヌ民族との独占的交易権を与える制度)を推進,アイヌ民族の各共同体は漁猟的生産物の増産を強いられ,漁猟圏(イオル)をめぐる衝突が起こった。オニビシは石狩湾と太平洋岸を結ぶ水路中心の交通路をおさえたが,東のシブチャリを本拠としたメナシクル(東の衆)と対立していた。,慶安1(1648)年メナシクルの惣大将センタインが死去,その子カモクタインが跡を継いで情勢は一変。承応2(1653)年オニビシが,カモクタイン配下のシャクシャインと酒を酌み交わした際に,シャクシャインがオニビシの部下を撲殺,両者は戦争状態に入り,カモクタインは戦死した。 翌年松前藩は内戦の長期化が交易へおよぼす影響を恐れ,オニビシを松前城下に招いて調停。明暦1(1655)年松前城下でオニビシとセンタインの後継者シャクシャインが松前藩を仲立ちに和睦。このときオニビシ方と松前藩との同盟関係が成立したと推定される。しかし,寛文5(1665)年ごろより松前藩が交易価格を大幅につりあげたため,6年以後オニビシ方と,シャクシャイン方の間で漁猟圏をめぐる対立が再燃し,7年再び武力衝突となり,翌8年オニビシはシャクシャイン方を見くびったため殺された。<参考文献>海保嶺夫『近世蝦夷地成立史の研究』,同『史料と語る北海道歴史』,喜多村校尉編『津軽一統志』10(『新北海道史』7巻),『寛文拾年狄蜂起集書』(『日本庶民生活史料集成』4巻)

(海保洋子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オニビシ」の意味・わかりやすい解説

オニビシ
おにびし
(?―1668)

東蝦夷地(えぞち)(北海道東部)のハエを拠点とするアイヌの一族ハエクルの首長。ハエは波恵川(日高町内)流域と思われるが、1669年(寛文9)のシャクシャインの戦いのようすを記録した『蝦夷蜂起(ほうき)』は、静内(しずない)川(新ひだか町内)を3里ほどさかのぼった「はえ」を「在所(ざいしょ)」としている。静内川流域までハエクルの狩猟圏が広がっていたのは確実なようで、この地域でメナシクル(首長シャクシャイン、?―1669)と漁猟権などをめぐって長年衝突を繰り返していた。アイヌ社会における政治勢力の成長過程と思われるが、松前(まつまえ)藩寄りのハエクルと、危険視されているメナシクルといった日本人との関係が加わるため順調な過程とはなりにくかった。1655年(明暦1)には、松前藩の強制的休戦の呼びかけに応じたものの、紛争は絶えず、1668年(寛文8)シャクシャインの手勢の奇襲攻撃によりオニビシは殺された。ハエクル一族の者は松前藩に使者を送り援助を得ようと交渉するが成功せず、使者も帰路に病死、それが松前藩による毒殺の風説となってシャクシャインの対日本人蜂起のきっかけとなった。

[田端 宏]

『北海道編「津軽一統志」(『新北海道史 第7巻』所収・1969・新北海道史印刷出版共同企業体)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「オニビシ」の意味・わかりやすい解説

オニビシ
生没年:?-1668(寛文8)

江戸時代,北海道日高地方ハエのアイヌの首長。御味方アイヌの一人。近世初期以来,日高地方のシブチャリ・アイヌとハエ・アイヌが互いに漁猟圏をめぐって争いをつづけていたが,1655年(明暦1)松前藩の調停工作もあって,城下松前でシブチャリの首長シャクシャインと会見し一時和睦した。しかし,その後も両者の争いはやまず,68年4月シャクシャインの奇襲攻撃にあい死亡した。オニビシ死後松前藩の救援を要請した同族の一人が帰途死亡したことから,これを契機に両者の争いは反和人・反松前のシャクシャインの戦へと発展していった。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「オニビシ」の解説

オニビシ

?-1668 17世紀中ごろのアイヌの首長。
蝦夷(えぞ)地(北海道)シツナイ場所のハエ(門別町)にすむ。漁猟権をめぐってシブチャリ(静内町)首長シャクシャインとあらそう。1655年(明暦元)松前藩の調停で一時和睦するが,1668年(寛文8)5-6月シャクシャイン側の奇襲にあって死亡した。

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世界大百科事典(旧版)内のオニビシの言及

【ヒシ(菱)】より

…中国では果実を熱さましなどに用いる。ヒメビシT.incisa Sieb.et Zucc.やオニビシT.natans L.var.japonica Nakaiは萼片が4枚とも残り,とげとなる。ヒメビシは実,植物体ともにヒシより小型,オニビシの実は大型である。…

【シャクシャインの戦】より

…1669年(寛文9)6月,北海道日高のシブチャリ(現,静内町)を拠点に松前藩の収奪に抵抗して起きた近世最大のアイヌ民族の蜂起。近世初頭以来日高沿岸部のシブチャリ地方のアイヌ(メナシクル(東の人の意)の一部)とハエ(現,門別町)地方のアイヌ(シュムクル(西の人の意)の一部)との漁猟圏をめぐる争いが続いていたが,1668年4月,ついにシブチャリ・アイヌの首長シャクシャインがハエ・アイヌの首長オニビシを刺殺するという事件に発展した。そのためオニビシ方のアイヌは藩庁に武器援助を要請したが,藩側に拒否されたうえ,使者のウタフが帰途疱瘡にかかり急死した。…

※「オニビシ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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