イギリスに生まれ、のちアメリカに帰化した詩人。ヨーク出身。オックスフォード大学卒業。1930年代に左翼的発言と実験的詩法の開拓で知られた、いわゆる「30年代詩人」の中心的人物として、イギリス詩壇で華々しい詩作活動を示した。とくにデー・ルイス、スペンダー、マクニースらは作品の内容も詩風もオーデンに影響されるところが大きく、個人的な親近関係もあって、一括して「オーデン・グループ」の名でよばれる。イギリス時代の代表作としては『詩集』(1930)、『演説者たち』(1932)、『見よ、旅人よ』(1935)、ほかにイシャウッドとの合作になる数編の詩劇、マクニースとの合作になるアイスランド紀行詩、スペイン戦争を主題にした有名な詩編などがあり、また日中戦争当時イシャウッドとともに中国に渡って中国側から戦線とその背後に取材したルポルタージュ『戦争への旅』(1939)がある。この時期の彼の作品の根底にあるのは、病める社会への対症療法として彼が処方したマルキシズムだったが、それは思想的というより倫理的、心理的なもので、中産階級出身者としての被圧迫階級に対する後ろめたさ、良心の疼(うず)きなどとない交ぜになっている。したがって一方では、病める個人の魂の救済法としてのフロイディズム(フロイト主義)への傾倒も顕著だった。この両者間の相克あるいは調整、そして「愛」による矛盾の解決が彼の詩の主題だったといえる。技法の面では、古代英詩風の単音節語を多用し、皮肉な軽みを加えた独特なスタイルをつくりだした。第二次世界大戦中の1939年アメリカに移住してからはイギリス聖公会に帰依(きえ)し、詩風は著しく宗教的色彩を深めた。アメリカ詩壇においても大御所として君臨、とくに技法の面で若い詩人に与えた影響は大きい。その間1956年から1961年まではオックスフォード大学の詩学教授を務めた。後期のおもな作品は『新年の手紙』(1941)、『しばらくの間』(1944)、『不安の時代』(1947)、『アキレスの盾』(1955)、『クリオ賛歌』(1960)、『名づけ子への手紙』(1972)などがある。
[沢崎順之助]
『深瀬基寛訳『オーデン詩集』(1955・筑摩書房/1968・せりか書房)』▽『加納秀夫訳『世界名詩集大成10 見よ、旅人よ他』(1959・平凡社)』▽『風呂本武敏訳『演説者たち』(1977・国文社)』▽『風呂本武敏訳『新年の手紙』(1981・国文社)』
イギリスの詩人。1946年にアメリカに帰化した。オックスフォード在学中から,S.スペンダー,デイ・ルイス,L.マックニースらとともに新しい文学運動を唱導した。彼らは俗に〈オーデン・グループ〉,あるいは戯れに〈マックスポーンデイMac-Spaunday〉(4人の名前の合成語)と呼ばれ,エリオットらの20年代作家に対して,30年代の文学的風土をリードするにいたった。彼らは,とかく保守的で右傾気味であった20年代のモダニストに反発して,政治的左翼志向をあらわにし,共産党に入党する者もいた。1937年,スペイン内乱にあたって,政府軍側の義勇兵として野戦病院で働いたオーデンの行動は,その当然の帰結であった。エリオットのように,ヨーロッパ文化の荒廃を詠嘆するのでなく,これに臨床的診断を下し,人間的連帯が可能な新しい社会の創造のために行動すること--オーデン・グループのこうした志向は明らかに彼らの出身の中産階級への反抗を反映していた。しかし,とりわけオーデンは,狭義のマルクス主義者の枠におさまる詩人ではなかった。すでに詩集《演説家たち》(1932)は,マルクス的社会分析とフロイト的精神分析をないまぜにして武器としていた。C.イシャウッドとの合作詩劇《皮をかぶった犬》(1935)や《F6登攀》(1936)では,ドイツ表現主義の手法を実験的に試みている。群衆から隔絶した孤独な英雄(飛行士や登山家)に憧れ,風刺や言葉遊びに才能を発揮し,そして詩集《見よ,旅人よ》(1936)では,何よりもすぐれた恋愛詩の作者であった。39年アメリカに渡ってからの《新年の手紙》(1941),《不安の時代》(1948),《アキレスの盾》(1955),《クリオ賛歌》(1960)などの詩集では,ますます政治的主題を離れ,宗教的思索を深めるにいたった。オックスフォード大学詩学教授(1956-61)も務めたが,この多才な詩人が卓抜なエッセーと絶妙な戯詩の書き手であったことも忘れてはなるまい。
執筆者:高橋 康也
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…16世紀からの名家の出で父は第1次大戦で戦死。1914年グレシャム・スクールに入りW.H.オーデンと知り合う。ケンブリッジ大学を中退して職を転々とし,28年処女作《陰謀家たち》を発表,翌年からヒトラー政権成立直前までベルリンに滞在した。…
…外国からの参加者には,ハインリッヒ・マン,ブレヒト,ムージル,ゼーガース,ハクスリー,バーベリ,エレンブルグらがいた。〈作家会議〉は,翌年ロンドンで書記局総会,37年7月内戦下のマドリードとパリで第2回大会を開催し,さらにネルーダ,スペンダー,オーデンらの参加をみた。と同時に,1936年のスペイン,フランスにおける人民戦線政府の成立が,こうした知識人の国際的な連帯感を強化し,同年7月に始まるスペイン内乱に際しては,義勇兵として直接戦闘に参加したマルロー,シモーヌ・ベイユ,オーウェル,コンフォードらをはじめ,J.R.ブロック,ヘミングウェー,エレンブルグなど多くの知識人をスペインに赴かせた。…
※「オーデン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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