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イギリスの作曲家。幼少のころから楽才を発揮し,12歳から作曲を学び,16歳でロンドンのローヤル音楽カレッジに入学した。1934年卒業後,詩人W.H.オーデンに協力して記録映画のための音楽を作曲した。39-42年,テノール歌手P.ピアーズとともにアメリカに滞在中,日本の〈紀元2600年〉奉祝作品の委嘱をうけて作曲した《鎮魂交響曲Sinfonia da Requiem》(1940)は日本政府を激怒させ記念演奏会の曲目からはずされた。指揮者クーセビツキーからオペラ作曲の委嘱をうけて帰国したブリテンは作曲に没頭。45年6月オペラ《ピーター・グライムズ》がロンドンで初演され圧倒的な成功を博した。このオペラは各国語に翻訳・上演され,イギリスのオペラとして初めて国際的な名声を得た。最後の《ベニスに死す》(1973)に至るまでの14作のオペラは世界各国で上演されており,56年来日した際に鑑賞した能《隅田川》に基づく《カーリュー・リバーCurlew River》(1964)など小編成のオペラにも特色を発揮している。オペラ以外でも《青少年のための管弦楽入門--パーセルの主題による変奏曲とフーガ》(1945),《戦争レクイエム》(1961)なども世界的に演奏されている。その作風は,技巧的には折衷的であるが,現代に訴えかける内容と巧妙な表現力によって広い音楽公衆をひきつける魅力をそなえている。亡くなる年,エリザベス女王からロードに叙せられた。
主要オペラは上述のほか,《ルクリーシアの凌辱》(1946),《アルバート・ヘリング》(1947),《オペラをしよう--小さな煙突掃除夫》(1949),《ビリー・バッド》(1951),《ねじの回転》(1954),《真夏の夜の夢》(1960),教会上演用寓話オペラ三部作として前記の《カーリュー・リバー》のほか,《火の燃える炉》(1966),《放蕩息子》(1968)などがある。
執筆者:三浦 淳史
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イギリスの作曲家。ストフトに生まれる。幼時から異常な音楽的才能を示し、F・ブリッジに作曲を学ぶ。1930年ロンドンの王立音楽院に入学。卒業後、詩人W・H・オーデンに協力して記録映画をつくり、また彼の詩に作曲を試みる。39年、親友のテノール歌手ピーター・ピアーズとともに渡米し、アメリカに移住したオーデンを中心とする芸術家グループと親しく交わる。42年帰国したブリテンは、指揮者クーセビツキーの委嘱によるオペラの作曲に専念する。このオペラ『ピーター・グライムズ』は45年ロンドンで初演され、圧倒的な成功を収める。その後、最後のオペラ『ベニスに死す』(1973)に至るまで、『ルクリーシアの凌辱(りょうじょく)』(1946)、『アルバート・ヘリング』(1947)、『オペラを作ろう、小さな煙突掃除』(1949)、『ビリー・バッド』(1951)、『グロリアーナ』(1953)、『ねじの回転』(1954)、『ノアの洪水』(1957)、『真夏の夜の夢』(1960)、『カーリュー・リバー』(1964)、『燃える炉』(1966)、『放蕩(ほうとう)息子』(1968)、『オウエン・ウィングレーブ』(1970)など多くのオペラが作曲された。彼の音楽は、斬新(ざんしん)な作風を示すものではないが、確かな技巧と豊かな旋律に恵まれ、その巧みな表現力によって多くの聴衆を魅了している。56年(昭和31)来日。オールドバラに没。オペラ以外の作品も多いが、なかでも『戦争レクイエム』(1961)、『青少年のための管弦楽入門』(1946)などが広く知られている。
[寺田兼文]
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出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
…《嘆きの天使》など),K.ワイル(《三文オペラ》《真人間》など),ショスタコービチ(《呼応計画》),H.アイスラー(《新しい大地》《外人部隊》)らが活躍した。さらにイギリスのドキュメンタリー映画の分野では,カバルカンティと組んだE.B.ブリテン(《コールフェース》など)をはじめ,A.ローソーン(1905‐71。《都市》など),そしてボーン・ウィリアムズらの仕事が注目されることになる。…
…1800年以前の音楽は,作曲当時の演奏規模で演奏するのが理想であるという考え方に基づいて,古い時代の作品が室内管弦楽団のおもなレパートリーとなったが,20世紀の作曲家たちの中にも,いたずらに巨大化した編成による作品のみでなく,こうした小編成の緊密なアンサンブルによってのみできる表現に目を向けた人々が現れて,新しい作品が多く提供された。シェーンベルクの《室内交響曲》(1907),ブリテンの《シンプル・シンフォニー》(1925)等はその好例である。イ・ビルトゥオージ・ディ・ローマ(通称〈ローマ合奏団〉),イ・ムジチ室内合奏団,シュトゥットガルト室内合奏団,ロンドン・シンフォニエッタ,ハンガリーのリスト室内管弦楽団,ザルツブルク・カメラータ・アカデミカ等がすぐれた演奏で知られる。…
…イギリスの20世紀の代表的な作曲家ブリテンの晩年の作品(作品番号66)。第2次世界大戦の空襲で破壊されたコベントリー大聖堂の新築記念のために作曲し,1962年5月30日,ブリテン自身の指揮,フィッシャー・ディスカウその他のソロ,バーミンガム市立交響楽団によって初演された。…
…他方,近世に入ってからは,国家的慶事や戦勝祝賀のために,大規模かつ壮麗なスタイルで作曲されることが多い。このジャンルに属する作品には,ベルサイユの宮廷音楽総監督リュリがルイ14世の病気平癒を祝って作った曲(1677),ヘンデルがイギリス国王の戦勝を祝って作曲した《デッティンゲンのテ・デウム》(1743),ベルリオーズがパリ万国博覧会に際して発表した曲(1855初演),ブリテンが第2次世界大戦の終結を神に感謝して作った《フェスティバル・テ・デウム》(初演1945)などがある。なお特定の機会に結びつくものではないが,広く知られた曲に,ブルックナー(1884),ドボルジャーク(1892),ベルディ(1896)の作品がある。…
…とくに劇音楽を得意とした。日本では,イギリス現代作曲家ブリテンが作った《青少年のための管弦楽入門――パーセルの主題による変奏曲とフーガ》(1946)を通じて特にその名が知られているが,ブリテンが引用したのは,パーセルの劇的付随音楽《アブデラザール》の〈ロンド〉の主題である。 パーセルは音楽家の家系に生まれ,少年時代にチャールズ2世の王室礼拝堂少年聖歌隊に入って教育を受ける。…
※「ブリテン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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