イギリスの詩人,批評家。ロンドン生れ。オックスフォード大学時代の友人W.H.オーデンらとグループを組み,1930年代の詩壇に登場。スペイン内乱では共和政権側の義勇兵として参加,政治意識の強い詩を発表した。詩集《静かな中心》(1939)など初期の心やさしいロマン主義的な詩風は,のちの《寛容な日々》(1971)ではより強靱な口調に変化している。評論には,H.ジェームズらの近代文学には近代社会に通じる一つの破壊的原理,不吉な政治的運命の自覚が認められるとした《破壊的要素》(1935),さらに破壊的要素を政治的からくりではなく社会そのものととらえなおし,作家個人(単独者)の創造的エネルギー(夢)の観点から,19世紀末以降の文学の3局面を論じた《創造的要素》(1953),《イギリスとアメリカ--愛憎の関係》(1974)などがあるほか,自伝《世界の中の世界》(1951)がある。国際的な総合雑誌《エンカウンター》の編集(1953-67)も務めた。
執筆者:高橋 康也
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イギリスの詩人、批評家。母方にドイツ系ユダヤ人の血をひく。オックスフォード大学在学中にオーデン、マクニース、デイ・ルイスらの「オーデン・グループ」の若い詩人たちと親交を結び、一時共産党にも入る。また、当時の代表的な詩誌『新しい詩』『新領土』『新署名』などに寄稿、1930年代の政治的な詩の風土の形成に寄与した。好んで機械を題材に取り上げたが、むしろ叙情的で柔らかな感性が特徴で、政治が主題の場合も、マルクス主義的であるより、虐げられた者への憐(あわれ)みが中心になっている。『20編の詩』(1930)、『詩集』(1933)、長詩『ウィーン』(1934)が初期の代表作。スペイン戦争参加を機に政治的なものに幻滅し、詩風は内面的になっていった。『静かな中心』(1939)はその転回点を明確に示す。リルケを翻訳、影響を受けたとされるが、リルケのもつ硬質な存在への問いかけはなく、ロマン派風に和らげられている。『全詩集』(1985)のほか、『破壊的要素』(1935)、『創造的要素』(1952)、『エリオット伝』(1975)などがある。95年7月16日没。
[出淵 博]
『徳永暢三訳『スペンダー全詩集』(1967・思潮社)』
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…外国からの参加者には,ハインリッヒ・マン,ブレヒト,ムージル,ゼーガース,ハクスリー,バーベリ,エレンブルグらがいた。〈作家会議〉は,翌年ロンドンで書記局総会,37年7月内戦下のマドリードとパリで第2回大会を開催し,さらにネルーダ,スペンダー,オーデンらの参加をみた。と同時に,1936年のスペイン,フランスにおける人民戦線政府の成立が,こうした知識人の国際的な連帯感を強化し,同年7月に始まるスペイン内乱に際しては,義勇兵として直接戦闘に参加したマルロー,シモーヌ・ベイユ,オーウェル,コンフォードらをはじめ,J.R.ブロック,ヘミングウェー,エレンブルグなど多くの知識人をスペインに赴かせた。…
※「スペンダー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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