カタコンベ(英語表記)catacombae[ラテン]

デジタル大辞泉 「カタコンベ」の意味・読み・例文・類語

カタコンベ(〈フランス〉catacombes)

カタコンブ

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「カタコンベ」の意味・読み・例文・類語

カタコンベ

  1. 〘 名詞 〙 ( [イタリア語] catacombe catacomba の複数形 ) 初期キリスト教徒地下につくった長廊式の共同墓地天井壁面に壁画や文様をのこし、美術史的にも重要である。ローマアッピア街道にあるものは特に有名。カタコンブ。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「カタコンベ」の意味・わかりやすい解説

カタコンベ
catacombae[ラテン]

初期キリスト教時代の地下墓所。異教徒あるいはユダヤ教徒のものもあるが,とくにキリスト教徒のものを指す。本来ローマ郊外の聖セバスティアヌスの地下墓所を指した〈アド・カタクンバスad catacumbas〉(〈くぼ地のそば〉の意)に由来する言葉である。古代ローマの埋葬形式は2世紀前半に火葬から土葬形式に移り,地上の墓地のほかに,小規模の地下墓室であるヒュポゲウムhypogeumや,地下に広範囲に通廊で連結した墓室をもつカタコンベ形式の墓所があった。キリスト教徒もこの伝統に従って,2世紀後半から7世紀ころまで地下墓室を使用し,発展させた。迫害時代には避難所や礼拝所にも使用されたが,原則として各カタコンベは殉教聖人の名をもち,歴代の教皇や聖職者,キリスト教徒の墓所である。ナポリシラクサのほか小アジア,北アフリカの各地でもキリスト教徒のカタコンベが発見されているが,ほとんどはローマおよびその近郊にある。カタコンベは1578年に再発見されるまで,長い間忘れさられていた。近年も1955年にローマ郊外のラティナ街道沿いに一つ発見された。比較的単純なヒュポゲウム形式のものも含め,現在ローマ近辺には39のカタコンベが知られ,すべて古代ローマの城壁外の主要街道沿いに位置する。主なものにラビカナ街道の聖ペトルスとマルケリヌスのカタコンベ,アッピア街道の聖カリストゥスのカタコンベ(歴代の教皇の墓があった),ドミティラのカタコンベなどがある。いずれも未発掘の部分もあるが,数百m四方の敷地の地下に通廊で連結された無数の墓室が3層ないし4層をなして設けられている。墓室には壁龕(へきがん)墓をもうけ,石棺を収める。要所に通気孔や採光孔をもつ通廊の壁面にも,上下に柵床のように重ねた貧者のための無数の墓が埋めこまれている。墓室の壁面はフレスコ壁画で飾られ,石棺浮彫とともに初期キリスト教美術の貴重な遺例となっている。2世紀末~3世紀中ごろの壁画は白地を線で区画し,植物や動物のモティーフを配した単純なものが多い。それには異教美術のモティーフをキリスト教的意味に転用したものが多く,魚によってキリストを表すといった象徴的表現も見られる。3世紀中ごろ以降に聖書場面が現れるが,アダムとイブをはじめノア,ダニエル,ヨナ,モーセの物語など旧約聖書場面が圧倒的に多い。4世紀に入るとキリストの生涯伝の幾つかの場面,〈キリストと使徒たちの集い〉のような新約聖書の主題も現れるが,すでに教会の勝利の時代となって地上の教会堂にキリスト教美術が開花すると,カタコンベの壁画はその主流からはずれたものとなってゆく。またカタコンベの壁画には古代神話場面などの異教的主題およびモティーフも多く認められる。その中には,明らかにキリスト教徒以外の諸秘教を信じた者たちの墓室とみなされるものも存在する。
執筆者:


出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「カタコンベ」の解説

カタコンベ
catacumbae[ラテン],Catacomb[英]

カタコームともいう。地下墓所。特に初代キリスト教徒の遺跡として著名。カタコンベはナポリシラクサマルタアレクサンドリアなどにもあるが,ローマのが最大で,約70カ所が発見されている。墓所を神聖とするローマ的観念により迫害時代にも黙許された。サン・カリスト,セバスティアーノのカタコンベが代表的。墓所には卓形の墓とアーチをもつ壁龕(へきがん)があり,天井,壁には壁画が描かれ,キリスト教美術の先駆をなした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

百科事典マイペディア 「カタコンベ」の意味・わかりやすい解説

カタコンベ

初期キリスト教時代の地下墳墓。ラテン語でcatacombae。キリスト教徒が死者を葬り,また迫害時代には礼拝や集会のために集まった。遺構はローマ近郊に多い。長い坑道に壁龕(へきがん)をうがって遺体を安置し,各所に祭室を設け,フレスコ画で飾る。
→関連項目教会堂建築初期キリスト教美術

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「カタコンベ」の解説

カタコンベ
catacombae (ラテン)

キリスト教初期の迫害時代における信徒の地下墓所兼礼拝所。英語ではカタコーム(catacomb)
ローマ時代,役人も墓所には立ち入らなかったので,キリスト教徒はここで礼拝を行っていた。一連の狭い地下回廊と墓室よりなり,その天井画や壁画(魚はキリストの象徴)は,初期のキリスト教美術として重要である。イタリア各地をはじめ,アレクサンドリアにもあるが,ローマ市付近のものが最大で,回廊の延長が500㎞を越える。キリスト教の公認後は巡礼所となった。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

デジタル大辞泉プラス 「カタコンベ」の解説

カタコンベ

神山裕右の小説。2004年、第50回江戸川乱歩賞受賞。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

世界大百科事典(旧版)内のカタコンベの言及

【初期キリスト教美術】より

…再解釈を施された古代異教,ユダヤ教図像の一部(ウェルギリウス風の牧歌的風景,海景,獅子の穴の中の預言者ダニエル,スザンナとよこしまな長老たちなど)は,初期キリスト教図像体系の重要な一環となってその後も長く存続した。ローマ市郊外に最多例を残すカタコンベの壁画は,幾何学的線を用いた壁面の分割と,その小区画内に配した単純な象徴像の様式において,2世紀後半のローマ壁画の伝統を踏襲しているが,図像においてしだいにキリスト教的意味合いを強めていく(ローマ市,カリストゥスのカタコンベ天井画,200ころ‐210ころ)。死者を葬った石棺側面の浮彫群にも異教,ユダヤ教からキリスト教固有なものにという同様な経過が見られる(ローマ市,サンタ・マリア・アンティクアの石棺,245ころ)。…

【ナダール】より

…ナダールのポートレート(肖像写真)は,単純な背景の中に全身の4分の3をストレートなライティングで写したものであるが,それは単なる人物の性格描写をこえ,これら芸術家自身の表現世界の広がりさえ感じさせるものであった。また58年には気球に乗り,世界最初の空中写真の撮影を試みたり,61年には3ヵ月をかけてパリの地下に発見されたカタコンベ(地下納骨堂)の撮影を,当時ようやく開発されたアーク灯による人工照明で撮影している。ナダールの波瀾に富んだ経歴はJ.ベルヌの《月世界旅行》の主人公のモデルとしても反映されているといわれる。…

【墓地】より

…また,ローマのカエキリア・メテラの墓(前25ころ),アウグストゥスの廟(前28ころ),ハドリアヌスの廟(現サンタンジェロ城,135‐139)などのような巨大な円塔型墳墓が建てられたほか,ローマのポンポニウス・ヒュラスのコロンバリウム(1世紀)やパルミュラの塔状墳墓のように,墓室の周壁に多数の遺体を葬るロッカー・ルーム式の墓もつくった。初期キリスト教徒の墓地として知られるカタコンベは2世紀ごろからつくられた。地下道の両側に棚状に穴を掘って葬る一種のロッカー・ルーム式である。…

※「カタコンベ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

ぐんまちゃん

群馬県のマスコットキャラクター。人間だと7歳ぐらいのポニーとの設定。1994年の第3回全国知的障害者スポーツ大会(ゆうあいピック群馬大会)で「ゆうまちゃん」として誕生。2008年にぐんまちゃんに改名...

ぐんまちゃんの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android