カティプーナン(英語表記)Katipunan

改訂新版 世界大百科事典 「カティプーナン」の意味・わかりやすい解説

カティプーナン
Katipunan

フィリピン革命母体となった秘密結社通称。正式名称は〈人民の息子らの最も気高く,最も尊敬すべき結社〉である。フィリピンでは19世紀中ごろからスペインの植民地支配に対する改革運動が起こり,1880年代にはリサールデル・ピラールに指導された〈プロパガンダ運動〉が展開された。しかし,それらの穏健な改革運動ではスペインの圧政を正すことができなかったので,92年7月7日,武力革命をめざすカティプーナンがマニラの下町トンドで結成された。創設メンバーはボニファシオを中心とする都市急進主義者で,彼らははじめ,マニラの労働者街や貧民街を中心に組織拡大をはかったが,95年初頭ころからマニラ周辺諸州の農村部へも進出を開始した。96年3月に機関紙《カラヤアンKalayaan》1号が発行されて以後,組織拡大は急速に進展した。しかし,それと同時に組織発覚の危険性も増大し,96年8月,それは現実となった。かくしてカティプーナンは,8月30日に準備不十分のまま,革命に突入せざるをえなかった。ひとたび革命が開始されると,カティプーナンは革命全体の指導権を掌握することができなかった。革命軍は通常プエブロ(町)ごとに組織され,個々に自律性が高かったからである。しかし,カティプーナンは,アメリカ介入などで複雑な経過をたどった革命の全過程を通じて,人々を革命へ結集するシンボル的機能を果たした。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カティプーナン」の解説

カティプーナン
Katipunan

フィリピン革命を開始した秘密結社。1892年7月にマニラで結成された。中心人物はボニファシオ(Andres Bonifacio)。民衆カトリシズムを意味の参照枠組みとする革命思想を構築して,長期にわたる独立闘争の精神的支柱となった。

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旺文社世界史事典 三訂版 「カティプーナン」の解説

カティプーナン
Catipunans

フィリピンの民族主義団体
1892年ボニファシオらがマニラで結成,武力革命をめざし,日本からの武器援助に期待した。党勢を拡大し,1896年に蜂起したが,ホセ=リサールが処刑され,さらにボニファシオとアギナルドの対立が深まり,アギナルドが指導者となった。

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デジタル大辞泉プラス 「カティプーナン」の解説

カティプーナン

1892年にフィリピンで結成された秘密結社。中心的指導者はアンドレス・ボニファシオ。スペインからの独立を目指して1896年に武装蜂起を開始、フィリピン独立革命の端緒となった。

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世界大百科事典(旧版)内のカティプーナンの言及

【ボニファシオ】より

…しかし明敏だったので,やがてイギリス商会ついでドイツ商会の職員になり,仕事のかたわら独学でスペイン語をマスターして,当時マニラに流入したヨーロッパ文学や自由主義思想,フランス革命に関する文献などに接する機会を得た。1880年代に入ってスペイン支配の改革を求めるプロパガンダ運動が始まると,率先してこれに参加したが,知識人中心の言論活動の不毛さに失望して,92年7月同志とともに武装革命をめざす秘密結社カティプーナンを結成,95年にその第3代総裁となり,96年8月フィリピン革命を開始した。しかし闘争の過程でアギナルドの率いるカビテ州のプリンシパリーア階層との間に指導権争いを生じ,これに敗れて,97年5月10日アギナルド革命政府の手で処刑された。…

※「カティプーナン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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