日本大百科全書(ニッポニカ) 「カナダ文学」の意味・わかりやすい解説
カナダ文学
かなだぶんがく
カナダ文学は、イギリス系とフランス系の文学に分けられる。イギリス系文学は、イギリス系カナダ人の文学で、カナダ国誕生以前の18世紀中葉に始まる。フランス系カナダ文学は、カナダ東部のケベック州を中心にフランス語を母国語とするフランス系カナダ人の文学で、19世紀後半になって強い郷土意識に支えられた作家たちが登場する。
[平野敬一]
イギリス系カナダ文学
カナダが国として発足するのは1867年であるが、その1世紀以上も前からイギリス系の入植が始まっており、カナダ文学の誕生は、国の発足に先だつ。18世紀中葉のケベックにおける見聞をもとにしたフランシス・ブルックFrances Brooke(1724―1789)の書簡体小説『エミリー・モンタギュー物語』(1769)、オリバー・ゴールドスミスの長編詩『新興の村』(1825)、オンタリオ州における開拓生活を描いたムーディーの『荒地奮闘記』(1852)などは、そういう時期の特筆すべき作品である。1880年代に入り、D・C・スコットをはじめとしてアーチボルド・ランプマンArchibald Lampman(1861―1899)、チャールズ・ロバーツCharles G. D. Roberts(1860―1943)、ブリス・カルマンBliss Carman(1861―1929)などカナダ生まれの詩人が次々と優れた詩編を発表し始め、カナダ文学もようやく成長期に入るかにみえた。しかしこれらの詩人は範をイギリスの、とくにロマン派詩に求める傾向が強く、カナダ詩人として強烈な個性に欠けるきらいがあった。
[平野敬一]
20世紀前半
20世紀の1920年代になって詩作活動を始めたE・J・プラットの出現によって、初めてカナダ詩は英詩の二番煎(せん)じでない独自の個性を示すようになったといわれる。
散文作品も事情が似ている。初期の見聞記や生活記のほかに、カナダに材をとった歴史小説や冒険小説がないわけではなかったが、カナダの実体を内面から追求した真の意味でのカナダの小説が出現するには、1930年代におけるカラハンや1940年代におけるマクレナンの登場を待たなければならなかった。カナダの大平原を舞台に人間模様を描いたシンクレア・ロスSinclair Ross(1908―1996)の『私と私の家については』(1941)とミッチェルWlilliam Ormond Mitchel(1914―1998)の『誰(だれ)が風をみたか』(1947)も1940年代に登場して、地域の特殊性に深く根を下ろしながら普遍を探るという現代カナダ文学の動向を先取りしている。
[平野敬一]
1960年代以降
1940年代のカナダに、まっとうな文学的活動がなかったわけではない。小説としては、たとえばマクレナンの『二つの孤独』(1945)、カラハンの『愛と喪失』(1951)、ユダヤの詩人クラインの『第二の書』(1951)などの優れた作品が残されているが、総じて1950年代末までのカナダ文学は、カナダ社会のなかでは、影の薄い存在であった。自国文学に対するカナダ社会の、こういう無関心と冷淡さに、変革をもたらす契機となったのは、アメリカの批評家エドマンド・ウィルソンと自国の新進女性作家アットウッドMargaret Atwood(1939― )の、それぞれの文章の力であった。ウィルソンは1964年から1965年にかけて『ザ・ニューヨーカー』誌に長編エッセイ「おお、カナダ!」を寄せ、カラハンのような優れた作家を正当に評価しえないカナダ人の文学的後進性を皮肉り、アットウッドは長編評論『サバイバル』(1972)で、カナダ文学が有する諸特性を、才走った、いささか挑発的な口調で指摘し、カナダ人に自国文学を再認識させた。
カナダ文学がもっていた、ある種のローカル的偏狭さから脱皮するのに与(あず)かって力があったのは、1960年代以降、目だつようになった才能ある女性作家群――アットウッドを含め、マーガレット・ロレンスMargaret Laurence(1926―1987)、メービス・ガラントMavis Gallant(1922―2014)、アリス・マンローAlice Munro(1931―2024。2013年ノーベル文学賞受賞)、キャロル・シールズCarol Shields(1935―2003)などなど――の台頭であった。この作家たちの活動で、文学作品は自ずからカナダという桎梏(しっこく)を脱して、より広い世界に通じる普遍性を獲得したかのごとくである。1990年代に入ってから、優れた小説に与えられるブッカー賞を、2人のカナダ人作家が受賞――すなわちオンダーチェMichael Ondaatje(1943― )が『イギリス人の患者』(1992)で、アットウッドが『盲目の暗殺者』(2000)でそれぞれ受賞――していることは、カナダ文学の現在の姿を象徴している。オンダーチェはスリランカ生まれで、カナダに来たのは19歳のとき。当然、カナダの古い文学的伝統とは無縁である。にもかかわらず、その作品は、カナダ総督賞を三度獲得している。アットウッドは、あれほどカナダ文学の特性を強く謳(うた)っていたのに、彼女自身の文学はカナダという枠をとっくに越えてしまった。オンダーチェやアットウッドを「カナダの作家」と限定的に意識する読者は少なくなっている。ことはブッカー賞受賞のこの2人に限らない。同じことが、ガラントについても、マンローについてもいえるのである。
詩の世界は若干事情が異なる。かつてカナダの国民詩人的な存在であったE・J・プラット、アール・バーニーEarle Birney(1904―1995)、アル・パーディAl Purdy(1918―2000)らはすでに亡く、悪評高かったレイトンも亡くなり、カナダの詩界は閑古鳥が鳴くという現状である。いま専門家の間で評価が高いのは古典語学者のアン・カーソンAnne Carson(1950― 。2002年のT・S・エリオット賞受賞者)であるが、一般のカナダ人にほとんどその名は知られていない。カナダの子どもに多くのファンをもつ『アリゲーター・パイ』(1974)の詩人デニス・リーDennis Lee(1939― )が、あるいは、現在、いちばん国民詩人に近い存在かもしれない。
[平野敬一]
フランス系カナダ文学
カナダ東部のケベック州を中心として、750万人弱のフランス語を母国語とするフランス系カナダ人の文学の歴史は、けっして古くはない。だいたいフランス人の新大陸への入植自体が16世紀なかばから開始されたうえに、開拓が軌道にのり、植民生活が安定しだした18世紀なかばに、「ニュー・フランス」(カナダ)はイギリスの領有下に入ってしまったからである。以後、フランス本国からは隔離された状況で、周囲を取り巻く圧倒的に優勢なアングロ・サクソン系社会の精神的、政治的、経済的重圧のもとに、ひたすら苦しい守勢の立場が続く。
[西本晃二]
19世紀後半以降
このような情勢を反映して、19世紀後半になってやっと登場してくる作家たちは、強い郷土意識に支えられている。純粋な文学作品とはいえないかもしれないが、歴史家ガルノーは大作『カナダ史』3巻(1845~1848)で、フランス系カナダ植民地の成立を情熱を込めて語る。フィリップ・オーベール・ド・ガスペは歴史小説『往時のカナダ人』(1863)で、17、18世紀の領主制時代の習俗をふんだんに取り入れた、イギリス植民地時代のケベックを舞台にスコットランドから移住してきた青年アルシェと、フランス系カナダの娘ブランシュとの恋物語を書いた。これらの作品は、それまで「歴史のない集団」とよばれていたフランス系カナダ人に、自己の伝統に対する自覚と関心を呼び起こした。ついで20世紀初頭になると、ルイ・エモンを筆頭とするヨーロッパ生まれのフランス人作家たちが、カナダを題材とする作品を発表する。エモンの『マリア・シャプドレーヌ』(邦題『白き処女地』1914)はその典型である。しかし、第二次世界大戦後から生粋(きっすい)のケベック作家による文学活動が展開される。
[西本晃二]
1960年代以降
まず1959年、それまでケベックの対英協調政権「国民統一党」を絶対的に支配していた、超保守的なリーダー、デュプレシMaurice Duplessis(1890―1959)の死とともに、1960年代に入ってようやく「静かな革命」が始動する。またそれまでのカトリック教会の精神的統制に反発する『修道士某の不謹慎発言』という小パンフレットがセンセーションを巻き起す。同じ1959年には、やっと20歳になったばかりのマリー・クレール・ブレMarie-Claire Blais(1939―2021)が、処女作『美しき獣』を発表し、母系大家族のケベック農村社会の崩壊を予告する。近年もブレは300ページに上る作品を、切れ目なしの一文で書き上げるという、軽業(かるわざ)的な小説『渇き』(1995)を発表して健在ぶりを示している。
ブレの登場はまた、フランス系カナダにおける女性作家の台頭を示している。すでに1945年、フランスの有名な女流文学賞フェミナ賞を、モントリオールの貧民街サン・タンリを描いた『行きずりの倖(しあわ)せ』で獲得したガブリエル・ロア(1977年には『憶(おも)い出の子供達』を発表)、また女性詩人・劇作家としても有名で、同じフェミナ賞受賞者(1982)アンヌ・エベールらがいた。その後も「静かな革命」の1960年代に続いて、ピエール・ラポルトPierre Laporte(1921―1970)州運輸相の誘拐(ゆうかい)と殺害で始まる「熱い革命」が進行する1970年代にかけて、男たちがケベックの独立と政治・社会改革にかかわっていたのに対して、短編小説(死後の1975年に出版された『村の時代』など)のアドリエンヌ・ショケットAdrienne Choquette(1915―1973)、あるいは『サグインヌ』(1976)のアントニンヌ・マイエAntonine Maillet(1929― )など女性作家の活躍が目覚ましい。
とくにマイエの場合は女性であると同時に、ケベックではなくて、フランス系カナダの故地の一つアカディア(現、ニュー・ブランズウィック州)の出身で、民族のルーツを求める一大叙事小説『荷車のペラジー』(1979。ゴンクール賞)が異彩を放っている。これは、大西洋岸のフランス系コミュニティが1775年、時の英国王ジョージ3世のフランス系住民追放令によって崩壊、アメリカ南部のニュー・オーリンズ地方に離散させられた人々が不撓不屈(ふとうふくつ)のエネルギーを発揮し、10年かけて徒歩と馬車で1500キロメートルを踏破し故郷に帰り着く物語である。
作品の主題もどんどん多様化している。イーブ・テリオYves Theriault(1915―1983)が『アガグク』(1958)で、カトリック的アプローチではあるが、ハドソン湾北部の北極地帯に住むイヌイット(エスキモー)を主人公に取り上げるかと思えば、ミシェル・トランブレーMichel Tremblay(1942― )は『エドゥアールの便り』(1984)で、ナイーブなフランス系カナダ人の大西洋横断ヨーロッパ旅行を描いてみせたし、中国系のイン・チェンYing Chen(1961― )の『亡恩』(1995)では戯画化された中国、フィリップ・ポローニPhilippe Poloni(1958― )『オリボ・オリバ』(1997)ではマフィアの本場シチリアが登場、フランソア・トレトロFrancois Tretreau(1953― )『国家機構の中、徒手空拳(くうけん)』(2001)は中国人の女スパイがアメリカを舞台に繰り広げるサスペンスといったぐあいである。
そのほかにも前記ミシェル・トランブレーの六部作『モン・ロワイヤルの丘』(1978~1989)や、アドリアン・テリオAdrien Thério(1925―2003)の『マリー・エーブ、マリー・エーブ』(1993)などの現代物があれば、これまでヨーロッパ中世物で売ってきたマリーズ・ルゥイMaryse Rouy(1951― )が、同じ歴史小説だが、今度は19世紀前半の、セント・ローレンスの川中島、オルレアン島に移住してきた少女を主人公にした『アイルランド少女メアリー』(2001)を発表している。さらに作家としてジャック・フェロンJacques Ferron(1921―1985)、ロック・カリエRoch Carrier(1937― )、ルイ・アムランLouis Hamelin(1959― )、クリスチャン・ミストラルChristian Mistral(1964―2020)、ニコル・ブロッサールNicole Brossard(1943― )、マリー・ラベルジュMarie Laberge(1950― )らが活発に執筆活動を展開し、フランス系カナダ文学の健在を示している。
[西本晃二]
『クララ・トマス著、渡辺昇訳『カナダ英語文学史――われらが自然、われらが声』(1981・三友社)』▽『平野敬一・土屋哲編『研究社選書28 コモンウェルスの文学』(1983・研究社)』▽『浅井晃二著『現代カナダ文学――概観・作家と作品・資料』(1985・こびあん書房)』▽『『英語青年』vol.133, no.4(1987年7月号、カナダ文学特集・研究社)』▽『渡辺昇著『カナダ文学の諸相』(1991・開文社)』▽『堤稔子著『カナダの文学と社会――その風土と文化の研究』(1995・こびあん書房)』▽『アッドウッド著、加藤裕佳子訳『サバイバル――カナダ文学入門』(1995・御茶の水書房)』▽『『カナダ文学関係文献目録』(2000・日本カナダ文学会)』▽『Berthelot Brunet:Histoire de Littérature canadienne-française(1970, Hull, Canada)』▽『Leandre Bergeron:Petit manuel d'histoire du Québec, Editionns Québecoises(1970, Québec)』▽『Marcel Rioux:Les Québecois(1974, Edition du Seuil, Paris)』▽『Lettres Québecoises, la revue de l'actualite littéraire(no.100=hiver2000, no.103=automne2001)』▽『Dictinnaire des œuvres littéraires du Québec, t.Ⅰ&Ⅱ(Les Presses de l'Université Laval)』