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書簡体小説 しょかんたいしょうせつ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

書簡体小説
しょかんたいしょうせつ

手紙の形式を利用した小説。この形式は古くからみられるが,詩の方面ではローマホラチウスを先達として,すぐれた作品があるが,散文では,S.リチャードソンによる近代写実小説の祖『パミラ』 (1740) をはじめ,多くの小説が書簡形式を用いて書かれた。フランスではこれより少し前にモンテスキューの風刺小説『ペルシア人の手紙』 (21) があり,続いて J.-J.ルソーの『新エロイーズ』 (61) ,ゲーテの『若きウェルテルの悩み』 (74) などの著名な作品が書かれた。告白的な心理表現に便宜の多い形式として,書簡体小説はその後も試みられているが,その最盛期は 18世紀にあった。 (→書簡文学 )

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世界大百科事典 第2版の解説

しょかんたいしょうせつ【書簡体小説】

小説という散文作品のなかで手紙が主要な叙述手段であり,その手紙の全体もしくは一部が虚構の書簡で構成されたものを指す。もっとも古い形は,紀元1世紀初頭ころのローマのオウィディウスの《ヘロイデス(名婦の書簡)》で,これは伝説中の美女たちと交わす書簡体の詩篇で,したがって散文ではない。20世紀においてもモンテルランの《若き娘たち》(1936‐39),日本では志賀直哉の《(むしば)まれた友情》(1947)などこの手法の小説は散見されるが,文学史的に見て,この技法が流行を見たのは17世紀後半から19世紀中期までの西欧文学においてである。

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大辞林 第三版の解説

しょかんたいしょうせつ【書簡体小説】

主要部分が手紙文の体ていで構成されている小説。当事者自身が語る形によって、架空の状況に真実味を与えるなどの効果がある。ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、有島武郎「宣言」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

書簡体小説
しょかんたいしょうせつ

手紙形式の小説をいう。ヨーロッパで最初の書簡文学といえば、12世紀の『アベラールエロイーズ―愛と修道の手紙』であるが、のち17世紀になり、フランスのサロン生活がこの形式を流行させ、ボアチュールセビニェ夫人の書簡集、パスカルの教義論『田舎(いなか)の友への手紙』が愛読された。この形式の親しみやすさと迫真性が小説に利用されたのは、ブルソーの『バベへの手紙』(1669)が最初であり、また、同年出版された『ポルトガル尼僧の恋文』仏訳も創作である疑いが濃い。18世紀に入ると、モンテスキューの『ペルシア人の手紙』(1721)を皮切りに無数の書簡体小説が出現するが、これは回想録形式と同様、前世紀の荒唐無稽(こうとうむけい)な恋愛小説に対する反動であった。代表的なのはクレビヨン(子)の『M侯爵夫人の手紙』(1732)、ディドロの『修道女』(1796)、ジャン・ジャック・ルソーの『新エロイーズ』(1761)、イギリスのS・リチャードソンの『パミラ』(1740)、『クラリッサ』(1747~48)だが、多くは不在の受信者にあてた一方通行の書信の形をとっている。さらにゲーテの『若きウェルテルの悩み』(1774)、スタール夫人の『デルフィーヌ』(1802)、オーベルマンの『セナンクール』(1804)では、ほとんど日記に近い独白文学と化し、他方、ラクロの『危険な関係』(1782)では、多数の人間間の書信の交錯が、物語形式の不自由さを克服する相対的視点を創造するに至っている。しかし、バルザックの『二人の若妻の手記』(1842)以後、このジャンルは日記形式にとってかわられ、現代ではモンテルランの『若き娘たち』(1936)があるのみである。
 日本では、消息文(しょうそこぶみ)は多様であるが、小説形式としての発展はみられなかった。[平岡篤頼]

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