第二次世界大戦後にフランスにおこった新小説。普通『嫉妬(しっと)』(1957)のロブ・グリエ、『プラネタリウム』(1959)のサロート、『心変り』(1957)のビュトール、『フランドルへの道』(1960)のシモンら4人の作家をさすが、さらにベケット、デュラス、パンジェ、およびソレルスら『テル・ケル』Tel Quel誌グループを含める評者もいる。最初サルトルがサロートの『見知らぬ男の肖像』(1949)を、小説が小説自身を反省する現代小説の一つと評して、その序文で「アンチ・ロマン」anti-roman(反小説)と命名したのが契機だが、今日ではこの呼称は用いられない。流派を形成することなく、独自の作風を展開していった前述の4人の営為が、フランス小説の相貌(そうぼう)を一変させたのは、次の三つの共通点による。
第一に、客観的写実描写と合理主義的心理分析を基軸とした、バルザック以来の小説作法を否定し、作者が整理を加える以前の自然発生的な知覚や衝動や記憶を、構造的にいっそう忠実に再現しようとしたこと。その意味では、リアリズムのいっそうの深化とも解釈でき、事実、心理の微分的追跡に専念したサロートは、その枠内にとどまった。第二に、前述の必然的結果として、新しい現実に即した新しい形式や技巧や言語を最大限に重視したこと。とりわけ、後期のロブ・グリエとシモンは、形式を表現手段としてではなく生産手段としてとらえ、形式の戯れが奔放な想像力の展開を促すロブ・グリエの『ニューヨーク革命計画』(1970)やシモンの『三枚つづきの絵』(1973)といった、類のない傑作を書いた。第三に、いわゆる筋や人物の性格や物語的時間が排除され、未整理の材料だけが提示されるために、読者が積極的に創作行為に参加することを要請されたということ。
いうなれば、これらの小説は、読者を受け身の享受の状態にとどめる従来の小説と異なり、読者の自由を尊重し、それに呼びかけて、読者とともに世界に問いかける文学なのである。付言すれば、これらの作品の多くが、ロブ・グリエが文芸顧問を務めていたエディシオン・ド・ミニュイ社から出版されているのも、もう一つの重要な共通点である。
[平岡篤頼]
『J・ブロックー・ミシェル著、島利雄・松崎芳隆訳『ヌヴォー・ロマン論』(1966・紀伊国屋書店)』▽『ロブ・グリエ著、平岡篤頼訳『新しい小説のために』(1967・新潮社)』▽『リカルドゥー著、野村英夫訳『言葉と小説』(1969・紀伊國屋書店)』▽『リカルドゥー著、野村英夫訳『小説のテクスト――ヌーヴォー・ロマンの理論のために』(1974・紀伊國屋書店)』▽『鈴木重生著『ヌーヴォー・ロマン周遊――小説神話の崩壊』(1989・中央大学出版部)』▽『鈴木重生著『続ヌーヴォー・ロマン周遊――現代小説案内』(1999・中央大学出版部)』
フランスでは,1950年代に,従来の小説と異質の型の作品が相次いで現れ始めた。〈新しい小説〉を意味する〈ヌーボー・ロマン〉は,この一群の作品を指す呼称として,57,58年ころから一部の文芸批評家に用いられたが,まもなく一般に広く使われる用語として定着した。
〈ヌーボー・ロマン〉のグループとして必ず挙げられる名前は,ナタリー・サロート,クロード・シモン,アラン・ロブ・グリエ,ミシェル・ビュトールである。そのほか,ロベール・パンジェ,マルグリット・デュラス,クロード・モーリヤック,さらにはサミュエル・ベケットまで含められる場合もある。こうした小説家たちの名前からも推察できるように,〈ヌーボー・ロマン〉は共通のスローガンを掲げた文学運動ではないし,またこのグループに数えられる小説家たちのあいだに,世界観,文学観等々の面で,なんらかの共通の理解が成り立っている流派でもない。したがって,〈ヌーボー・ロマン〉という用語は,伝統的な型を踏襲する小説に対して批判的な立場に立ち,それを超える新しい小説を目ざす動きが活発になった文学現象を指す,と定義することができる。
伝統的な小説に対する批判は,個々の小説家によってそれぞれ違っているが,主要な点を要約すれば,まず人間の本性についての観念を挙げることができる。伝統的な小説では,人間の本性は普遍的なもの,永遠に変わらないものであることが暗黙の前提になっているが,これはもはや有効性をもたない観念にすぎないのではないか。それが批判の要点である。また,従来の小説では,個人は一定不変の性格を備えているという考え方が受け継がれてきたが,これも疑わしい。そこから,〈ヌーボー・ロマン〉は,小説における作中人物のありかたについて,根本的な疑問を投げかけるのである。もう一つの重要な批判は物語に向けられる。整然とした因果関係のもとで,時間的順序にしたがって劇的に展開していく物語を語ることは,伝統的な小説が踏襲してきた最も重要な約束ごとである。しかし,人間が実際に生きている現実のなかで,事件はそんなふうに起こるだろうか,と〈ヌーボー・ロマン〉の小説家たちは考える。こうして彼らは物語という虚妄を暴き,現実をありのままの様相においてとらえようとする。
伝統的な小説に対するそのような不信,異議,批判から出発した〈ヌーボー・ロマン〉は,新しく探究すべき課題として,たとえば,人間関係の基底をなす原形質的な部分(サロート),人間の内的意識の動きの様相(シモン),世界のなかに孤独に位置づけられた人間存在のありかた(ロブ・グリエ),都市や居住空間の実態が人間の意識に現れる現れ方(ビュトール)等々に向かうことになる。もちろん,個々の小説家の活動が進むにつれて,さまざまな変奏が付け加えられるが,出発点がそこにあったという事実は動かせない。言い換えれば,それは新しい小説形式を探究することであり,J.P.サルトルがサロートの《プラネタリウム》に寄せた序文(1959)において,小説それ自体について反省する小説,すなわちアンチ・ロマン(反小説)の出現を指摘したのは,たしかに正確な鋭い観察であった。そして小説形式についての反省は,その後さらに進められることになり,60年代になると,フィリップ・ソレルス,ジャン・リカルドゥーらによって,小説の書き方や言語の特性を主題とする作品が現れるようになる。これは〈ヌーボー・ロマン〉の探究を,さらに理論的に突きつめた後継者であり,〈ヌーボー・ヌーボー・ロマン〉(新しい新小説)と呼ばれることがある。
執筆者:菅野 昭正
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…そこでは幼年時,スペイン内乱への参加,第2次大戦への従軍等々,過去のさまざまな記憶と現在とを交錯させながら,エロスへの執着,死の観念に動かされる人間の内面の様態が提示される。その時期から,いわゆるヌーボー・ロマンを代表する小説家とみなされるようになり,やがてメディシス賞を受けた《歴史》(1967),《ファルサロスの戦》(1969)あたりから言語の自発性を重視する書き方を開発し,その後も《農事詩》(1981)などで大胆な小説形式の革新を実践している。85年ノーベル文学賞を受賞。…
…迫ってくる戦争の危機を前にして,文学者が現実社会の動向に関心を深めざるをえなくなっていくのも,この期間の特徴である。
[不条理の文学とヌーボー・ロマン]
第2次大戦の時期から戦後にかけて,フランス文学の最も著しい特質を形づくったのは,不条理の思想と感覚を主題とする文学である。サルトルとカミュの小説および戯曲がそれを代表する。…
※「ヌーボーロマン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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