コモンウェルス(英語表記)commonwealth

翻訳|commonwealth

デジタル大辞泉 「コモンウェルス」の意味・読み・例文・類語

コモンウェルス(Commonwealth)

イギリス連邦

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改訂新版 世界大百科事典 「コモンウェルス」の意味・わかりやすい解説

コモンウェルス
commonwealth

イギリスにおいて15世紀ごろから〈共通の利益をはかる目的で構成された政治組織体〉,すなわち〈国家の理想的形態〉の意味で用いられた言葉で,意味上はラテン語のrespublicaや英語のrepublicと同様である。のちに同じ趣旨に立って,国家内の州の間の,また独立国属領の間の〈連邦〉の意味でも用いられるようになった。歴史に現れた用語法としては,次の三つがあげられる。(1)イギリス,ピューリタン革命における共和政。1649年5月に正式に宣言された共和政は〈コモンウェルスにして自由国Commonwealth and a Free State〉と称した。この時点から1660年の王政復古までにこの呼称が使われるが,1653年以降の護国卿政権時期を含めないこともある。(2)イギリス連邦(コモンウェルス・オブ・ネーションズ)を意味する。(3)国家内の〈連邦〉の意味では,オーストラリアが正式の国名として1901年以来Commonwealth of Australiaを用いており,またフィリピン共和国アメリカ合衆国保護領であった時期(1935-46)の呼称Commonwealth of the Philippinesにも使われた。このほかにアメリカ合衆国においては,マサチューセッツペンシルベニアバージニアケンタッキーの4州は,〈ステート〉の代りに〈コモンウェルス〉を公式の呼称にしている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「コモンウェルス」の意味・わかりやすい解説

コモンウェルス
こもんうぇるす
Commonwealth

現在は旧イギリス領植民地からなる「イギリス連邦」をさす。第一次世界大戦後、カナダその他自治領諸国の地位向上に伴い、各国内政外交における完全な独立のもとで、緩やかな連合体として成立した。1949年以降は、「ブリティッシュ・コモンウェルス」という名称にかわって単に「コモンウェルス(連邦)」が正式の名称となった。

 歴史的には、イギリスのピューリタン革命における国王不在の時期、より厳密にいえば1649年の共和政の成立から1653年の護国卿(きょう)政権の成立までの時期を「コモンウェルス」とよぶ。国内的には革命をどこまで推し進めるかについて議会軍隊が対立を続けていたが、対外的には議会派による植民地支配が確立し、また、スコットランド軍を撃破するなど、内戦後のいちおうの安定を形成しつつある時期であった。(書籍版 1986年)
[小泉 徹]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「コモンウェルス」の解説

コモンウェルス
Commonwealth

「共通の富」「公共の福祉」の原語から転じて「国家」を意味するヨーロッパ政治思想の基本的概念。歴史上の用語としては,(1)ピューリタン革命期の共和政(1649~60年),(2)イギリス連邦をさして使われるが,他に国家内の連邦の意味で,オーストラリアが正式の国名として採用しており,またアメリカ合衆国においては,マサチューセッツペンシルヴェニアヴァージニア,ケンタッキーの4州の名称に使われている。

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百科事典マイペディア 「コモンウェルス」の意味・わかりやすい解説

コモンウェルス

(1)英国でピューリタン革命期のチャールズ1世処刑から王政復古まで1649年―1660年の間の共和政体。(2)20世紀においては,英本国を中心とする自治領・独立国の連合体としてのイギリス連邦の意で用いられる。
→関連項目クロムウェル

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コモンウェルス」の意味・わかりやすい解説

コモンウェルス
commonwealth

「共同の福利」から転じて「国家」の意。国家を権力装置 stateとみる立場と対照的な考え方である。狭義にはイギリス清教徒革命期の共和国 (1649~60) をさす。なおイギリス本国を中心として各自治領すべてを含めた政治組織の総称をもいう (コモンウェルス・オブ・ネーションズ) 。 (→イギリス連邦 )  

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旺文社世界史事典 三訂版 「コモンウェルス」の解説

コモンウェルス
Commonwealth

①ピューリタン革命による国王チャールズ1世処刑から王政復古まで(1649〜60)の政体をいい,イギリス史上唯一の共和政の時期。
②現在のイギリス連邦内における,連邦構成諸国間の平等な立場で自由に結合する連合方式。

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デジタル大辞泉プラス 「コモンウェルス」の解説

コモンウェルス

《Commonwealth》イギリス海軍の戦艦。キング・エドワード7世級。1903年進水の前弩級戦艦。1905年就役、大西洋艦隊、第3戦艦戦隊などに所属。1921年退役。

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世界大百科事典(旧版)内のコモンウェルスの言及

【自治領】より

…第1次大戦前,植民地にすぎなかった自治領は,戦後,国際連盟に加盟するなどして,国際法上の主体性を徐々に獲得していった。そこで,1926年に帝国会議が採択したバルフォア報告は,イギリスおよび自治領は平等の地位をもつと述べ,31年のウェストミンスター憲章は,〈自治領〉の表現は,カナダ,オーストラリア,ニュージーランドなど6共同体のどれかを意味すると規定した(1条)が,当時のコモンウェルスは,イギリスとこれら6自治領によって構成されていた。いずれも元首を共通にした。…

【ピューリタン革命】より


[共和政と護国卿政権]
 国王処刑につづき君主政と貴族院が廃止され,革命は最高潮に達した。しかしこれまでレベラーズと手を結んで革命を推進してきた独立派は,みずからの手に成果を掌握しようとしてレベラーズとの同盟を解消することを決意し,49年春給料未払を理由に従軍を拒否したレベラーズの反乱を鎮圧,その後にイギリスは一院制の共和国(〈コモンウェルス〉)となる旨の宣言を行った。ついでクロムウェルは反革命勢力の掃討を理由に,アイルランドとスコットランドに遠征を企て,前者においてはカトリックに対する報復の残虐行為と大規模な土地の収奪を行って,その植民地化を促進した。…

※「コモンウェルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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