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カバレフスキー カバレフスキーKabalevskii, Dmitrii Borisovich

6件 の用語解説(カバレフスキーの意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

カバレフスキー
カバレフスキー
Kabalevskii, Dmitrii Borisovich

[生]1904.12.30. ペテルブルグ
[没]1987.2.17.
ソ連の作曲家。 1918年モスクワスクリアービン音楽学校に入学,次いでモスクワ音楽院に学ぶ。ピアノ科と作曲科を卒業後,39年同音楽院の作曲科教授となる。 33年『レーニン追悼のレクイエム』の標題をもつ第3交響曲,38年ロマン・ロランによるオペラコーラ・ブルニヨン』,42年カンタータ『わが大いなる祖国』などを発表した。

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百科事典マイペディアの解説

カバレフスキー

ロシア(ソ連)の作曲家。サンクト・ペテルブルクに生まれ,モスクワ音楽院でミヤスコフスキーらに学ぶ。1939年母校の作曲科教授に就任。以後もソビエト音楽界の要職を歴任した。

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ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

カバレフスキー

1904年にサンクトベルクに生まれる。作曲家、教育活動家。幼少の頃からピアノをはじめ、詩や美術といった芸術的な才能に恵まれ1925年モスクワ音楽院に入学。ゴリデンヴェーイゼルにピアノ、ミャスコフスキイ ...続き

出典|(社)全日本ピアノ指導者協会
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世界大百科事典 第2版の解説

カバレフスキー【Dmitrii Borisovich Kabalevskii】

1904‐87
ソ連邦の作曲家。ペテルブルグの数学者の家に生まれたが,幼時から詩,絵画,音楽など芸術の才能を示した。一家は1918年モスクワに移り,彼はスクリャービン音楽中学校,モスクワ音楽院で作曲とピアノを学ぶ。32年同音楽院の教職につき,39年教授。学生時代から社会活動に積極的に加わり,社会主義革命後のソ連にふさわしい音楽の創造に献身した。40年共産党に入党,63年ソ連邦人民芸術家。初期の作品ではミヤスコフスキーの影響が明白であるが,のち19世紀のロシア音楽との関連をもつ作風を確立する。

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大辞林 第三版の解説

カバレフスキー【Dmitrii Borisovich Kabalevskii】

1904~1987) ロシアの作曲家。親しみやすい作風で社会主義リアリズムの体現者とされた。代表作「コラ-ブルニョン」「道化師」

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

カバレフスキー
かばれふすきー
Дмитрий Борисович Кабалевский Dmitriy Borisovich Kabalevskiy
(1904―1987)

ソ連の作曲家。スクリャービン音楽学校を経て、モスクワ音楽院でピアノと作曲を学ぶ。作曲の師ミャスコフスキーの影響を受けた作品ののち、プロレタリア芸術の賛歌ともいうべき『戦いの詩』(1930)を発表、社会主義リアリズムに沿った作品を次々に作曲して大きな成功を収めた。早くから旺盛(おうせい)な評論活動を行い、ソ連の音楽行政上の要職を歴任。1932年以来モスクワ音楽院で教鞭(きょうべん)をとるほか、国際的に演奏旅行するなど幅広く活躍。明るく叙情的で平易な作風をみせ、『コラ・ブルニョン』(1937初演)、『タラスの一家』(1947初演)などのオペラ、交響曲4曲、管弦楽組曲『道化師』(1940)や、協奏曲、付随音楽、オラトリオなど多数がある。[益山典子]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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