改訂新版 世界大百科事典 「カンパニー制度」の意味・わかりやすい解説
カンパニー制度 (カンパニーせいど)
カンパニーcompanyは,広義には中世のギルドから現在の諸種の〈会社〉企業体までを含むが,とくに中世末,近世初期のイギリスに成立した特許会社chartered companyをさす。巨額の上納金や貸上げの代償として国王から与えられた特許状によって独占権を認められたこれらの企業体は,植民や鉱山業などを含む経済活動の多様な分野で成立したが,その中心は貿易業にあった。こうした特許会社には二つのカテゴリーが区別できる。すなわち,本質的に個別資本の集合体にすぎず,個々の構成員の主体性が維持されているレギュレーテッド・カンパニーregulated company(制規会社)と,出資者の資本を集中して単一の企業活動を行うジョイントストック・カンパニーjoint-stock company(合本制会社)とである。しばしば〈組合〉の訳語があてられ,中世ギルドの直系といってよい前者は,15世紀にイギリスからの羊毛輸出を握っていたステープル・カンパニーや16,17世紀に北西欧への毛織物輸出を独占した冒険商人組合(マーチャント・アドベンチャラーズ)などに代表されるが,ほかにバルト海貿易を展開したイーストランド会社(1579創設)や1592年に改組されてからのレバント会社(東地中海・トルコ貿易を独占した)などがある。他方,初期のモスコー会社(Muscovy Company,別名ロシア会社,1555設立)やレバント会社(1581年の創設時から92年まで)は合本制をとった。とくに1600年に成立する東インド会社は合本制会社の典型となった。制規会社の場合,近代の株式会社の諸特徴のうち,(1)個々の商人の寿命をこえて存続しうる永続性など,法人的性格は認められるが,(2)資本の合同が認められないのに対し,合本制会社では(2)の要素も加わる(このため,株式会社の訳語もしばしば与えられる)。しかし,初期の東インド会社では,なお当座的性格が強く残っていた。近代的な株式会社の起源が,1657年の改組で民主的な株主総会をもち,(1)(2)の性格が十分に整ってからの東インド会社に求められるのはそのためである。より厳密にいえば,1844年の登記法,55年の有限責任法,56年の株式会社法および62年の会社法によって,近代的な株式会社が成立する。
特許会社としてのカンパニーは,絶対王政などによってそれぞれの独占権を保障された〈初期独占〉体であったから,16世紀末以降,議会の〈反独占闘争〉の矢面に立たされ,市民革命の前後に事実上力を失う。東インド会社のように,改組されてむしろ18世紀に繁栄したものもあれば,新世界への奴隷供給を任務とした王立アフリカ会社(1672設立)やアシエント契約によるスペイン領新世界との貿易を策した南海会社(1711設立)のように,王政復古以後に成立したものもあるが,あまり成功しなかった。そのうえ,1720年,南海会社に関連して株式パニック〈南海泡沫事件〉が起こると,〈泡沫会社禁止法〉が出され,株式会社の新設に厳しい制限が設けられる。なお,初期の貿易カンパニーのなかには,遠隔地との取引の必要上,国家の外交・軍事などの機能を代行したものがある。モスコー会社やレバント会社,東インド会社がその典型である。
→会社 →株式会社
執筆者:川北 稔
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報